のびたとブレイク

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母こそは命の泉 不登校の私を救ってくれた

2014年05月09日 10時25分53秒 | うたごえ

母こそは命の泉いとし子を~ このフレーズの分だけメロディが浮かぶ
あとはおぼろげにメロディが出てくるだけで 気になっていた
ネットで販売する楽譜のサイトに 母の歌と入力しても出てこない

図書館へ調べに行っても この曲は無かった
かろうじて ネットで歌詞だけは見つけることが出来た
昭和18年 初等科の音楽に使われていた

先月 ウォーキングで他の図書館に行った時 思い出して探した
ようやく楽譜に辿りついた
今はあまり聴かない ユーチューブにも無い名曲であった

母こそは命の泉 いとし子を胸に抱きて微笑めり
若やかに うるわしきかな 母の姿



思えば 私の教師への想い出は良い方と悪い方と極端だった
小学校低学年の時 遠足で弁当も持って行かれない私がいた
そっと 私を呼んで お弁当を分けてくれた男性教師がいた

信州の山奥から東京に来たのが 小学校5年 思わぬ出来事に遭遇した
生徒の悪戯を咎めて 男子生徒を二列に対面させて 相手を殴れという
私は理由もなく殴れず立っていたら その男性教師に嫌というほど殴られた



中学校では2年生の時 不良グループの悪質な悪戯を教師が私に濡れ衣
みんなの前で散々罵倒され 挙句の果てに廊下に一時間立たされた
この時は そばを東武電車が走っており 眺めていて気を紛らわした

多分 7月の初めだっただろうか この時から学校に行くのが嫌になった
母には心配させないように 毎朝カバンを持って定時に出かけ夕方に戻る
行き先は荒川の土手を歩いたり 遠くの街まで歩いてさ迷った

夏休みを前に 通信簿はと母に問われると 途中で無くしたと答える
この期間は家に居ても良いから 普通に暮らせることが出来た
9月になると また果てもない放浪の毎日を続けた

雨の時 冬になって寒さが厳しい時は身に応えた
母を騙して 学校のお金がいると 何がしかの金をせびり 用意していた
入るところは 映画館である 3本立ての安い映画館があって良く見た



西部劇も 母もの映画も 今は名画となった作品も見た
母はうすうす感じていたろう 冬休み前の通信簿も見せることが出来なかった
1月になったある日 母が私に不登校の事を聴く

理由は問わない そんなに学校が嫌な事があるのだろう
一緒に死のうと私に呼び掛ける この頃になると不登校もそんなに悲しくない
それよりも思いつめた母の愛の方が 私を目覚めさした

ごめん 学校に行くよと答えた
7月から1月まで 7ヶ月 長期に不登校していた
あらためて学校の門をくぐる日 母が付いて行こうかと言うが大丈夫と断った

担任も不良グループもいたが 必死に勉強の遅れを取り戻すことに集中した
すぐに追いついて 一目おかれるようになった
この時から笑顔を作れるようになった 笑顔でいればやがて身についてしまう

誰も怨んではいない 今はこの試練が人生にとって大きな糧となっている
復帰してから一時は 教師の道を目標にしたが 貧乏で高校は定時制を選ぶ
町工場で働きながら学校に行ったことも 楽しい想い出となって話が出来る



他人が経験できないような試練は 今となっては 良かったと思える
厳しい冬があってこそ 春の暖かさが嬉しく 感謝を覚えるのだ
母の想い出はいろいろあるが この時期 いつも思い出す 悪かったねと・・・・

最後までお読みくださいまして有難うございました 
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