鴉啼いてわたしも一人 山頭火
1926年(大正15)「層雲」に発表。
寂寥感が漂うが、眼は外部に向いている。
一羽の鴉と一人のわたし。山頭火は自分を旅烏と考え、目の前の鴉に対し親愛感を持ったのだろう。
咳をしても一人 放哉
小豆島時代(大正14・8~大正15・4)頃の作。
自意識を消せない自分がある。この咳は外界を意識してのものだ。
酒が入ると自己発散が過ぎて高慢になる放哉だが、ここでは孤独を託つしかない。海の青さだけが慰めだ。
★種田山頭火 1882年(明治15)~1940年(昭和15)。
山口県周防町(現周防市)生。
★尾崎放哉 1885年(明治18)~1926年(大正15)。
鳥取県吉方町(現鳥取市)生。
二人は新傾向俳句『層雲』の主宰者、荻原井泉井の門下である。共に自由律俳句で花開く。
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尾崎放哉の句(中学時代の句を紹介)
きれ凧の糸かかりけり梅の枝(号梅史)
城郭の白壁残る若葉かな
木の間より釣床見ゆる青葉かな
よき人の机によりて昼ねかな
刀師の刃ためすや朝寒み
寒菊やころばしてある臼の下
病いへずうつうつとして春くるる
行春や母が遺愛の筑紫琴
行春の今道心を宿しけり
夕立のすぎて若葉の戦ぎ哉
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1926年(大正15)「層雲」に発表。
寂寥感が漂うが、眼は外部に向いている。
一羽の鴉と一人のわたし。山頭火は自分を旅烏と考え、目の前の鴉に対し親愛感を持ったのだろう。
咳をしても一人 放哉
小豆島時代(大正14・8~大正15・4)頃の作。
自意識を消せない自分がある。この咳は外界を意識してのものだ。
酒が入ると自己発散が過ぎて高慢になる放哉だが、ここでは孤独を託つしかない。海の青さだけが慰めだ。
★種田山頭火 1882年(明治15)~1940年(昭和15)。
山口県周防町(現周防市)生。
★尾崎放哉 1885年(明治18)~1926年(大正15)。
鳥取県吉方町(現鳥取市)生。
二人は新傾向俳句『層雲』の主宰者、荻原井泉井の門下である。共に自由律俳句で花開く。
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尾崎放哉の句(中学時代の句を紹介)
きれ凧の糸かかりけり梅の枝(号梅史)
城郭の白壁残る若葉かな
木の間より釣床見ゆる青葉かな
よき人の机によりて昼ねかな
刀師の刃ためすや朝寒み
寒菊やころばしてある臼の下
病いへずうつうつとして春くるる
行春や母が遺愛の筑紫琴
行春の今道心を宿しけり
夕立のすぎて若葉の戦ぎ哉
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