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加藤楸邨の一句鑑賞(3)  高橋透水

2013年12月13日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
死ねば野分生きてゐしかば争へり   楸邨

 昭和二十一年の句集、「野慟」に掲載。
 戦後間もなくの日本は、戦犯を筆頭に戦争協力者が批判の矢面に立たされた。戦争の指導者への裁判は当然のことだが、一般国民の間でも、戦争責任の追及が始まった。死の戦場にいた者、銃後で生活に苦しんだ者同士がいがみ合い、知識人や文学者をはじめ俳人とて同様で、かつての仲間に信頼の溝が出来た。
 そんな中で、中村草田男は「芸と文学――楸邨氏への手紙」という表題で「俳句研究」(昭和二十一年七・八号)に発表した。戦中に軍部要人が主宰誌「寒雷」の会員だったことから、楸邨および「寒雷」が何かと便宜を受けたのではないか、と指弾したのだ。そしてもう一点は、子規の写生には『眼』がり、茂吉の『実相観入』の語にも『眼』があるが、楸邨の称える『真実感合』には『眼』が無いと酷評したのである。
 これに対し楸邨は「現代俳句」昭和二十二年の一・二月号で、「俳句と人間とに就いて―草田男への返事」を書いて反論を述べている。苦しい楸邨の心情が窺がえる。
 まず、草田男の戦争責任の追及について、「戦争で死んでいった友人に対し、自分はすまないと思っている。勝つとは思っていなかったが、始まった以上、日本の永遠のため、日本民族が滅亡しないよう祈り続けた。戦の実相を見抜けなかったことは、不明であったが」と書き、続いて楸邨は軍人からの便宜は否定し、非難は非難として受けとめ、生き残ったものは実作を通して歩もうと決意を表明したのである。
 鑑賞句は、中村草田男の楸邨批判への返答と言ってもよい。要は戦死すれば戦場で野ざらしにされることも多々ある。一方で幸いに戦死を免れて母国に戻ってきても、平和を取り戻せば今度は互いに批判し合うことになる。その上戦争に行かなかった人達も,反戦や平和への意識を問われる。これが世の常だ。
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