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書評 ポール・セロー『ダーク・スター・サファリ』

2012年04月01日 | 書評

アフリカ縦断の文学的紀行文

ポール・セロー『ダーク・スター・サファリ』(北田絵里子訳、英治出版) 

 

アメリカの人気作家セローは、お手軽なパックツアーの観光客だけにはなりたくないと宣言する。

ケニアで猛獣狩りおこなった先輩作家への反感があるからだ。

「アフリカで経験できるあらゆる種類の旅の中で最もたやすく見つかる最も底の浅いものを好んだのがヘミングウェイという男なのである」と、彼は言う。

あたかもヘミングウェイに反旗をかかげるかのように、北のカイロから南のケープタウンまでアフリカ東部の9カ国を股にかけた一人旅に出る。

少しばかりの着替えを入れた古鞄にブリーフケース、安物時計に小型ラジオだけの軽装だ。

一部の国には、四十年ほど前に暮らしていたことがあり、再訪の旅でもあった。

アフリカ縦断の「貧乏旅行」で出会った人々、見た風景、感じたことなどが小説家の筆づかいでこと細かに書き綴られている。

スーダンのイスラム教徒の既婚女性の脚に彫られているタットゥー(刺青)へのフェティシズム、

ウガンダで売春婦に身をやつしている女性たちの話など、

読者の覗き見趣味を満足させてくれるような面白いエピソードがふんだんにまぶされている。

とはいえ、これは異国の風変わりな風習だけを取りあげる通俗的な旅日記ではない。

むしろ、一種の文学的な紀行文でもある。西洋文学の先人たちがアフリカをどう捉えたか、過去の文学作品が引き合いに出される。

著者によれば、かつてディケンズが『荒涼館』で皮肉った慈善家の発想が

いま行なわれている西欧主導の人道的アフリカ支援の発想と同じであり、

アフリカ人の自立をもたらさないという。

「そうした寄贈物は、電池が切れれば走らなくなり、壊れれば修理もされないたぐいの、

見栄えのいいクリスマス・プレゼントみたいなものだ」と。

「旅のすばらしさは、過去への扉を開いてくれるところだ」という著者の言葉をもじって言えば、

このようなアフリカの僻地を旅した文学的な記録のすばらしさは、めったに行けない異国への扉を開いてくれるところだ。

(『日経新聞』2012年4月1日朝刊)

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