越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ロベルト・コッシーのサッカー部長日記(10)

2015年06月04日 | サッカー部長日記

5月24日(日)

自宅から駅に向かう道すがら、庭にきれいな花を咲かせている家がある。特に、いまはバラの花のいちばんきれいな時期かもしれない。先日、見るとはなしにテレビの歌番組を見ていたら、演歌の歌手が「辛い涙は恵み雨、晴ればかりでは土が枯れる」みないな、いい歌を歌っていて、グッと来た。そのとおり、明治のサッカー部も、だいぶ恵みの雨をいただいたので、そろそろ勝利の花を咲かせたい。国士舘との勝点差はまだ4つだから。  

慌ただしく嵐のようにすぎさった一週間だった。  

日曜日(17日)には、海浜幕張のホテルオークラで、玉置俊君の結婚披露宴があった。玉置君は、5、6年前に明治学院大の大学院生のときに、2年間、わざわざ明治の授業を受けにきてくれたことがあった。いまは県立柏高校で英語を教えている。音楽が得意で、ブルースギターは、玄人はだし。学園祭でも男の先生たちなるオヤジバンドを率いて人気のようだ。週末は、硬式テニス部の顧問として生徒の試合を引率している。八面六臂の活躍ぶりは、一緒のテーブルにすわった他校の先生方の話から伝わってきた。  お母さんはネパール人で、長年、幕張でネパールカレー・レストラン「ジャイネパール」を経営している。十代の頃からずっと日本暮らしで日本語は堪能。敬虔な仏教徒で、日本人以上に日本人ぽい。私とは話がよく合う。

(写真:ネパールの踊りを踊る出席者たち)

 披露宴は、列席者が200人を超える盛大な会だった。いちばんの来賓は、駐在ネパール大使。お母さんの古里であるネパールの高地の村からも、親戚の人たちがやってきた。話によれば、彼らの家は地震で瓦礫(がれき)と化し、いまはテント暮らしとのこと。4千メートル級の山にある村だから、冬にならないうちに復興しなければならない。  

火曜日(19日)に、科研費の実地報告書を完成。ネットで書き込み、プリントアウトしたものを水曜日(20日)の授業後に知財事務室に持っていって承認を受ける。公的資金をうけるのは、申請のときも結果報告のときも大変である。いつも事務の方に助けてもらって、ようやく完成。ありがたし。  

直ちに『すばる』(集英社)の映画評に取りかかり、木曜日(21日)の午後に送る。北アフリカのアルジェリアの山岳地帯を舞台にした『涙するまで、生きる』という作品。アルジェリアと言えば、あのハリルホジッチがブラジル・ワールドカップで率いていた国だ。人里離れた貧しいアラブ人の村の小学校の庭で、子どもたちがボールを蹴っているシーンが出てくる。だが、ハリルホジッチは出てこない。1954年の独立戦争時代の話だから。原作はカミュの短篇「客」。右へ行くか、左に行くか、岐路に立たされた人間の実存的な決断がテーマ。金曜日(21日)には初校ゲラが出てきて、すぐに直しを入れて送る。6月上旬に発売予定。

 

さて、きょうの試合である。第10節、国士舘戦。多摩市陸上競技場。国士舘は、現在、勝点16で首位を走る。明大は6位ながら、勝点差はわずかに4。追いつくチャンス。首位いじめをしたいところだ。応援組も、きょうは気合いが入っている。声の響きがちがう。

 

明治はこれ以上はないと思える出来で、試合を終始コントロールした。特に前半はシュートの雨あらし。ボクシングで言えば、相手をKO寸前まで追いつめた。もし最初の1本が決まっていたら、KO勝ち(大量得点で勝利)していただろう。  

だが、土居柊太(政経2)や高橋諒(文4)らの放つシュートがポストに当たったりして、1点が遠い。逆に国士舘に、後半20分に先取点先に奪われて、そのまま逃げ切られてしまった。  試合内容は90点ぐらい。しかし、勝負には敗れてしまった。国士舘は内容が悪いながらも、しっかり勝点3を明治から奪っていった。秋のリーグでは、しっかりKO勝ちしなければならない。

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