かって 三丁目の夕日 の映画の頃 家々の路地は子どもの遊び場だった
マンションや高層ビルも無い 隣近所はみんな知り合い 道で会えば挨拶が交わされる
その時代の遊び 缶けり ビー玉 メンコ ベーゴマ なわとび 竹馬 けん玉 などがある
家の中では おばあちゃんや女の子が まりつき あやとり おはじき お手玉をして遊ぶ
当時はテレビも無い 家にお風呂も無い 全体に貧しいが人々の心は豊かだった
朝夕の豆腐売りのラッパ 金魚売り 竹竿売りも懐かしい 私も納豆売りを早朝したものだ
現在の子どもは 考えてみるとちょっと環境も可哀想だ
母ちゃんただいま~なんてランドセル放り出して遊びに出る そこにはいつも母が居る
今の時代は帰っても母は働きに出ている 食事も一人で食べる 遊ぶ相手は居ない
塾に通い夜になって帰る子どもたちも大勢居る
外で誰かに声を掛けられたら不審者だと思え 口を聞いてはいけませんよと躾けられる
子どもの貧困も取り上げられている 遊ぶ相手は誰? ゲーム機になっても仕方が無い
ゲームは夢中になるが 心のどこかに寂寞感もあるだろう 母子も祖父母も友達も居ない
かっての子どもの遊びの文化は こうして消えて行く
大切な子ども時代の心の豊かさ 連帯感 発想力 こののままではいけない
昨日のてんがらもんラジオ 遊びの研究者 山本清洋さんが警鐘を鳴らす
子どもの貧困などの課題は 政治や行政に任せて 環境を整備しなければならない
昔からある遊びを子どもたちに伝承させようと いろいろな遊びを今に蘇らせている
中でも お手玉は歴史もある日本の特色ある遊びである
平安時代から 文献には出ており あの西行法師も歌に詠む
江戸時代には 歌川広重も 子どもの遊びを描いている
男の子は自身では遊ばないが 姉や母 女の子たちの お手玉の姿を覚えている
手まり歌 お手玉数え歌も 今でも歌える方が多い 地方によって内容は若干違う
日露戦争 あんたがたどこさ 一番はじめは 一かけ二かけ 番組でも楽しそうに歌う
そこには いつも誰かが寄り添っている 母や祖母友だちが居て心地良いものだ
誰かが教え 誰かに教わる 新しい遊び方を考える 羨ましいような人の絆である
9月20日は お手玉の日 である 初めて新居浜市で全国大会を開催した記念日だ
てんがらもんラジオ視聴できます
http://www.ustream.tv/recorded/107197365
参考 西行の詠んだ和歌
「いしなごの 玉の落ちくるほどなさに 過くる月日は かはりやはする」
わらべたちが興じているお手玉、その放り上げられた玉の落ちてくる速さと、
人の 身の上に過ぎ去っていく時の速さとのあいだには、さほどの違いなど
あるのだろうか、いや、違いなどないのだ
日露戦争
一 一列談判(らんぱん)破裂して
二 日露戦争始まった
三 さっさと逃げるはロシアの兵
四 死んでも(死ぬまで)尽くすは日本の兵
五 五万の兵(御門の兵)を引き連れて
六 六人残して皆殺し
七 七月八日の戦いに
八 ハルピンまでも攻め込んで
九 クロバトキンの首を取り
十 東郷元帥万々歳 (十でとうとう大勝利)
あんたがたどこさ
あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ 熊本さ
熊本どこさ せんばさ せんば山にはタヌキがおってさ
それを猟師が鉄砲で打ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉でちょっと 隠す (おっかぶせ)
一番初めは
一番初めは 一の宮 二また日光 東照宮 三また佐倉の宗吾郎
四はまた信濃の善光寺 五つは出雲の大社(おおやしろ)
六つ村々 鎮守様 七つ成田の不動尊 八つ八幡の八幡宮
九つ高野の弘法さん 十でところの氏神さん (十は東京 心願寺)
一かけ二かけ
一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋をかけ
橋の欄干腰を掛け はるか向こうをながむれば
十七・八の姉さんが 花と線香を手に持って
姉さん姉さんどこ行くの 私は九州鹿児島の
西郷隆盛娘です 明治10年3月に
切腹なされし父上の お墓参りにまいります
お墓の前で手を合わせ なむあみだぶつと拝みます
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番組で紹介されたうただけでなく、色々の資料ありがとう
ございます。とても貴重な記録になります。広重の絵も
先生も持参されていましたが、こうして見せていただくと
視聴した人もしない人もとてもありがたいです。
情報処理能力?なんていうと・失礼ですが、限られた
時間の中でのアップは大変なこと。あたまの巡りの問
題でもあります。ありがとうございました。
のびたさんは本当に頭の回転が
早いですね・。
すごいです!お手玉のうたは哀しいもの
ばかり・・。切ないです。・
いつもお疲れ様でした!
お手玉わたしも小さいころ母に
教わった覚えがあります・・。
懐かしいです。
ボールを使って手足を使って遊びました。
ボールを持っている子にせがんで遊んだ放課後。休み時間。
懐かしいです。
昔は結構出来たのに、孫に自慢できるほど
出来なくなりました(汗)
数え歌、すっかり忘れてしまいました。
9月20日はお手玉の日!
そんな日があるんですね。
とても分かりやすくて そうそう‥と
懐かしいです。
昔はできたお手玉が いつの間にか下手になって😅
子供たちに伝えはなければと思いまず。
とろけて無くなってしまいそうです。。。
子どもたちの遊び、自分が子供だった頃とも
比べてみても、大きく様変わりしていますね。
まず、外に出ては遊びません。
パトロールしていても、子どもたちの姿など
ほぼ見ません。
エアコンのきいた中で、テレビ三昧、ゲーム三昧でしょう。
生活科で、昔の遊びをしても、凧揚げ、ベーゴマ、羽根つき、お手玉、けん玉など昔の遊びの経験は、少ないです。
「あんたがたどこさ」は、音楽の授業で、「一番はじめは」は、暗唱教材として1学期に扱いましたよ。
昭和の遊びは とても懐かしいです
お手玉でも良く遊びましたよ
中にアズキを入れて祖母が作ってくれましたヽ(^o^)丿
さわりの部分は思い出せるのですが忘れていました。
孫たちに、ほんわり温かい古き時代のことを
伝えておきたいなと思っています。
こんど一緒にお手玉作ってみますね。
女の子はお手玉遊びにゴム輪をいくつも繋いで
段飛び遊びを、男の子は缶蹴り・メンコ遊びなど
外に出て夕方遅くまでしていましたね。
今の子たちは塾通いで忙しく、家の中ではゲーム
遊びを一人でしています。
これから先の子供の将来は、このままで良いのでしょうか!
以前歌詞がよく分からず調べたりしていました。
母が生きているうちにと思うだいたいの歌詞は書いておいたのですが・・・
その母もとっくにあっちへ行きましたがお手玉のこととなると思い出します。
自分で作ったりして遊びますがどうにもうまくできない
上の姉は3つでもすごく上手にいつまでもできるのに・・・
お手玉遊びって脳の活性化にもいいそうですね
のびたさんからもっと大きく広まるといいです~
下町の良さがこれでもかと感じさせてくれる
映画です(^^♪
お手玉は母に縫ってもらいそのうち自分で縫って
よく遊びました、懐かしいです。
それこそ手作りの遊びですね。
一番初めの歌は私たちも歌いながらお手玉をしました、
所どころ歌詞が違いますが、
子供の頃学校から帰るなり近所で缶蹴り陣取りなどして遊びました、
自分より大きな子が暗くなるまで遊んでくれました、
どちらかというとお手玉より外で遊ぶのが好きでした、
あの頃はいじめなどなく大きな子が小さな子を
上手く遊んでくれたものです、
何もなかったけど心豊かに生活していたような気がします。
てんがらもん お疲れ様でした
子どもの遊びの数々 そしてお手玉の思い出 リスナーの皆さんの胸に響くものです
遊びの場所 遊び方 これらも大切なことですが 子どもの貧困問題も陰にありますね
これらを無くすことで遊びの心の余裕も生まれるでしょう
お手玉が平安時代からあること 勉強になりました
話しを聞きながら 頭の中がぐるぐるつと回転してしまいます(笑)
考えるのが好きなんですね
お手玉の歌 出来た時代を考えれば 世相を反映していたのでしょう
今に当てはめれば無理がありますが リズムも良くお手玉数え歌として伝承されて来たのではないでしょうか
あんたがたどこさ これは私もお手玉より まりつき歌としてイメージしていました
歌の最後に まりをスカートの中に入れて隠します
お孫さんとお手玉遊び 微笑ましい光景ですね
優しいおばあちゃんの姿が眼に浮かびます
数え歌 一部分は覚えているでしょう?
お手玉の日 9月20日 私もネットで知りました
昨夜は眠くなりそうな眼で見るだけでした
朝はしっかりネットでも調べたり 勉強になりましたね
お手玉 今でもお持ちですか?
私の母や姉は 小豆を入れたお手玉 東京へ来てからは
じゅず〇〇ナントカの 草の実を入れていましたね
東京も暑さの仲間入り3日目くらいです(笑)
教師として 多くの子どもたち そして家庭を見てきていますね
自分の頃と比べると 大きく様変わりしているでしょうね
今はテレビを見るか ゲーム三昧! 想像できます
学校で 昔の遊びを取り上げるのですか
大切な伝承だと思います
あんたがたどこさ うたごえでも歌いますが 学校で歌うなんて嬉しいことです もう歌っていないと思いました
一番始めは 暗唱教材! これも感心しました
昭和の遊び 女の子のものでも 懐かしく感じますね
お手玉をおばぁちゃんが作ってくれること 昔の良さです
子供達が遊んでいました。
遊具だったり、ボール遊びなどにぎやかでした。
いつの頃からか、子供達の姿が見えなくなりました。
今は、どこで遊んでいるのかと気になっています。
あんたごとどこさは、まりつきで遊びました。
お手玉は、孫と遊ぼうと思いアマゾンから取り寄せ
たことがあります。
やはりこのごろは、ゲームの方が楽しいようです。
数え歌のいくつか懐かしいでしょう
あんたがたどこさ この他に ずいずいずっころばし など
私のうたごえでも取り上げます
お手玉はお孫さんと遊べる良いものですね
懐かしい遊びを思い出しますね
そう言えば 私の周りでも 輪ゴムを繋いで段跳び遊びをしていましたよ
缶けり メンコ ビー玉 べーごま は私も遊びました
今の子どもたち 少し可哀想な気にもなります
何とか昔の遊びも伝承して欲しいです
ネットで歌詞を調べたら 私の薄れ行く記憶も思い出しました
お手玉で遊んでいた姉や母 そして女の子 今でも眼に浮かびます
脳の活性化にも効果あるでしょう
介護施設にも置いてありました
3丁目の夕日 映画では3部作になりましたね
あの主役の男性 子どもの頃から楽しみでしたが良い俳優になりましたね
お手玉を母から教わり 自分で作る そしてお孫さんへと伝承されていくこと 意義ありますね
歌詞は地方によって 部分的に違うようです
わらべ歌は 歌いながら伝承されて行きますから 今のようにテレビもラジオも無い時代 地方で変えられて行ったでしょう
そらままさん 子どもの頃は男子女子の差は無かったようですね
女の子の方が勝っていた年齢もあると思います
陣取り けんけんぱ 道路でよく遊んでいましたね
良い時代です
公園に居る子供たち 私の時代ですと 紙芝居も楽しみでしたね
遊具で遊んでいる光景 最近では見かけなくなりました
家で一人ゲーム機で遊んでいるか 児童館 塾にでもいるのでしょうか
お手玉では 成長した子供には 歓びや刺激が少ないかも知れませんね
輪ゴムに縄跳び懐かしいです。
おじゃみもよく作って遊んでましたよ。
のびたさんへ
マリババのコメントにcihidoniさん宛のコメがありましたよ。お知らせします。
懐かしい遊びの数々でしたね
輪ゴム縄跳び 記憶にあります
おじゃみって何?
間違いコメントすみません
削除して下さいね そそっかしのびたです(笑)