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日野草城の一句鑑賞(二)    高橋透水

2013年12月22日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 けふよりの妻と来て泊るや宵の春   草城

 草城は、電車のなかでふと浮かんだという連作十句を、『俳句研究』創刊第二号(昭和九年四月号)に「ミヤコホテル」と題して発表した。掲句の他に〈枕辺の春の灯(ともし)は妻が消しぬ〉〈永き日や相触れし手は触れしまま〉などがある。
 この連句は新婚初夜を過ごす男女のフィクションあり、物語的な構成になっている。つまり〈うしなひしものをおもへり花ぐもり〉などドラマ仕掛けになっているのだ。
 というのも草城が俳句の魅力を知り本格的に句を始める切っ掛けになったのは、蕪村の〈お手討ちの夫婦なりしが更衣〉だったという。が、当時としては画期的な内容で、これらの句に対し賛否両論、支持派と不支持派に別れ思わぬ方向に草城を引き込んだ。
 昭和十一年、『ホトトギス』十月号に一ページを割いて同人変更の告知が掲載された。
 「従来の同人のうち、日野草城、吉岡禅寺洞、杉田久女三君を削除し、浅井啼魚、瀧本水鳴両君を加ふ」
 削除という文字に目を見張った。予期していたというもののやはりショックは隠せなかった。しかし草城にはこだわりは長くなかった。と言うのも、虚子を師として尊敬していたが、必ずしも虚子一辺倒でなかったからだ。
 経歴を追うと早熟な草城は、十八歳で「ホトトギス」雑詠に入選している。十九才で京大三校俳句会をはじめ、鈴鹿野風呂等と「京鹿子」を創刊した。そして二十三歳のとき早くも「ホトトギス」の課題句選者になり、二十八歳で「ホトトギス」の同人に推されている。それほど虚子の期待は大きかった。
 それが、同人を削除されたのである。しかしこの除籍の原因は「ミヤコホテル」が直接的な要因ではないだろう。草城は昭和十年に俳誌の新精神を求め、自由主義に立った『旗艦船』を発刊した。反ホトトギスの表明であり虚子への挑戦であった。こうしたことが保守的な虚子の怒りを買ったものと思われる。
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