川柳にしたけれど 主語が無い 何を?と思うだろうね
聴く側が想像する こんなテクニックは私には無い どう練っても短い句にならないのだ
母を想う 母が私を想う ある日の出来事であった
母は80歳頃 信仰する教会の「献身」と言って 祈祷所の保守 管理などを任されていた
普段は 掃除をして磨き 屋外の草取りをする 報酬は無い 「献身」なのだ
信者が来れば お茶を出したり 飲食の世話もする
ある日 私は知人から貰い受けた クラブなどに置いてある少し小さいグランドピアノを寄贈した
その頃 ピアノはある程度弾けたが 30代後半からの独学で あまり上達していない
この場所は 観光地の鬼怒川から少し離れた山の中にある
トラックから降ろして 帰ろうとした時に この言葉が母から返ってきた
そのグランドピアノを撫でながら 「このピアノをお前だと思って 毎日磨いているね」
たった一言だけだったが その顔と仕草と言葉が 今でも脳裏を離れない
今のように弾けるなら 「母さん 好きな歌でも一曲弾こうか」 こんなことも言えたのに・・・
それまでも その以後も 私は母にピアノを聴かせたことは無い
もし 聴いてくれたら どんなに母が喜ぶだろうかと 今でも悔やまれてならない
介護施設にボランティア訪問に行くたび 高齢の女性たちの喜ぶ顔が見える
時には その顔が 母に重なることがある
「母さん 聴いているかい?」 心で想いながら 楽しそうな高齢の方々を見遣るのだ
最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m
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