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書評 四方田犬彦『署名はカリガリーー大正時代の映画と前衛主義』  

2017年04月11日 | 書評

 

ハイブリッドな工夫を凝らした啓蒙書 

四方田犬彦『署名はカリガリーー大正時代の映画と前衛主義』

越川芳明

大正期(1910年代ー20年代)に日本に現れた、映画と演劇をシンクロさせて上演する独特なスペクタル形式を「連鎖劇」と呼ぶが、本書は、複数のテクストを機能的にハイブリッドした一種の「連鎖劇」だ。  

例によって「四方田節」としか名付けようのない、個人的な視座に立った饒舌で軽快な語りに導かれてページを括っているうちに、私たちはジェットコースータに乗ったかのように、めくるめく別世界へと旅している。  

そうした語りの方法を、著者自身は「迂回のエクリチュール」と告白している。何のことはない、本書自体がポストモダンの「メタフィクション(入れ子細工)」の実践の書だと思えばよい。  

とはいえ、難解な研究書ではない。大正期の日本に異常発生した前衛芸術(映画と文学)を題材にしていて、作家周辺のゴシップネタを挟むなど、一流の芸人顔負けのサーヴィス精神が旺盛だ。  

例えば、一風変わった芸術家肌の女子大生に導かれて、谷崎潤一郎の『痴人の愛』のモデルと思しき老女と会うくだりはワクワクする。「和嶋せい」という名の、この女性は谷崎の妻千代の実妹であり、一時は愛人として作家と同棲もしていただけでなく、日本映画草創期の「女優」(葉山三千子)でもあったという。これだけでも、読者が思わず身を乗り出す「物語」でないだろうか。 

全編は三部からなり、奇しくも十九世紀末生まれの、四人の小説家や映画監督(谷崎潤一郎、大泉黒石、溝口健二、衣笠貞之助)が俎上にあげられている。文章の端々に偶像破壊の意図が見え隠れする。従来の固定的な作家/監督像を打ち壊し、もう一つの作家/監督像を提示しようとする強い意思に貫かれているのだ。  

例えば、王朝文学の旗手の谷崎は、ドイツ表現主義の映画に魅せられた野心的な映画人として、あるいは、ぐうたらな浮浪者を主人公にした初期チャップリンの反市民的な映画に魅せられた映画人として、読者の前に立ち現れてくる。身分違いの恋の破滅や女性を社会主義的なリアリズムで描くことに定評がある溝口健二は、実験精神に満ちた映画人として浮かびあがる。  

いうまでもなく、ドイツ表現主義の傑作『カリガリ博士』は、夢遊病者を扱い、人間の「不安」や「恐怖」や「悪夢」の表象ーーデフォルメされて歪んだ舞台装置、黒白の衣装や化粧ーーが散りばめられている。この作品に代表されるアヴァンギャルドな作品を生み出した美学運動は、文学、音楽、絵画のみならず、様々な分野にも及んだが、著者によれば、新しいモノ好きの大正モダニスト映画人もいち早くそれに呼応したという。  

本書の白眉は、四人の作家や監督の残した前衛的な作品についての丹念な分析にある。それぞれ、「『人面疽』を読む」、「『血と霊』を読む」、「『狂った一頁』を観る」と題されているセクションがそれだ。内外の先行研究はもちろん、当時の映画評の類の小さな文献まで渉猟して、比較検討しながら結論を導き出す。ここは映画研究者の見本である。  

『人面疽』は谷崎の幻の映画の原作。怪奇小説の様相を帯びた、「ホフマンやポーに耽溺する悪魔主義的な心身小説家」の前衛作品だ。人面疽というのは、聞き慣れない言葉だが、「人間の腹部や膝に人間の顔に酷似した不気味な腫瘍が生じ、モノを言ったり、寄生主に向かって要求をするという病気」だそうだ。もちろん、これは架空の病気だが、そうした病気に取り憑かれた初期の谷崎のゴシックな想像力は、ただの倒錯的なフェティシズムではなく、秩序転覆の「政治性」も帯びていたに違いない。  

大泉黒石は、ロシア人の父と日本人の母との間に生まれた混血作家。孤児としての流謫の生を送った。著者は、長崎の「支那人」居留地を舞台にした犯罪小説『血と霊』を取りあげ、作家の異邦人としての周縁性に焦点を当て、「のがれがたき宿命への洞察とそれを語ろうとする黒石の情熱は・・・ホフマンには、とうてい及びもつかないものであった」と、高く評価する。

とりわけ秀逸なのは、衣笠貞之助による実験映画『狂った一頁』の分析だ。この作品は、精神病院を舞台にしたものだが、「監禁と隠蔽を旨とする近代社会への異議申し立て」であり、すぐれた「近代批判の芸術テクスト」として絶賛される。  

著者は、一瞬のきらめきを放つ前衛芸術の宿命を重々承知している。だが、それでも「挫折を余儀なくされた、前衛芸術の試みが万が一成功していたら・・・」といったSF的な想像へと読者を誘う。有り得たかもしれない作家の生(仮想世界)に思いを馳せながら、不朽の名作ではなく、一瞬のきらめきを放った作品に焦点を当てて、蕾から花を咲かせるのだ。本書の最大の功績は、僕のような一般読者に、谷崎の『人面疽』や、溝口/大泉の『血と霊』や、衣笠の『狂った一頁』といった、「小さな巨人」たちの魅力を知らしめたことだろう。そういう意味で、すぐれた啓蒙の書と言わなければならない。

(『図書新聞』2017年4月15日号、1面)

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