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西東三鬼の一句鑑賞《工人ヨセフ我が愛す》    高橋透水

2014年10月10日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

 聖燭祭工人ヨセフ我が愛す       三鬼

 三鬼と言うと〈水枕ガバリと寒い海がある〉〈おそるべき君らの乳房夏来る〉〈秋の暮大魚の骨を海が引く〉などの句がすぐ口にでるが、掲句は彼の生い立ちを象徴的に表していると言えないだろうか。
 とかく幼児期の事件や事故の体験は人の一生を左右することさえある。特に愛する者の死の体験は、終生悲しみの追想を引き起こすものだ。明治三十三年生れの三鬼は、六歳の時に父の死に会い、さらに十八歳の時に、母親をスペイン風邪で亡くしている。
 父の死後、十九才年長の兄の扶養を受けることになった三鬼は故郷の津山中学から青山学院中学部に編入し、更に高等部に進学している。この青山の中学部・高等部を通じて、キリスト教や聖書から幾らかの知識を得、なんらかの影響を受けたものと思われる。三鬼の自叙伝的な自己紹介によると、「青山学院中学部に転学し、メソジスト教育を受けた」とあることからも推測出来よう。ちなみにメソジストはキリスト教プロテスタントの一派である。
 鑑賞句は昭和十一年、三十六歳の作。句集『旗』の冒頭に「アヴェ・マリア」の一連作があり、聖書もしくはキリスト教をテーマにした作品は「魚と降臨祭」などにも散見される。もちろんヨセフは、イエスの母マリアの夫。ナザレの人で大工。イエスの養父である。
 社交的で人に好かれる性格だったが、三鬼の句にはニヒルもあればどこか倦怠感もある。それら一抹の哀しさと侘しさのなかに愛を感ずるとすれば、幼児期の父の死と過感な青春時代に母を亡くしたこと、十代半ばの女性との早すぎる肉体関係、そしてキリスト教の感化、さらに大戦前後の険悪な社会情勢、これらの影響が考えられる。またヨセフには父に代わって三鬼の面倒をみた長兄の姿が重なる。


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