高橋透水「祈りの風吹く五島列島」 後藤よしみ
五島へ五島へとみな行きたがる
五島はやさしや土地までも
五島へ五島へとみな行きたがる
五島は極楽行って見て地獄
五島へ五島へとみな行きたがる
五島は田舎の衿を見る (俗謡「外海町誌」)
この歌は、江戸後期、迫害を逃れるため長崎の外海地区から五島列島へ新天地を求めて移住した者たちを歌ったものである。沢山の小舟で渡ったという。そこで待っていたのは貧しい土地と移住者としての軽視、そして迫害を潜り抜けなければならない日々であった。五島も「地獄」であったのだ。
五島列島は、北東側から中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島の五つの大きな島およびその周辺の小さな島々からなる。地元や九州では、五島と呼ばれている。
一八六八(明治元)年には大規模なキリシタン弾圧が行われ、「五島崩れ」と呼ばれている。開国後に一層の迫害、拷問と虐殺そして略奪が行われた。一八七三年には明治政府のキリスト教禁教政策が解かれたが、その後も弾圧が加えられた。弾圧で殉教した四三名のその名は、今は慰霊碑に刻まれている。
聖堂が立てられるようになったのは、禁教が解かれてから二十年ほど経ってからである。そこから祈りの島となっていく。そして、弾圧から一五〇年後、二〇一八年には世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として登録された。
今回の一連の句群は、その五島を詠んだものである。
滴りや島に「隠れ」と「落ち」のあり高橋透水
精神的な拷問としての絵踏みの他に、「転びキリシタン」の名を生み出した俵責め、遠藤周作の『沈黙』 の主人公フェレイラを棄教させた穴吊し、雲仙岳の煮えたぎる熱湯をかけた雲仙責め、炭火の上に正座させた炭火責め、身体の一部を切り取っていく刻み責め等々。こうした拷問を受けても、それに耐えて棄教しなければ死ぬしかなく、そうした死は殉教と呼ばれた。殉教を崇高なる死として崇める立場からすれば、聖職者の棄教は背教でもあった。このように、禁教令下の世界は、殉教と棄教と背教が混じり合ったものであった。
掲句は五島の隠れキリシタンを詠んでいる。キリシタンには隠れたまま信仰を保って行ったものと棄教し、仏教に転じたものとがいた。
夏潮やオラショを唱え漁にでる
オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、隠れキリシタンによって長年にわたり、口伝えに伝承されたものと言われている。オラショはラテン語で祈祷文を意味する。信者にとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、暗記して唱えることが大切であった。例えば、葬式の際の「道均し」は死者の魂がバライソへ行けるように天への道を開くためにオラショを唱えた。内容の一部は、「ガラツサ」では「ガラツサミケガラツサミケ、ツモーラマリア・・・」といったものである。現代では、句のように天日の下に唱えることができる。
五島へ五島へとみな行きたがる
五島はやさしや土地までも
五島へ五島へとみな行きたがる
五島は極楽行って見て地獄
五島へ五島へとみな行きたがる
五島は田舎の衿を見る (俗謡「外海町誌」)
この歌は、江戸後期、迫害を逃れるため長崎の外海地区から五島列島へ新天地を求めて移住した者たちを歌ったものである。沢山の小舟で渡ったという。そこで待っていたのは貧しい土地と移住者としての軽視、そして迫害を潜り抜けなければならない日々であった。五島も「地獄」であったのだ。
五島列島は、北東側から中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島の五つの大きな島およびその周辺の小さな島々からなる。地元や九州では、五島と呼ばれている。
一八六八(明治元)年には大規模なキリシタン弾圧が行われ、「五島崩れ」と呼ばれている。開国後に一層の迫害、拷問と虐殺そして略奪が行われた。一八七三年には明治政府のキリスト教禁教政策が解かれたが、その後も弾圧が加えられた。弾圧で殉教した四三名のその名は、今は慰霊碑に刻まれている。
聖堂が立てられるようになったのは、禁教が解かれてから二十年ほど経ってからである。そこから祈りの島となっていく。そして、弾圧から一五〇年後、二〇一八年には世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として登録された。
今回の一連の句群は、その五島を詠んだものである。
滴りや島に「隠れ」と「落ち」のあり高橋透水
精神的な拷問としての絵踏みの他に、「転びキリシタン」の名を生み出した俵責め、遠藤周作の『沈黙』 の主人公フェレイラを棄教させた穴吊し、雲仙岳の煮えたぎる熱湯をかけた雲仙責め、炭火の上に正座させた炭火責め、身体の一部を切り取っていく刻み責め等々。こうした拷問を受けても、それに耐えて棄教しなければ死ぬしかなく、そうした死は殉教と呼ばれた。殉教を崇高なる死として崇める立場からすれば、聖職者の棄教は背教でもあった。このように、禁教令下の世界は、殉教と棄教と背教が混じり合ったものであった。
掲句は五島の隠れキリシタンを詠んでいる。キリシタンには隠れたまま信仰を保って行ったものと棄教し、仏教に転じたものとがいた。
夏潮やオラショを唱え漁にでる
オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、隠れキリシタンによって長年にわたり、口伝えに伝承されたものと言われている。オラショはラテン語で祈祷文を意味する。信者にとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、暗記して唱えることが大切であった。例えば、葬式の際の「道均し」は死者の魂がバライソへ行けるように天への道を開くためにオラショを唱えた。内容の一部は、「ガラツサ」では「ガラツサミケガラツサミケ、ツモーラマリア・・・」といったものである。現代では、句のように天日の下に唱えることができる。
責めぎ石むざんに積まれ苔の花
中通島に隣接する頭ヶ島。信仰の自由が認められたとき、祈りの拠点となる「教会」が築かれました。世界文化遺産の構成遺産として、頭ヶ島の集落も認定されている。その頭ヶ島天主堂の正面右側に角柱状の石が井桁に組まれているが、これは拷問用の石である。「石抱き」、「算木(さんぎ)責め」、「算盤責め」と呼ばれる拷問が行われていた。まさに無残である。苔の花が悲しさを呼ぶ。
拷問の汗と血の服残りをり
その拷問により信者らは命を落としていった。当時の衣服が残っているのである。宗教弾圧の過酷さが一読して伝わってくる。遠藤周作の作品を原作として、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙―サイレント―』においても、キリシタンへの激しい迫害、拷問や処刑のシーンが描き出されている。しかし、現実はより悲惨であった。
夏風や隠れ信者の錆クルス
信者はオラショを唱えるほか、慈母観音像を聖母マリアに見立て(今日の「マリア観音」)、聖像聖画やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵して「納戸神」として祀っていた。そのクルスが潮風で錆び残っているのである。
船虫や五右衛門風呂の漁師小屋
五島はリアス式海岸の入り組んだ小さな入江が数多くあり、集落には港を蔵している。入江はまた絶好の海水浴場でもある。エメラルドグリーンの海が待っている。舟虫もオラショを唱えそうである。そして、今は懐かしい五右衛門風呂が使われている。
ちぬ漁や耶蘇名パウロ天仰ぐ
五島周辺は有望な漁場でもある。チヌとヘダイ、アラカブ、メバルとさまざまな魚が取れる。漁師の島でもある。その漁師の洗礼名が「パウロ」。パウロは初期キリスト教使徒で、イエスの直接の弟子ではなかったが崇められている。五島では、浦頭教会の保護者の地位を占めている。漁師パウロに天の恵みのチヌを与えては下さらなかったのであろう。
混血の信徒の鼻の日焼けかな
五島の信者は代々の土地の人であるが、島の外からも人はやって来る。数えて何代目になるかはもう分らないのであろうが、言わゆる国際結婚の人であろう。その高い鼻が日焼けしているのである。江戸時代であれば、二重に迫害を受けたであろうことは想像に難くない。現代は、誇らしい日焼け顔となっている。
老鶯やミサへ急ぎの漁師妻
五島の教会では多くが今もミサを行っている。日曜日の場合も多いが、平日も朝や夕方に行われる教会もある。それ故、日々のたつきの合間に駆け付ける。それが生活の柱であり、信者の心のよすがでもある。そして、何より島の自然は豊かである。
シスターの仏徒に恋す運動会
五島には十一の修道院があり、シスターが信仰を守っている。地元の町では地域おこしもかねて運動会が行われている。そこでは地元に密着しているシスターたちが大いに活躍しているという。頼もしい限りである。
作者は、隠れキリシタンの島として巡行している。鑑賞を書いている筆者も四十数年前に五島を訪れている。最初に上陸した奈留島の印象が強い。港に降りてすぐに地元の人に声をかけられた。夕方まで島を巡るのだというと時間があったら車で案内するのだが、と残念がられた。
奈留島には五島の中でも小島にも関わらず高校が開設されていた。松任谷由実、ユーミンがデビューから間もない一九七四年、その奈留島の女子高校生がラジオ番組に送った「自分たちの学校の校歌を作って欲しい」という一通の便りに応えて、書き下ろした楽曲が「瞳を閉て」。奈留島の海や山のイメージを詩に託したもの。高校を卒業すると同時に、進学や就職で島を離れていく奈留島の若者。“遠いところへ行った友達に潮騒の音がもう一度届くように”と歌うこの曲は、今も島の卒業式で歌い継がれている。
この奈留島の江上集落は、歴史遺産に指定されている。キリシタンが狭い谷間に移住し、地勢に適応した江上天主堂を建設した集落である。
冒頭の俗謡のように一度は行ってみたい歴史と文化と自然の島々である。そして、佳句である。
中通島に隣接する頭ヶ島。信仰の自由が認められたとき、祈りの拠点となる「教会」が築かれました。世界文化遺産の構成遺産として、頭ヶ島の集落も認定されている。その頭ヶ島天主堂の正面右側に角柱状の石が井桁に組まれているが、これは拷問用の石である。「石抱き」、「算木(さんぎ)責め」、「算盤責め」と呼ばれる拷問が行われていた。まさに無残である。苔の花が悲しさを呼ぶ。
拷問の汗と血の服残りをり
その拷問により信者らは命を落としていった。当時の衣服が残っているのである。宗教弾圧の過酷さが一読して伝わってくる。遠藤周作の作品を原作として、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙―サイレント―』においても、キリシタンへの激しい迫害、拷問や処刑のシーンが描き出されている。しかし、現実はより悲惨であった。
夏風や隠れ信者の錆クルス
信者はオラショを唱えるほか、慈母観音像を聖母マリアに見立て(今日の「マリア観音」)、聖像聖画やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵して「納戸神」として祀っていた。そのクルスが潮風で錆び残っているのである。
船虫や五右衛門風呂の漁師小屋
五島はリアス式海岸の入り組んだ小さな入江が数多くあり、集落には港を蔵している。入江はまた絶好の海水浴場でもある。エメラルドグリーンの海が待っている。舟虫もオラショを唱えそうである。そして、今は懐かしい五右衛門風呂が使われている。
ちぬ漁や耶蘇名パウロ天仰ぐ
五島周辺は有望な漁場でもある。チヌとヘダイ、アラカブ、メバルとさまざまな魚が取れる。漁師の島でもある。その漁師の洗礼名が「パウロ」。パウロは初期キリスト教使徒で、イエスの直接の弟子ではなかったが崇められている。五島では、浦頭教会の保護者の地位を占めている。漁師パウロに天の恵みのチヌを与えては下さらなかったのであろう。
混血の信徒の鼻の日焼けかな
五島の信者は代々の土地の人であるが、島の外からも人はやって来る。数えて何代目になるかはもう分らないのであろうが、言わゆる国際結婚の人であろう。その高い鼻が日焼けしているのである。江戸時代であれば、二重に迫害を受けたであろうことは想像に難くない。現代は、誇らしい日焼け顔となっている。
老鶯やミサへ急ぎの漁師妻
五島の教会では多くが今もミサを行っている。日曜日の場合も多いが、平日も朝や夕方に行われる教会もある。それ故、日々のたつきの合間に駆け付ける。それが生活の柱であり、信者の心のよすがでもある。そして、何より島の自然は豊かである。
シスターの仏徒に恋す運動会
五島には十一の修道院があり、シスターが信仰を守っている。地元の町では地域おこしもかねて運動会が行われている。そこでは地元に密着しているシスターたちが大いに活躍しているという。頼もしい限りである。
作者は、隠れキリシタンの島として巡行している。鑑賞を書いている筆者も四十数年前に五島を訪れている。最初に上陸した奈留島の印象が強い。港に降りてすぐに地元の人に声をかけられた。夕方まで島を巡るのだというと時間があったら車で案内するのだが、と残念がられた。
奈留島には五島の中でも小島にも関わらず高校が開設されていた。松任谷由実、ユーミンがデビューから間もない一九七四年、その奈留島の女子高校生がラジオ番組に送った「自分たちの学校の校歌を作って欲しい」という一通の便りに応えて、書き下ろした楽曲が「瞳を閉て」。奈留島の海や山のイメージを詩に託したもの。高校を卒業すると同時に、進学や就職で島を離れていく奈留島の若者。“遠いところへ行った友達に潮騒の音がもう一度届くように”と歌うこの曲は、今も島の卒業式で歌い継がれている。
この奈留島の江上集落は、歴史遺産に指定されている。キリシタンが狭い谷間に移住し、地勢に適応した江上天主堂を建設した集落である。
冒頭の俗謡のように一度は行ってみたい歴史と文化と自然の島々である。そして、佳句である。
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