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山口誓子の一句鑑賞(14)高橋透水

2019年02月17日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
蟷螂の眼の中までも枯れ尽くす 誓子

 一般的に、蟷螂は秋になると周りの色に合わせて枯葉色になる。環境によって変化するいわゆる保護色で、これが枯蟷螂の姿だという。果たしてそうだろうか。
 実は、夏に活動する青々しい蟷螂と秋から冬にみられる枯蟷螂とは別種であり、よくいわれるように蟷螂が枯れたのではない。
 鑑賞句も下五の「枯れ尽くす」の措辞から、これは枯蟷螂と思われることから、誓子自身もそんな認識であったらしい。自選自解では、
「青いかまきりは、冬になると、枯れて、黄になる。全身が枯れるのである。顔も、翅も、腹も、肢も、すべて。頭が枯れれば、その眼の中まで枯れてしまう」とある。勝手な思い込みは誰にもよくあることだ。続いて「私は、かまきりの、視野を想像してみる。複眼の底まで黄色くなってしまっているから、視野は黄色いだろう。人間の知らぬ視野だ」となおも勝手な想像を膨らましている。
 体が枯れるのだから、眼まで枯れてもなんの不思議はない。「枯れ尽くす」と言い切ったことは誓子を満足させたことだろう。そうした誤解はさて置き、「視野は黄色いだろう」と思うのはいかにも詩人らしい表現である。
 誓子は蟷螂の句を他にも作っている。〈かりかりと蟷螂蜂の皃を食む〉〈蟷螂の四肢動かざるところに死す〉 〈蟷螂よ手が利かぬやうになるぞ〉これらは蟷螂の生きいきとした生態を活写し、また死の寸前の昆虫たちをなんの感情を出すことなく冷静な写生に留めている。
 これらの句のなかで〈蟷螂の四肢動かざるところに死す〉は村上鬼城の〈冬蜂の死にどころなく歩きけり〉を彷彿させる句だが、鬼城に及ばない。直截的な表現に終わっている。しかし鑑賞句はさすがに誓子らしい感慨深いものがある。「眼の中までも枯尽くす」は鑑賞者を欺きかねないが、病身だった誓子の心情を汲むと妙に納得してしまう。
 昭和二十三年作。三十年刊の『和服』に所収されている。


  俳誌『鴎座』2018年12月号より転載
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