「過去に悲惨な歴史があったのは恥ずかしいことだが、そこから逃げ回ることはもっと恥ずかしいこと」

2024-09-02 18:01:31 | 日朝韓友好親善のため
 

「悲惨な歴史から逃げ回るのは恥ずかしいこと」…

関東大震災101年追悼式典

登録:2024-09-02 06:22 修正:2024-09-02 08:02

 

小池知事、今年も横網町公園追悼式典への追悼文の送付を拒否 
市民団体「ほうせんか」の理事「日本政府、加害認めるつもりがないようだ」 
韓国政府も真相究明を積極的ではない
 
 
東京都墨田区の都立横網町公園で開かれた関東大震災101年朝鮮人犠牲者追悼式典で韓日市民が犠牲者を追悼している=ホン・ソクチェ特派員//ハンギョレ新聞社

 「過去に悲惨な歴史があったのは恥ずかしいことだが、そこから逃げ回ることはもっと恥ずかしいこと」

 関東大震災で朝鮮人虐殺が行われてから101年を迎える1日、東京都墨田区の都立横網町公園。「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」(実行委)の宮川泰彦委員長は同日開かれた朝鮮人犠牲者追悼式で、「過ちを繰り返さないために、子や孫、周りの人に(正しい歴史を)語り継ぐことが我々の責務ではないか」と訴えた。

 
 
東京都墨田区の都立横網町公園で開かれた関東大震災101年朝鮮人犠牲者追悼式典で韓日市民が犠牲者を追悼している=ホン・ソクチェ特派員//ハンギョレ新聞社

 関東大震災における朝鮮人虐殺事件は、1923年9月1日に起きたマグニチュード7・9以上と推定される関東大震災の際、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマが広がり、自警団が朝鮮人を虐殺し、軍と警察も加担した事件だ。

 当時、日本全域で死亡した朝鮮人は数千人にのぼるものと推定されるが、日本政府がきちんとした調査をしなかったため、正確な犠牲者数は明らかになっていない。台風10号の影響で時々雨が降る中で開かれた同日の行事では、韓国と日本の市民数百人が会場を埋め尽くした。

 東京都慰霊協会は毎年、横網町公園で東京大空襲(3月10日)と関東大震災(9月1日)の時に犠牲になった日本人のために追悼行事(大法要)を開くが、1974年から日本の市民団体が東京都議会の許可を得て、同公園の片隅で関東大虐殺における朝鮮人犠牲者のための追悼式典も行っている。

 悲劇は依然として終わっていない。最近3期目の当選に成功した小池百合子東京都知事は、今年も横網町公園追悼式に対する追悼文の送付を拒否した。小池知事は関東大震災の朝鮮人虐殺に関して「様々な研究が行われていると承知している。都慰霊協会の大法要の中で、大震災の極度の混乱の中の事情で犠牲になられたすべての方々に哀悼の意を表す」として、8年連続で追悼文を送らなかった。

 朝鮮人虐殺は自然災害で亡くなった人々とは性格が異なる。このため、石原慎太郎のような極右とされる政治家を含め、歴代の東京都知事は「日朝協会」など日本の市民団体が開いているこの追悼式典に1974年から追悼文を送ってきたが、小池知事は拒否し続けている。

 日本政府もまた「政府として調査した限り、事実関係を把握できる記録が見当たらない」として、事実関係さえまともに認めていない。4月には立憲民主党議員が、関東大震災当時に朝鮮人殺害に加担した日本人4人が懲役1年6月を宣告された判決文が発見されたとし、文書を根拠に具体的に質疑したが、林芳正官房長官(当時)は「政府としては一般論を前提に裁判所の事実認定が正しいかどうか評価する立場にはない」として、答弁を避けた。

 日本政府の真相調査と謝罪が先延ばしにされる間に、日本社会の一角では嫌悪と差別が広がっている。この日も横網町公園では、日本の右翼団体のメンバーたちが朝鮮人犠牲者追悼碑に近づき、「(追悼碑に書かれた)朝鮮人6千人が死んだという嘘が認められてはならない」と騒ぎを起こした。追悼式典に出席した市民は彼らに「嘘をつくのはあなたたちだ」、「ヘイトスピーチをするのが恥ずかしくないのか」として彼らに反論する場面もあった。

 毎年9月には、横網町公園だけでなく、東京や横浜を含む関東地方のあちこちで、朝鮮人虐殺追悼祭が開かれる。墨田区荒川の近くで行われる追悼行事もその一つだ。荒川堤防は関東大震災当時、地震を避けてきた朝鮮人が虐殺された代表的な場所の一つで、残酷な「血の歴史」が流れる場所だ。

 当時、東京都墨田区付近で働いていた朝鮮人労働者たちは、地震の余波で起きた大型火災から逃れるために橋を渡ろうとしたが、反対側の橋の入口で地域在郷軍人会や青年団などで構成された自警団が朝鮮人などを見つけ、無残にも虐殺した。

 今は撤去されたが、荒川を結んでいた「旧四ツ木橋」付近で多くの朝鮮人が犠牲になった事実が後になって知られ、1982年に市民の有志で初めての追悼行事が開かれた。

 追悼行事を行っている「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」と市民グループ「ほうせんか」の事務所が荒川の堤防の向こう側の住宅街にある。ほうせんかの事務室の横には、ホウセンカが植えられている小さな石碑がある。「悼」と刻まれた追悼碑の側面には「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」、裏面には「1923年関東大震災時の日本の軍隊、警察、デマを信じた民衆によって多くの韓国・朝鮮人が殺害された。 東京の庶民住居地でも、植民地だった故郷を離れ、日本に来ていた人々が名も知れず貴重な命を奪われた」という碑文が刻まれている。

 「ほうせんか」の慎民子(シン・ミンジャ)理事は30日、「惨事が起きて100年が過ぎたが、日本政府などは加害者として痛ましい過去を認めるつもりがないようだ」とし、「未来世代のために市民社会でも誤った過去を反省し、政府に謝罪を求めることを止めてはならない」と語った。

 日本政府は回避しているが、当時の惨劇を伝える記録と証言は溢れている。 虐殺を生き延びた生存者のチョ・インスンさんは「消防隊員4人に綱で縛られ『綱を切ったら殺してやる』と言われた。荒川駅(現在八尋駅)側の堤防で騒ぎが起きているようだったが、まさかそれが朝鮮人を殺すことだとは思わなかった」とし、「遺体が橋いっぱいになり、堤防にも薪のように積まれていた」と当時を振り返った。

 日本人生存者だったアサオカシゲゾウさんも、墨田区の川辺で朝鮮人を10人ずつ縛り、機関銃で撃って殺したと証言した記録が残っている。千葉、栃木、群馬などでも、何の過ちもない朝鮮人たちが銃、日本刀、竹槍などで殺害されたことが各種の文書と証言で確認されている。

 
 
東京都墨田区荒川付近には、101年前の関東大震災当時、罪のない朝鮮人が無残に虐殺された悲しい歴史が残っている=ホン・ソクチェ記者//ハンギョレ新聞社

 韓国政府も朝鮮人虐殺の真相究明に積極的な態度を示さないまま、101年が過ぎている。歴史問題には目をつぶり韓日関係の改善に「全賭け」している尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は「虐殺から100年」という重要な契機があったにもかかわらず、真相究明と謝罪についていかなる要求もせず再び1年が流れた。国会では、2014年に関東大震災の真相究明などに関する法案が提出されたが、その後、提出と廃棄が繰り返されている。

 
 
関東大震災の朝鮮人虐殺問題を日本社会に知らせてきた市民団体「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」と「ほうせんか」の事務所の隣には犠牲になった朝鮮人を追悼する小さな碑が建てられている=ホン・ソクチェ記者//ハンギョレ新聞社

 第22代国会では7月に野党「共に民主党」のユン・ゴニョン議員が代表発議した「関東大虐殺事件真相究明および被害者の名誉回復に関する特別法案」が、行政安全委員会小委で審査を待っている。

 法案では「1923年に日本の関東地方で起きた大震災当時、デマと戒厳令の宣布で日本の軍人、官憲および民間人によって6千人余りが無念にも濡れ衣を着せられ大虐殺されたが、日本政府は事件に対する真相調査や被害者に対する賠償、遺族に対する補償などを明らかにしていない」とし、「2013年に被害者名簿が発見された後も、遺族に対する調査や罪もなく殺された朝鮮人の名誉回復のための措置がない」と指摘されている。

 法案が国会で可決されれば、関東大虐殺真相究明および被害者名誉回復委員会を通じて真相調査と責任究明、被害遺族審査と名誉回復、追悼空間作りなどが行われるとされる。

東京/ホン・ソクチェ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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黄色いリボンはセウォル号の象徴だ。惨事初期には行方不明者の無事の生還を祈る気持ちが込められた。そして時間が経つにつれ真相究明に対する意志と「忘れない」という誓いが加えられた。

2024-04-17 17:06:51 | 日朝韓友好親善のため

「記憶の力」信じる子どもたち…

「私たちがセウォル号のリボンをつける理由」

登録:2024-04-16 10:48 修正:2024-04-16 11:08
 
 
京安高校2年生のユ・スヒョンさんが9日、京畿道安山市檀園区にある京安高校の前で「4月の君たちを忘れない、今の君たちが幸せであるように」と書かれたセウォル号追悼の横断幕を眺めている=イ・ジュンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 黄色いリボンはセウォル号の象徴だ。惨事初期には行方不明者の無事の生還を祈る気持ちが込められた。そして時間が経つにつれ真相究明に対する意志と「忘れない」という誓いが加えられた。惨事から10年。街にはいまもリボンを身につけている人たちがいる。彼らにとって黄色いリボンはどのような意味を持つのだろうか。ハンギョレは檀園高校のある安山(アンサン)地域の各所で黄色いリボンをつけている10代の生徒たちに会った。

■「二度とあのような惨事が起きないように」

 生徒たちにとって黄色いリボンの意味は明確だった。二度とこのようなことがあってはならないという願いだ。檀園中学3年生のユ・ジミンさん(15)は昨年5月、クラスメイトが持っていた黄色いリボンをもらってカバンにつけた。「小学生の時、ユーチューブでお姉さん、お兄さんたち(犠牲になった檀園高の生徒ら)が最後に残したメッセージを見ました。お父さんお母さんに『大好き』『修学旅行に行く前に喧嘩したこと、ごめん』って。今まで見た中で一番悲しい話でした」。中学の3年間、ずっと黄色いリボンをつけていたという中央中学3年生のキム・イェジュン君(15)は「このようなことが二度とないように願ってリボンをつけた」と話した。

 彼らは記憶の力を信じていた。京安高校2年生のユ・スヒョンさん(17)のかばんには、小学生の時から黄色いリボンがついている。惨事当時の檀園高の生徒たちと同じ年齢になったユさんは「リボンをつけていれば人々はずっと忘れないだろうし、多くの人が一緒に覚えていればあんなことはもう起きないと思ってリボンをつけた」と語った。

 
檀園中学3年生のユ・ジミンさんのカバンにつけられた黄色いリボンのバッジ=イ・ジュンヒ記者//ハンギョレ新聞社
 
古桟小6年生のキム・サランさんのカバンにつけられた黄色いリボンのバッジ=イ・ジュンヒ記者//ハンギョレ新聞社

■ 追悼、治癒、そして誓い

 リボンをつけた生徒たちの中には、惨事当時の記憶が全くない小学生もいた。檀園高の前で会った古桟小6年生のキム・サランさん(12)は、「去年の2学期の頃、友達と一緒にお姉さん、お兄さんたちに手紙を書きたくて4・16記憶教室に行ったら、そこでリボンをくれたのでつけた。人々に(セウォル号を)覚えていてほしい」と話した。

 リボンをつける行為を通じて治癒を得る人もいた。安山で生まれ育った安山デザイン文化高校2年生のチャン・ヨンハクさん(17)は「ニュースでセウォル号が沈没する様子を見て大きなショックを受けた。その後しばらくは船を見るたびに体が震えたが、リボンをつけて追悼することで恐怖が消えた」と語った。チャンさんは、リボンを通じて新たな誓いを立てる。「音楽の先生になるという進路を決めたんですが、リボンを見るたびに、のちに教師になって修学旅行を引率するときにはさらに安全に気を付けなければ、と思います」

 
檀園高校2年生のイ・ユンジさん(左)と友達のイ・テヒさん=イ・ジュンヒ記者//ハンギョレ新聞社
 
檀園高校2年生のイ・ユンジさんのかばんにつけられたセウォル号の黄色いリボンのバッジ=イ・ジュンヒ記者//ハンギョレ新聞社

■ 「私たちは記憶し続ける」

 残酷な惨事を忘れたいという気持ちはないのだろうか。「檀園高といえばセウォル号を思い浮かべるのは嫌じゃないか」と尋ねたところ、檀園高校2年生のイ・ユンジさん(17)は首を横に振った。「私はむしろもっと積極的にセウォル号のことを話します。ずっと覚えていたいし、人にも忘れないでいてほしいから」

 黄色いリボンをつけた生徒たちは「10年ならもう忘れてもいいのでは」という大人たちの言葉に強い拒否感を示した。亡くなった人たちを追悼し、二度とこのようなことが起きないよう願うのは、彼らにはあまりにも当然のことだった。イさんは力を込めて言った。「大人たちの中には、もう忘れろと言う人もいます。でもそう言われるほど、もっと強くセウォル号を思い出すでしょう。お姉さん、お兄さんたちへの申し訳ない気持ちだけじゃなく、覚えていてこそもうあのようなことが起きないだろうから」

文・写真/イ・ジュンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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今日収拾できない統制不能の状態に陥ることになった」とし、「南北間に衝突事態が発生した場合、その責任は全面的に“大韓民国”が負うことになるだろう」と主張した。

2023-11-25 09:35:06 | 日朝韓友好親善のため
 

北朝鮮「新型軍事装備を前進配置」…軍事合意の「安全弁」失い、

緊張感漂う非武装地帯

登録:2023-11-24 06:05 修正:2023-11-24 08:11
 
韓国政府「北朝鮮の挑発には強力に反撃」 
 
 
北朝鮮の軍事偵察衛星打ち上げをめぐり、南北がそれぞれ9・19南北軍事合意の一部条項の効力停止と合意の破棄を宣言した中、23日、ソウル空港付近で、離陸した偵察機が飛行している/聯合ニュース

 北朝鮮が23日、9・19南北軍事合意の完全無効化を宣言し、軍事境界線(MDL)地域に武力と軍事装備を配置すると宣言した。韓国政府は「北朝鮮が挑発した場合は、強力に反撃する」方針を明らかにした。 21日夜、北朝鮮が3回目の軍事偵察衛星打ち上げを行ったことを受け、韓国政府が9・19軍事合意の一部条項を効力停止とした一方、北朝鮮は同合意を丸ごと否定し、南北間の偶発的軍事衝突の懸念がさらに高まっている。

 北朝鮮国防省は23日午前、声明を発表し、「今この時刻からわが軍は9・19北南軍事分野合意書に拘束されない」とし、「北南軍事分野合意(9・19南北軍事合意)に基づき中止していたすべての軍事的措置を直ちに復元する」と明らかにした。さらに「地上と海上、空中をはじめとするすべての空間で、軍事的緊張と衝突を防止するために取った軍事的措置を撤回し、軍事境界線地域により強力な武力と新型軍事装備を前進配置する」とし、具体的な方法まで示した。軍事境界線周辺の陸海空で衝突を防ぐ緩衝区域を設ける内容の9・19軍事合意(2018年の平壌での南北首脳会談を契機に締結)を全面的に無効化し、その一帯で5年前よりさらに強力な軍事的措置を取ると宣言したのだ。

 北朝鮮国防省は「改めて、相手に対する初歩的な信義も、内外に公言した確約も躊躇(ちゅうちょ)なく投げ捨てる“大韓民国”の者たちとは、いかなる合意も認められず、最初から相手にしてはならないという結論に至った」と述べた。また「世界で最も尖鋭な軍事的対峙状態が続く軍事境界線地域の情勢は、“大韓民国”の政治軍事のならず者が犯した取り返しのつかない失策により、今日収拾できない統制不能の状態に陥ることになった」とし、「南北間に衝突事態が発生した場合、その責任は全面的に“大韓民国”が負うことになるだろう」と主張した。

 シン・ウォンシク国防部長官は同日、国会国防委員会に出席し、「北朝鮮が9・19南北軍事合意の効力停止を口実に挑発を強行した場合、直ちに、そして強力に、最後まで反撃する」と述べた。シン長官は、「すでに展開されている米軍空母打撃群の戦力を活用し、韓米合同訓練の実施など同盟の対応能力を示す」と報告した。

 9・19軍事合意を崖っぷちに追い込んだのは誰なのかを巡り、南北は鋭い「言葉の応酬」を繰り広げた。統一部は、「“大韓民国”の者たちによる故意の挑発的な策動により、9・19北南軍事分野の合意書はすでに死文化し、名ばかりの物になって久しい」という北朝鮮国防省の声明に対し、文書で立場を表明し「居直りも甚だしい強弁」、「強く糾弾する」と述べた。

 ただし、統一部当局者は記者団に「韓国政府は9・19軍事合意破棄に同意したことはない」とし、南北双方が破棄に同意したわけではないため、「破棄」ではなく、「事実上の無効化宣言」だと述べた。

 一方、国家情報院は国会情報委員会への報告で、北朝鮮の偵察衛星が軌道進入に成功しており、このような成功の背景にはロシアの協力があったという見解を示した。

イ・ジェフン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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歴史教師としてできることに最善を尽くさなければなりません。私は、韓日の市民社会の連帯はより厚くなると思います.

2023-02-10 10:01:49 | 日朝韓友好親善のため
 

「韓国と日本の生徒たちが友達になったことこそ

『交流20年』の最大の成果です」

登録:2023-02-09 04:24 修正:2023-02-09 08:17

 

韓日歴史教師交流会のパク・ソンギ会長
 
 
パク・ソンギ会長がインタビュー後、写真撮影に応じている=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 『向き合う歴史授業』(ヒューマニスト)。

 本書は、2000年の日本による歴史教科書歪曲を契機として、翌年から交流が開始された韓国と日本の歴史教師たちが、この20年間の共同シンポジウムなどを通じた「授業実践」の内容をまとめた本だ。1988年に創立した韓国の全国歴史教師の会(以下「全歴会」)所属の韓日歴史教師交流会(パク・ソンギ会長)と、1949年に発足した日本の歴史教育者協議会(以下「歴教協」)による韓日交流委員会の共同作業である本書には、26件の歴史授業の事例が掲載されている。

 日本側の授業を見ると、自国の教科書に載っていないせいで生徒たちが学べなかった内容や、帝国主義時代の加害者である日本の姿を知る内容が多い。北海道の先住民アイヌの文化や、日清戦争で日本軍が東学農民軍を無残に虐殺した内容を扱った授業が代表的な例だ。200年以上にわたって朝鮮が日本に大規模な通信使を派遣していたことを扱った授業では、韓日に長い友好の歴史があったことを伝えている。

 韓国側の授業も、隣国である日本に対して生徒たちがバランスの取れた思考ができるよう促す内容が多い。韓国だけでなく日本側の視点も同時に示す「独島(ドクト)授業」や、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に朝鮮に投降し、国防力強化に貢献した「降倭」沙也可こと金忠善(キム・チュンソン)を扱った授業などだ。

 
 
『向き合う歴史授業』の表紙//ハンギョレ新聞社

 2001年に韓日歴史教師交流会の初代会長を務め、2019年から再び会長となったパク・ソンギさんに、ソウルの四佳亭(サガジョン)駅近くのカフェで3日にインタビューした。

 「全歴会には2400人あまりの会員がいますが、私たちの集まりは29人程度です。歴教協の会員も約4千人いますが、韓日交流委に所属するのは約20人です」。成均館大学史学科時代、学費を稼ぐために日本で2年間アルバイトをしたおかげで日本語を覚えたというパク会長は、2002年から毎年1回開催されている「韓日歴史教育実践シンポジウム」の事前準備、引率、通訳などを担ってきた。教師になって3年目の1996年から毎年1回、在職していた高校の生徒たちと日本の高校生との交流も行ってきたので、すべて合わせると40回以上も日本の教師や生徒と交流してきたことになる。

 彼は月に一度、日本の韓日交流委の会員たちがオンラインで行う懇談会にも参加する。「日本側から、今年は関東大震災から100年だということで、韓国側にこのテーマについてどのように授業を行うのかまとめた文章を送ってほしいと要請されました。歴教協の機関誌の月刊『歴史地理教育』に関東大震災特別号を出すそうです。7月27日に朝鮮戦争休戦から70年を迎えますが、フィールドワークをするために訪韓する意向も伝えてきました」

 韓日の歴史教師たちはなぜ交流するのかと問うと、彼はこのように答えた。「相手を知るためです。そうしてはじめて理解し、共感し、協力できるんです。私が学校に通っていた頃、日本に対しては問答無用で反発する感情がありました。しかし歴史を学ぶことで、そのように感情的にアプローチしてはいけないと思うようになりました」

 
 
2016年に沖縄で開催された韓日歴史教育交流シンポジウムの様子=パク・ソンギ会長提供//ハンギョレ新聞社

 彼の見るところ、この20年間の交流は「韓日両国にとって健全な市民社会の形成の礎、かつ東アジアの平和連帯に向けた小さな一歩」だった。韓日の歴史教師たちは深層討論と執筆を経て、2007年と2014年に韓日共同の歴史書『向き合う韓日史』(全3巻)も出している。パク会長は、このような努力が日本を見つめる韓国の視線に影響を及ぼしたとも言う。「歴史教育の究極の目標は『実践による現実の変化』です。私の考えでは、交流のいちばん大きな成果は、韓国と日本の生徒たちにそれぞれ日本と韓国の友達ができたことです。(交流に参加して)私に歴史を学んだ韓日の生徒はおよそ千人にはなるでしょう。彼らは(自国が)友人の国を侵略すれば怒るでしょう。私が『線』だとすれば、この生徒たちは今後『面』となって、自分のやり方で望ましい韓日関係の形成に貢献すると思います。

韓日の歴史教師たちの20年あまりの交流で 
授業実践した資料集、先日出版 
「日本を正しく知ってはじめて理解や共感も可能 
多様な資料を提示して歴史思考力を育む 
幅広い視野で韓国史を教えてほしい」 
 
1996年から高校生の韓日交流も担う

 『向き合う韓日史』1巻が出てから16年になる。教育現場ではどのように活用されているのだろうか。「この本には、政治や大事件が中心の韓国の歴史教科書には記されていない人々の話が多く載っています。金忠善や日本の植民地時代に全羅道の小作争議を支援した日本人弁護士の布施辰治など、政治的事件にかかわった人たちや、その中に秘められている人々の話です。これを通じて生徒たちは、日本人の中でも日帝侵略の被害を受けたり、また反対した人も多いということを知り、そんな日本人たちと共に望ましい韓日関係を築いていかなければならないと考えるでしょう」。彼は今回出版された『向き合う歴史授業』について「日本の出版市場の状況があまり良くないため、まず韓国で出した」と語った。

 
 
2009年に日本の北海道をフィールドワークした韓日歴史教師交流会の会員たち=パク・ソンギ会長提供//ハンギョレ新聞社

 現在の韓国の歴史教育の最大の問題は何かと問うと、パク会長は「世界や東アジアなど幅広い視野で韓国史を学ぶべきなのに、不十分だと思う」と答えた。「生徒たちは高校1年生で修能(大学入試)の必須科目の韓国史を学び、2・3年生で修能の選択科目である『世界史』と『東アジア史』を学びます。生徒たちは、覚えることが多いからといってあまり選択しません。だから韓国史が事実上、高校最後の歴史の授業となるわけです。わが校もこれまで10年近く開設してきた東アジア史科目を、今年は選択する学生が減ってしまったため廃止しました。とても残念です」。彼は、未来世代はよりいっそう国外進出が活発になると述べつつ、「自分たちが今後活動する世界の地域との関係で生徒たちが韓国史を理解できる歴史教育になってほしい」と語った。

 歴教協の会員の魚山秀介さんは本書に「知識注入学習の代表例と言われてきた(日本の)歴史授業は、特に高校課程に『歴史総合』『日本史探求』『世界史探求』などが新設されたため、探求学習がよりいっそう求められている」と記している。これについてパク会長は「日本が新たに高校の必須科目に指定した『歴史総合』は世界史と日本史を合わせた科目で、日本が見える世界史を教えようとの趣旨」だと説明した。「『歴史総合』の教材を見ると、日本優越主義や日本右翼の政治的認識は相変わらずですが、探求の質問は増えています」

 パク会長は、韓日の歴史教師の集まりを始めたのには、従来の詰め込み式の歴史教育を避けようという意図もあると述べる。「私たちの教育目標の一つは歴史的思考力を養うことです。そのためには日本側の資料や視点など、さまざまな歴史的事実を生徒たちに提供しなければなりません」

 インタビューの最後に、今後の韓日関係の見通しについて尋ねた。「大きな希望はありません。今の政治的関係が今後も続くように思います。であったとしても、歴史教師としてできることに最善を尽くさなければなりません。私は、韓日の市民社会の連帯はより厚くなると思います」

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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 笠井氏は「いまほど日韓関係の改善と両国民の友好関係発展が求められている時はないと、就任式に9年ぶりに出席し痛感している」と表明。

2022-05-12 10:11:00 | 日朝韓友好親善のため

日韓議連 尹大統領と会談

共産党の笠井衆院議員出席

写真

(写真)11日、尹大統領(右)と握手する笠井議員

 韓国大統領就任式に出席した日韓議員連盟代表団は11日午後、ソウルの新大統領府で尹錫悦(ユンソンニョル)大統領を表敬訪問し、祝意を述べ、日韓関係の改善などについて会談しました。日本共産党から笠井亮衆院議員(同議連幹事・法的地位副委員長)が参加しました。

 尹氏は、就任式への出席に感謝すると述べ、行き詰まっている日韓関係の早急な修復・改善の必要性を強調。「両国の未来志向の協力関係を示している(1998年の)金大中(キムデジュン)・小渕パートナーシップ宣言を発展的に継承し、両国間の友好協力関係の新たな地平を開くことを期待している」と表明しました。

 これに先立ち、日韓議連代表団は同日、国会内で朴炳錫(パクビョンソク)国会議長を表敬訪問し、懇談しました。

 朴氏は「両国関係が過去の歴史を直視しながら、未来志向的に発展するよう引き続き願っている」として、「両国の懸案を前に進めて解決するという指導者と政治家の決断、本気度が必要だ」と強調しました。

 笠井氏は「いまほど日韓関係の改善と両国民の友好関係発展が求められている時はないと、就任式に9年ぶりに出席し痛感している」と表明。「両議会人の役割が大きい。両議連の共同声明で強調された日韓パートナーシップ宣言にある過去を直視し未来を志向するという精神で力を尽くすときだ。頑張りたい」と述べました。

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