越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

「世界政府(その2)」(第六回)

2011年02月09日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

イベリア航空
 
 一方、イベリア半島では、スペインの主要航空会社が乗客に関する個人情報をアメリカ合衆国政府に流したとして告発された。(中略)
 
 「合衆国は各航空会社に旅行者に関する詳細な情報を手渡すように義務づけている」と、ロイターのアンディ・サリヴァンは、2004年3月17日に報じた。

 同様に、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、ノースウェスト航空に、似たようなデータマイニングの研究のために何百万人もの乗客の個人情報――氏名、住所、旅程、クレジットカードの番号などを要求し、受け取ったという。

(中略)こうした出来事で、数十の訴訟が引き起こされた。

 これは、航空会社自身の契約条項の違反でもある。
 
 「ノースウェスト航空はNASAに何百万人の乗客の個人情報を渡した。

 この譲与は、プライバシーに関する契約条項を侵害している」と、2004年1月18日、エレクトロニック・プライバシー情報センターが声明を発表した。

 「ノースウェスト航空、乗客情報を政府に渡す」と、『USA トゥディ』紙(2004年1月19日付け)で、ジョン・シュワルツが報じた。
 
 エスチューリンは、次のような小見出しを掲げている。

誰にも公開中の個人情報

 「欧州委員会委員[ホアキン・] アルムニア、スペイン大統領の[ジョセップ・]ボレル・ジェスフォンテ」、欧州委員会委員長でビルダーバーグ倶楽部の常連のジョゼ・マヌエル・バローゾ[ポルトガル元首相]は、欧州憲法に明記されている基本的権利の承認のために、大々的なキャンペーンを張った。

(中略)ボレル、アルムニア、バゾーゾらが誰一人として、よき欧州市民に向かって言わなかったことは、第五十一項が、市民の権利は、欧州連合の利益がそれを必要とするならば、どれも停止することができるということだった。

 しかしながら、欧州委員会による欧州市民への裏切りに関する恥ずべきすっぱ抜きに関して、もっと言うべきことがある。

 それは電気通信の支配である。

 すなわち、治安部門によるデータ保有や監視を欧州議会が支持したことだ。
 
 2002年5月30日の、データの保有に関する投票(前欧州立法府において、PPE(欧州人民党) とPSE(欧州議会社会主義グループ)の票は、合計626票のうち、526の欧州代議員の票を集めた)
 
 「国境なき国家監視・報道」は、何億人もの欧州市民に影響を与える票決に至った経緯について報道した唯一の組織である。
 
 基本的に、国家法および国際法の問題に関する社会主義者たちの大言壮語や抵抗は、お笑い草である。

 欧州議会におけるPPEとPSEの共闘は、彼らが人々の命を守ったり、プライバシーや個人の自由といった「市民の人権」を守ったりするのではなく、欧州連合の政府の要求を支持するということを示している。
 
 ハビエール・ソラナ・マダリアガ[マドリード出身の政治家]は、ビルダーバーグ倶楽部の重要なメンバーで、北大西洋条約機構の事務総長、欧州連合理事会の事務総長、欧州連合の共通外交・安全保障政策上級代表であるが、国際ジャーナリスト連合が、「夏のクーデター」とだけ称した決定事項に関与した。

 読者諸賢よ、忘れないでほしい。

 ハビエール・ソラナのような人物は、あなた方の利益もスペインの利益も守ることなどしないということを」
 
 その後、著者のエスチューリンは16ページにわたって、すべてを詳述する。
 
 彼の本は「私の終わり」と小見出しのついた部分を含んでいる。
 
 創造的な記憶とは、歴史家たちの最もやっかいな敵である。

 忘却の口実が、私たちが公に記録しようと決心するすべての事柄を統御し、ゆがめる。

 存在と世界は、審美的現象としてのみ、それ自体を正当化するように見える。

 審美的現象のみというのは、「人生のための人生」ではなく、存在と世界にまつわる倫理的な解釈との鋭い対比を意味する。

 アモス・オズは、おそらく最も有名なイスラエルの作家であるが、こうした考察を行なっている。

 「そこは戦争が平和と呼ばれる場所。そこは抑圧と迫害が安全保障と呼ばれ、殺人が自由と呼ばれ、言語の汚染が生命と威厳の汚染に先立ち、それを準備する場所。結局、国家、体制、階級、思想は無傷でも、人の命が破壊される」

 もし民主主義が人民の政府の本質であるならば、政府やあくどい圧力団体の密かな目的は民主主義とは相容れない。

 人類に敵対する秘密キャンペーン繰り広げる政府内の密かな影響勢力は、自由という概念とかけ離れたものである。

 遠くない過去の致命的な過ちを繰り返したいと思わない限り、断固たる決意を持ってそれと戦わねばならない。

 分断された社会においてはとりわけ、私たちが共有し、分かち合っているものを劇的かつ直截なやり方で際立たせるいくつかの要素がある。

 人間としての威厳や自由への真の人間としての尊厳や自由への真の希求は、世界中のどこでも直ちに理解され、わざわざ翻訳する必要もない、普遍的で最も価値のあるものである。

 それは支持するだけの価値がある。
 
 最後に、もし全体主義的社会の傲慢で無思考の悪弊によって、ときに人々があなたを軽蔑したり、「反対者」というラベルを貼ったりするとすれば、あなたはそれを名誉ある称号と見なさねばならない。
 
 グレアム・グリーン [英国の小説家] が「作家はいつ何時でも敵味方の立場を変える心の準備ができていないといけない。作家の使命は、犠牲者の側を弁護することであり、犠牲者は変わるものだから」と述べたことばあるが、的を射た表現と言える。
 
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