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種田山頭火と尾崎放哉の俳句(一)      高橋透水

2014年05月24日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
鴉啼いてわたしも一人    山頭火
 1926年(大正15)「層雲」に発表。
  寂寥感が漂うが、眼は外部に向いている。
  一羽の鴉と一人のわたし。山頭火は自分を旅烏と考え、目の前の鴉に対し親愛感を持ったのだろう。

咳をしても一人     放哉
  小豆島時代(大正14・8~大正15・4)頃の作。
  自意識を消せない自分がある。この咳は外界を意識してのものだ。
  酒が入ると自己発散が過ぎて高慢になる放哉だが、ここでは孤独を託つしかない。海の青さだけが慰めだ。



 ★種田山頭火 1882年(明治15)~1940年(昭和15)。
 山口県周防町(現周防市)生。
 ★尾崎放哉  1885年(明治18)~1926年(大正15)。
 鳥取県吉方町(現鳥取市)生。

二人は新傾向俳句『層雲』の主宰者、荻原井泉井の門下である。共に自由律俳句で花開く。

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尾崎放哉の句
(中学時代の句を紹介)
  きれ凧の糸かかりけり梅の枝(号梅史)
  城郭の白壁残る若葉かな
  木の間より釣床見ゆる青葉かな
  よき人の机によりて昼ねかな
  刀師の刃ためすや朝寒み
寒菊やころばしてある臼の下
  病いへずうつうつとして春くるる
  行春や母が遺愛の筑紫琴
  行春の今道心を宿しけり
夕立のすぎて若葉の戦ぎ哉


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