越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ジョナサン・フランゼン『コレクションズ』(4)

2011年09月18日 | 小説
 同じ家族の問題を描くのでも、たとえば、八〇年代以降に流行したレイモンド・カーヴァーをはじめとするミニマリズム小説とはベクトルが違う。

 というのも、ミニマリズム小説では、台所のような小さい世界を一枚の写真のようにミニマルに写しとり、背景にあるより大きな世界を読者に想像させる「俳句」的な手法をとるからだ。

 ミニマリズムの小説では、台所の争いを「戦争」のメタファーなどを使って描いたりしない。
 
 また、一世代前のポストモダンのメガノヴェルの書き手たち、トマス・ピンチョンやウィリアム・ギャディスやドン・デリーロなどの全体主義的な「歴史小説」とも違う。

 ジョナサン・フランゼンはウィリアム・T・ヴォルマンと同世代だという。そこにひとつのヒントがうかがわれる。

 ヴォルマンは太古からのアメリカ大陸の歴史、北からのアメリカ大陸「発見」の旅に興味をいだき、みずからの北極生活をフラグメンタルな「歴史小説」のなかに溶け込ます。

 たとえば、『ザ・ライフルズ』(一九九四年)は、十九世紀半ば、ジョン・フランクリン卿に率いられ、氷の北極圏に閉じ込められたイギリス艦隊による北極探検をあつかっているが、ヴォルマンはシャーマンのごとくフランクリン卿に憑依して、十九世紀と二十世紀を自在に往復するアクロバティックな語りを展開する。

 過去の歴史と現在の自分(サブゼロという化身を通して)を想像力で強引につなげることで、歴史小説に、現代の語り部としての血を、内的な動機を与えている。
(つづく)

 

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