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日野草城の一句鑑賞(三)    高橋 透水

2013年12月24日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
切干やいのちの限り妻の恩     草城


 草城が肺炎で床に臥したのは昭和二十一年、四十五歳の時で、さらに肋膜炎・肺浸潤症を併発して療養生活に入った。
 鑑賞句は昭和二十四年の作で、昭和二十八年に第七句集『人生の午後』に所収された。同時期の句に〈煮凝や凡夫の妻の観世音〉〈全身を妻に洗うてもらいけり〉等がある。その句集の扉に草城は妻晏子(本名政江)への献詞を記している。
 「晏子さんへ もしあなたが私を支へてゐてくれなかったら 私の命は今日まで保たれなかつたでせう この貧しい著書をあなたに贈ります これが今の私に出来る精一杯の御礼なのです」
と、公然と妻への感謝の言葉が述べられている。しかし妻への感謝の言葉は、それよりずっと以前から草城が病気になり妻の世話になってから機会ある度に述べられていたのである。
 一方妻の晏子は、慰めになり元気になってくれるのなら、夫草城のために何でもやった。「成長の家」の誌友会にしばしば出席し感動した講話を草城に話したり、また言われるままに俳句を作ってみたりした。句は、〈わが夫はいつも仰向け法師蝉〉〈夫の熱低し初蝶見し日より〉等あくまでも病の夫を暖かくしかも冷静に見つめている。
 ここで、俳人安住敦が草城の「切干や」の句に寄せる思いのこもった句解を紹介したい。
 「いまは全く病床仰臥の身となった作者の、何につけてもその妻の世話になっているという嘆きが、祈りのように詠い上げられている。命の限り妻の恩を受けるだろうし、命の限りその妻の恩は忘れられないという。世にこれほど心をこめて妻の恩を詠った句を知らない」
 まさに「いのちのかぎり妻の恩」の措辞が読み手に深い感動を与えてくれるのである。愛妻家などというものでない。草城には妻政江が仏に見えた感謝の日々であった。

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