「戦後の国体」とは何のことか。一言で言えば、米国が天皇に成り代わった「再編された天皇制統治体制」というのが白井氏の主張だ。

2020-09-20 05:09:05 | ローマ法王
[書評]米国という「新しい天皇」を崇める日本、危険な未来
登録:2020-09-18 23:17 修正:2020-09-19 12:09


『国体論-天皇制の中に盛り込まれた日本の虚構』(原題『国体論-菊と星条旗』)白井聡著、ハン・スンドン訳

        

『国体論-天皇制に盛り込まれた日本の虚構』白井聡著、ハン・スンドン訳(メディチ・1万8000ウォン)//ハンギョレ新聞社

 日本で「国体」とは、1867年の明治維新以降に確立した天皇制を中核とする統治体制を意味する。また、天皇制そのものを指す言葉でもある。日本が第二次世界大戦で敗れ、「象徴天皇制」を受け入れたことで、国体という言葉は事実上死語になった。しかし、日本の政治学者白井聡氏が書いた『国体論:天皇制の中に盛り込まれた日本の虚構』(原題『国体論-菊と星条旗』)は、国体が敗戦後も再編されたかたちで生き残り、その国体の存続が日本を「破滅の道」へと追い込んでいると指摘する。

 白井氏は本書で国体を「戦前の国体」と「戦後の国体」に分けて、この二つの間に連続性があることを論証する。戦前の国体が天皇を頂点とした統治体制であることは言うまでもない。では、「戦後の国体」とは何のことか。一言で言えば、米国が天皇に成り代わった「再編された天皇制統治体制」というのが白井氏の主張だ。戦争で勝利した米国が、日本を米国の保護を受ける従属国にしており、日本の政治は天皇の意向に従うように、米国の支配に従ってきたというのだ。

 こうした前提の下、本書は天皇を中核とする「戦前の国体」と米国を中心とする「戦後の国体」をそれぞれ3段階に分けて比較分析する。戦前の国体は、明治維新直後から明治天皇が死去した1912年まで「形成期」を経た。さらに1913年から1930年までいわゆる「大正デモクラシー」の時期に「相対的安定期」を迎えた。この時期に天皇制は強固になったが、表向きには天皇が見えない時期だった。最後に1931年から1945年までは天皇が親政を行う形の軍部統治体制の下、日本が戦争と敗亡に突き進んだ時期であり、白井氏はこれを「国体の崩壊期」と見ている。

 戦前の歴史同様、米国が日本に戦後憲法を強要し、米日安保体制が構築されて確固になった1970年代初めまでが戦後の国体の「形成期」であり、1970年代半ばから1990年代初めまで日本経済が勢いを増していた時期が「相対的安定期」を成す。この時期、日本は米国がなくても生きていけるかのように「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を叫んだ。最後に1990年代初めから現在までが「戦後国体の崩壊期」だ。社会主義圏の解体で反共産主義の基地としての日本の重要性が減少し、日本の内部ではバブル経済の崩壊で経済危機が続いた時期だが、この時期に日本政治は米国にしがみつき、自ら従属化の道をひた走ってきた。米日同盟体制で力を得た右翼勢力が内外の危機の中で米国という天皇をさらに支える姿を見せているのだ。

 この右翼勢力は戦前の天皇制で日本が戦争に突き進んだように、自分たちの置かれた危機から脱し、活力を取り戻すために、東アジア、特に韓国で戦争が起こることを望んでいると、白井氏は言う。憲法を改正して日本を「戦争できる国」にし、過去の朝鮮戦争とベトナム戦争の特需で経済を立て直したように、新たな戦争で日本経済を蘇らせるという夢を見ているというのが白井氏の主張だ。日本の右翼が朝鮮半島の分断体制の解体に激しく反対しているのもこのためだ。しかし、日本が東アジアを戦争の危機に追い込むこの危険な夢を諦めない限り、戦前の国体が破滅したように、今の日本も破滅を免れないと、本書は診断する。
コ・ミョンソプ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。

2019-11-26 06:57:38 | ローマ法王
ローマ教皇「核兵器についてのメッセージ」(全文)


 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(82)が24日、長崎市の爆心地公園でおこなったスピーチ「核兵器についてのメッセージ」は次のとおりです。

 愛する兄弟姉妹の皆さん。

 この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

 人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

 ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

 核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])

 今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

 カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則(のっと)り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

 核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

 こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞(ふさ)いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

 心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

 ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、わたしたち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。

憎しみがあるところに愛を、

いさかいがあるところにゆるしを、

疑いのあるところに信仰を、

絶望があるところに希望を、

闇に光を、

悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

 記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

 皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。
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教皇は長崎市の西坂公園で、豊臣秀吉のキリシタン弾圧で殉教した「日本二十六聖人」に祈りをささげ、「すべての人に信教の自由が保障されるよう声を上げよう」と呼びかけました

2019-11-25 12:15:47 | ローマ法王
ローマ教皇「核兵器廃絶」訴え
被爆者 思い共鳴
「禁止条約に言及、意味深い」


          

(写真)会見する左から、田中重光さん、田中熙巳さん、木戸季市さん、横山照子さん=24日、長崎市内

 74年前の8月9日に原爆が投下された長崎市。24日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が同市にある爆心地公園を訪れて、核兵器のない世界へメッセージを発信しました。どしゃ降りのなか、被爆者や自治体関係者、子どもたち、カトリック信者ら1000人が参加し、じっと耳を傾けました。被爆者はメッセージをどう受け止めたのでしょうか。

 亡くなった被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん、山口仙二さん、渡辺千恵子さん、片岡ツヨさんの写真を手に参列したのは、長崎原爆被災者協議会の横山照子副会長(78)です。

 「多くの亡くなった被爆者と教皇の言葉を聞こうと思ってきました。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャと国連で訴えた仙二さんたちの思いが伝わり、この爆心地公園で、教皇は核兵器廃絶を訴えてくださったのだと思います。対話で世の中をすすめていこうと普通の人が思うことを普通に言ってくれました」

 長崎平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(79)は、教皇のメッセージについて、「政治家に対して、核兵器を含め戦争をやめるべきだという強いメッセージを発信したと受け止めた」と語りました。

 「ヨハネ・パウロ2世のときと違い、核兵器禁止条約ができたなか、最後の被爆地・長崎で核兵器禁止条約にふれながら、核兵器廃絶を訴えたことは、意味深い」と話します。長崎・広島をもつ世界で唯一の戦争被爆国でありながら、「核の傘」から抜け出せない日本政府を批判。「この教皇の思いを受け止めてほしい。教皇は安倍首相と会う予定になっているので、働きかけてほしい」

 日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳(てるみ)代表委員は、13歳のときに中川町で被爆しました。8月12日に爆心地公園付近に住む叔母を探しに来て、叔母の死を確認したことを語りました。

 38年前にヨハネ・パウロ教皇が来られた時に比べ、地球市民は不安と不信が広がっている、と指摘。「一方で核兵器禁止条約も持っています。その流れは変えられません。教皇のメッセージは、核保有国に核兵器廃絶を求めるものとして発信された」と語りました。

 この日、教皇は長崎市の西坂公園で、豊臣秀吉のキリシタン弾圧で殉教した「日本二十六聖人」に祈りをささげ、「すべての人に信教の自由が保障されるよう声を上げよう」と呼びかけました。長崎県営野球場では、約3万人の信徒らが参加する大規模なミサを執りおこないました。

 教皇はその後、広島市に移動し、平和記念公園で開かれる「平和のための集い」に参加。平和へのメッセージを発表しました。
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「即位礼正殿の儀」は、戦前の即位儀礼を定めた登極令(とうきょくれい、1909年・明治42年制定)の「即位礼当日紫宸殿(ししんでん)の儀」の名前を変えたものにすぎません。

2019-10-23 10:37:51 | ローマ法王
2019焦点・論点
「即位の礼」の特徴と問題点
歴史学者・神奈川大学名誉教授 中島 三千男さん
「天孫降臨神話」の具現化が憲法原理にふさわしいのか


 今回の天皇の「即位の礼」の特徴や問題点について、歴史学者の中島三千男・神奈川大学名誉教授にききました。(聞き手 竹腰将弘)

          

(写真)なかじま・みちお 1944年生まれ。歴史学者。神奈川大学元学長。主な著書に『天皇の代替りと国民』(青木書店)、『天皇の「代替わり儀式」と憲法』(日本機関紙出版センター)

 今回の「即位礼」の中心的儀式で、国事行為として行われる「即位礼正殿の儀」は、戦前の即位儀礼を定めた登極令(とうきょくれい、1909年・明治42年制定)の「即位礼当日紫宸殿(ししんでん)の儀」の名前を変えたものにすぎません。

 登極令で定められた即位礼は、即位を天照大神(アマテラスオオミカミ)やその他の神々に奉告(ほうこく=神に告げる)する「即位礼当日賢所(かしこどころ)大前の儀」や「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」と一体の、国家神道の教義である天皇制正統神話にもとづく儀式の一環です。

 この性格は、即位礼正殿の儀の中核的な装置である高御座(たかみくら)に象徴的に現れています。政府は、明仁天皇の即位の際と同じく大正、昭和両天皇が使った高御座を今回も使用します。

 高御座は、ニニギノミコトが高天原(たかまがはら)から日向高千穂の嶺に降臨する際、天照大神から三大神勅や三種の神器を授けられたときの神座を模したものとされています。

 まさに戦前の天皇の位置、主権者、神としての地位を象徴するものであり、その地位の源泉が天皇制正統神話、「天孫降臨神話」にあることを具現化したものです。

 近代以前に行われていた天皇の即位儀礼は私たちが思い描く純神道式のそれとは大きく異なりました。長く行われてきた中国(唐)風や神仏習合的儀式が、明治に入り、国家神道の核心的教義である天皇制正統神話にもとづくものにとってかえられました。

 明治維新にはじまる日本の近代国家は、国民的統合を神権的天皇の押し出しによって成し遂げようとしました。そのために維新直後から神道中心主義をつくり上げ、一世一元制を定め、さらに後には、教育勅語を中心とする教育政策や国家神道体制の確立など、あらゆる機会をとらえて、神権的天皇像を浸透させようとしました。

 登極令によって近代に創られた「代替わり」儀式も、天皇制正統神話を目に見える形で国民と国際社会にむけてパフォーマンスするものでした。

 1945年の日本の敗戦で、明治以降につくられた主権者・統治権者としての神権的・絶対主義的天皇制と、それを支えた天皇制正統神話、国家神道は否定されました。日本国憲法は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条)と象徴天皇の存在理由を主権者である国民の総意に求め、戦前とははっきり異なることを示しました。

 そうであるならば、国民主権のもとで最初であった「平成の代替わり」儀式は、戦前とは異なる形で行われるべきでした。

 しかし、現実には、戦前の登極令に規定された30余の儀式がほぼそのままの形で行われ、今回もその前例が踏襲されています。そこでは、宗教的性格が薄いと強弁できる五つの儀式は「国事行為」として行い、それ以外は「皇室行事」と位置付ける「読み替えのトリック」が使われています。

 完全な宗教的儀式である大嘗祭(だいじょうさい)をはじめ、本来なら内廷費から支出すべき皇室行事に「大礼関係の儀式」という概念をかぶせ、公費である宮廷費を使用することは、重大な政教分離原則違反です。

 天皇制正統神話と決別し、憲法原理にふさわしい即位儀礼なのかどうかということについての検証と議論がなされるべきです。

 春からの一連の代替わり儀式で、多くの報道がされています。

 しかし、儀式の内容は歴史的に変化してきており、現在の多くの儀式は近代以降に新しく創られたものです。その目的は神権的天皇像の創出にあり、そうしてつくられた天皇制国家が日本国民とアジア諸国民に大きな不幸をもたらしました。その国家体制は1945年に破滅し、その反省の上に国民主権や政教分離の原則をうたった現憲法ができました。こうした視点を欠く報道は、結果として戦前の天皇制正統神話を再び国民の間に垂れ流すことになっているのでは、との危惧を抱きます。


大橋の意見!

 国民の中で、貴族や華族を廃止して困っている人はいるだろうか?ほとんどいないだろう。皇族も同じようなものでなくしたからと言って国民の日常生活は、何ら変わるところはない。

世界を見ても王様や天皇がいない国の方が多い。いるので困っている国はあるがいなくて困っている国はない。

 天皇は「憲法を守る」と繰り返していた。憲法を破壊しようとする総理の下で「天皇の方がいいことを言う」と聞いておられた方もあっただろう。

 しかし天皇は憲法が守られなければ廃止と言うことだって起こるのだ。だから天皇は、国民に憲法を守っていただいて、いつまでも天皇であり続けたいという思いから憲法順守の立場なのだろう!

 本当に国民の立場に立って9条守れ、在日朝鮮韓国人も含めて教育の無償化せよ!生活困窮者を救済せよ!沖縄基地を無くせ!等の立場ならなお結構だが・・・。いずれにしても天皇の儀式を見て、国民の一人一人がしっかりしなければならない。

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