旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

甲州道中紀行10 韮崎宿~台ヶ原宿~教来石宿

2016-11-19 | 甲州道中紀行

 甲州道中の韮崎宿から蔦木宿(長野県富士見町)辺りまで続く七里岩は、
釜無川の侵食により形成された高さ10mから40mの侵食崖だ。
その南端に優美な平和観音が、市民の平和や登山者の安全を祈願して韮崎市内を見下ろす。

 

08:50 「韮崎宿」
 街道沿いの清水屋旅館は弘化二年(1845年)創業と云う。
通りを隔てた歯科医院が韮崎宿本陣の跡で問屋を兼ねていたそうだ。
甲州道中を参勤したのは、高島、高遠、飯田の信州の小藩。宿泊することは少なかった。

 

宿場を発って10分、青坂の分岐に差し掛かる。左手を直進するのは甲州道中。
右手に勾配を上って行くのは通称「原路」、甲州道中裏街道だ。
この先台ヶ原宿までの甲州道中が、しばしば釜無川の氾濫で通行不能になったことから、
七里岩上に迂回路として開削されたものだ。ちなみに甲州道中本路を「河路」と呼ぶ。

 

右手に七里岩の浸食崖を見ながら釜無川沿いを往く。
祖母石(うばいし)地区に茅葺の武家門がある。旧くは武田家に仕えた名家だそうだ。
享保九年(1724年)に遷座された神明宮は旧祖母石村の鎮守。
常夜燈が金毘羅山であるのは釜無川の舟運に由来するものだそうだ。

 

南無阿弥陀佛と彫られた碑は、表面が朱に塗られていることから赤地蔵と呼ばれている。
この辺り釜無川の対岸(南西方向)を望むと、薄らと雪を被った山々が見える。
多分、地蔵岳・観音岳・薬師岳の鳳凰三山だと思う。南アルプス北端の2800m級の山々だ。

10:35 「穴山橋」
 穴山橋で釜無川を渡る。川に沿う浸食崖が七里岩、遠く雲がかかった八ヶ岳が望める。 

 

釜無川西岸を往く。上円野地区はR20を離れて並行する旧道を進む。
緩い勾配の屋根、深い軒、雀おどり、本棟造りの立派な民家を見かけた。
中山道を往く信州は塩尻周辺で多く見かけた記憶がある。
なまこ壁の蔵を持つ内藤家は、明治十三年、明治天皇巡幸の御小休所を務めている。

11:00 「小武川橋」
 釜無川の支流を小武川橋で渡ると北杜市に入る。
左手に聳えるのは標高2970mの甲斐駒ケ岳、急峻で独立峰のように屹立する山容が美しい。
もちろん日本百名山に数えられている。 

 

上三吹(かみみふき)地区でもR20と離れる。
この辺りは集落ごと、火見やぐらがある風景を見ることができる。
集落の外れ、釜無川の堤に江戸日本橋から42番目の一里塚跡碑があった。
甲府柳町から七里目なので「七里塚」と通称される。

     

11:55 「横山道標」
 支流の尾白川を渡ると、この川に沿って500mほど古道を歩くことができる。
その江戸方入口に「横山道標」が在る。三基祀られた馬頭観音のうち二基は道標を兼ねる。
「右かうふみち、左はらぢ通」は安政五年(1776年)、
「左はらみち」は寛政四年(1792年)に建立されている。
「はらぢ」または「はらみち」は、韮崎の青坂で分岐した、七里岩上の裏街道のことだ。

 

12:10~13:20 「台ヶ原宿」
 古道を歩き切るとR20とクロスする台ヶ原下交差点が、宿場の江戸方の入口になる。
「日本の道百選」に選ばれているようで、期待に違わない素敵な町並みを見せてくれる。 

 

白味噌を商っている永楽屋さん、酒林を吊るしている岡崎酒店さんと続く。
残念ながら小松屋本陣は今はなく、跡地には火の見やぐらが建っていた。
台ヶ原宿は本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠14軒の規模だ。

圧巻なのは「七賢」の山梨銘醸、寛延三年(1750年)創業の老舗酒蔵は街道の華に相応しい。
“七賢 大中屋 純米大吟醸” は、ダボス会議の公式レセプションに4年連続で供されている。
蔵で吟醸酒「劉伶(りゅうれい)」を楽しんだ後、直営の「臺眠(ダイミン)」を訪ねる。

 
 

メニューは、白州の自然が育んだ米、野菜、果物を活かした定食が用意されている。
ついつい「呑み鉄」気分で “旬酒おつまみセット” を頼んでしまう。
小鉢五種と甲州豚の塩麹漬け焼きで1,800円、吟醸酒の肴に楽しませていただいた。

山梨銘醸の向かい側に信玄餅の「金精軒」がある。重厚な佇まいは旧旅籠の建物だ。
旅のつれづれに、酒まんじゅうと黒糖まんじゅうをいただいて、あとひと宿分を進もう。

 

宿場の外れには「旅籠津留や」が佇まいを残し、3枚の講札が揚げられている。
隣の新館では「つるや旅館」が営まれる。旅籠風情の建物が永く残ってくれると嬉しい。

 

 台ヶ原宿の先も、R20に並行する旧道を往く。白須地区に甲州特有の丸石道祖神を認める。
この辺りには平安時代から一里にわたって松原が続き、「白須松原」と呼ばれたそうだ。
集落の外れには馬頭観音をはじめとした石仏石塔群がある。

     

 それにしても、吟醸酒を楽しんだのが原因か、ペースがまるで上がらない。
中央本線から離れてしまった甲州道中、東京へ戻るには1日5往復の市民バスに乗らないと。
七里岩の向こうに八ヶ岳が見えてきた。

 

14:30 「教来石宿」
  教来石宿は本陣1、脇本陣1、旅籠7軒のこじんまりとした宿場だ。
河西本陣跡は更地になっていて、比較的新しい明治天皇御小休所址碑が建つのみだ。
教来石宿到着は、乗車必須の韮崎行き北杜市民バスの発車10分前、周辺散策は次回の宿題だ。
韮崎宿から台ヶ原宿で「七賢」を楽しんで教来石宿まで、21.5km、所要5時間35分の行程。
次回はいよいよ信州へと進める。下諏訪まではあと36.5kmだ。


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