[コラム]尹大統領は「王」になりたいのか
10年前に死去した米国のジャーナリスト、ヘレン・トーマスは「ホワイトハウス記者室のレジェンド」と呼ばれる。1960年から2010年までの50年間、ホワイトハウス担当としてジョン・F・ケネディ大統領からバラク・オバマ大統領まで10人の大統領を取材した。彼女は30年間、ホワイトハウスの記者会見室の上座である最前列の中央に座り、鋭く攻撃的な質問で歴代大統領を不快にさせることで有名だった。
彼女が書いた本『ホワイトハウスの最前列(Front Row At The White House: My Life and Times)』にはこのような内容が出てくる。「私が最初の質問をしようと立ち上がると、体でこのようなことを感じることができた。カーター大統領は『ビクッ』となり、レーガン大統領は『身を縮め』、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は『オーノー!』と言うのを」
彼女は、記者は権力者には無礼であっても許されるとよく言っていた。大統領に異議を申し立てるのが記者の特権であると同時に責務でもあるからだ。彼女は1996年、ある雑誌とのインタビューで「私たち(記者たち)はこの社会で大統領に定期的に質問をし、責任を問うことができる唯一の機関だ。そうしなければ、彼は王になるかもしれない」と述べた。
米国のような国でも、牽制されない大統領は王のように無所不為(不可能なことがない)の権力者になりかねないという警告だ。オバマ大統領は彼女の他界の知らせを受けての哀悼声明で「ヘレンは私を含め大統領たちに緊張感を保たせた人」だと賛辞を送った。
この話を長々と紹介した理由は、私たちにも示唆するところが大きいからだ。最近の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の行動を見ると、ブレーキのかからない無所不為の権力者になるのではないかという懸念を抱かせる。マスコミはもちろん、誰の牽制も受けようとせず、牽制をしても全く気にしないような態度だ。野党に対しては存在自体を認めていないように振る舞っている。就任してから8カ月が過ぎたが、最大野党の党首はもとより、院内指導部すら会っていない。
このような大統領は初めて経験する。大統領が外遊から戻った後は、与野党代表を招待して外遊の結果を説明するのがこれまでの慣行だった。激しく対立していたとしても、そのような場では自然に国民の暮らしと時局懸案について話し合ったりもした。しかし、尹大統領は今回の外遊後も与党指導部だけを官邸に招待した。野党の党首が「被疑者」だから会わないというのはつじつまが合わない。捜査と政治は全く別ものであり、区別されなければならない。大統領が最大野党に会わないこと自体が捜査と政治を「一体」として捉えていることを裏付けるものかもしれない。相手の党を認めることは代議民主主義の基本中の基本だが、これを拒んでいるわけだ。
さらに、日増しに増えているローンの利子と高騰する暖房費などで困苦に陥っている庶民層を救うためには、国会多数党との協治が欠かせないのに、相手にしないといわんばかりの態度には呆れてしまう。尹大統領はマスコミとも昨年11月中旬から距離を置いている。通常、全メディアを対象に行う年頭インタビューも、1社だけにしてそれで終わりだ。記者団から不都合な質問を受けたくないからだろう。今、韓国は間違いなく「政治後進国」に転落している。
民主主義の要は「牽制と均衡(チェックアンドバランス)」だ。立法、行政、司法の3権分立と第4部として言論の監視機能、さらに行政府内でも牽制装置が作動してこそ民主主義が具現化される。誰か一人が独走すれば不具合が生じるようになっている。国政運営や政治的経験がほとんどない場合なら、なおさらその可能性は高まる。
尹大統領は新年に入っても「アラブ首長国連邦(UAE)の敵はイラン」と失言し、不必要な外交的波紋を広げた。また、軍に北朝鮮の攻撃に対する「百倍、千倍の報復」戦略を求め、国民を不安にさせている。昨年末、政府案を基に与野党の合意で国会をかろうじて通過した半導体企業の税額控除拡大案の場合も、大統領の一言で企画財政部が前言を翻し、支援額をさらに増やすという。厳しい財政環境の中で高金利と暖房費急騰の負担が大きくなった庶民層への支援など、財源を緊急に投入しなければならないことが多くなっているのに、財閥への支援ばかりは惜しまないようにみえる。
果たして大統領室の参謀や内閣官僚の中に、大統領の誤った発言や判断に「ノー」と勇敢に言える人がいるのか疑問だ。現代の政党政治では、大統領が失政をする時は、大統領を輩出した与党が中心になって牽制し、矯正する役割を果たさなければならないが、党代表選出過程を見る限り、それは無理かもしれない。「ナ・ギョンウォン騒動」は政党民主主義を、大統領が与党代表を指名していた20年前に後退させた。
『歴史の終わり』の著者として有名な国際政治学者、フランシス・フクヤマ米スタンフォード大学教授、著書『政治秩序と政治の衰退:産業革命から民主主義の未来へ(Political Order and Political Decay : From the Industrial Revolution to the Globalization of Democracy)』で、民主的な政治体制を判断する基準として、国家、法の支配、民主的責任性の3つを挙げた。フクヤマ教授は国家を、統治者が家族や友人など私的なコネクションを通じて治め、強力なエリート階層に牛耳られる家産国家と、政府要職に才能と役割中心に人材を選抜、起用し国政を運営する先進的国家に区分した。教授によると、法の支配は他のすべての市民に法を平等に適用しても、最高権力者に適用されなければ作動しないものと見なされる。民主的責任性は政府が特定の利害集団の利益ではなく社会全体の公益に服務するよう求めるシステムを言うが、その中心的役割は議会によって果たされる。教授は成功的な現代自由民主主義政治の驚くべき点は、国家が強力な権限を持っているが、法と議会によって制限され、合意的方式で権限を執行する政治秩序があるからこそ可能だとし、「国家が強力なのに牽制を受けなければ独裁になる」と警告した。
尹大統領の統治方式をこの3つの基準から判断すれば、どのような結論が出るだろうか。尹大統領は大統領室と司正機関の要職に側近検事を配置し、人事・情報・捜査・監察などを掌握し、行政安全部長官をはじめ多くの公共機関長に高校の後輩や司法試験の勉強中に関わった人々を起用した。また、尹大統領の婦人、キム・ゴンヒ女史の株価操作疑惑を裏付ける録音記録などの証拠が出たにもかかわらず、検察からはキム女史を呼んで調査する気配すらない。議会と関連しては、最大野党の指導部を対話の相手として接していない。今、韓国の民主主義は危機にさらされている。