「非核化」問題をめぐり全く異なる認識を示した朝米が、まず「核能力の凍結」と制裁緩和および関係正常化の推進などをまとめて「段階的包括交渉」を試みるまでは、少なからぬ時間を要するというのが大方の見解だ。

2025-01-31 13:39:20 | アメリカの対応
 

朝米首脳の熾烈な駆け引き…対話の接点見出せるか

登録:2025-01-31 06:40 修正:2025-01-31 07:23
 
 
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記兼国務委員長が「核物質生産基地と核兵器研究所」を視察し、「今年の兵器級核物質生産計画を超過遂行し、国の核の盾を強化することで画期的な成果を成し遂げなければならない」と指示したと、労働新聞が29日付で報じた/朝鮮中央通信・聯合ニュース

 金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記兼国務委員長とドナルド・トランプ米大統領が熾烈な駆け引きを繰り広げている。トランプ大統領がメディアとのインタビューで「金正恩(国務委員長)に連絡する」と述べ、対話のシグナルを送ったが、金正恩委員長は「核の盾の強化」を掲げ、それを無視した。「絶対に核を放棄しない」という態度を維持し、「非核化交渉はない」という従来の路線を再確認したのだ。二人はまだ対話に乗り出す接点を見出せずにいる。

 北朝鮮官営「労働新聞」の29日付の報道によると、金委員長は「核物質生産基地と核兵器研究所」を視察し、「今年の兵器級核物質生産計画を超過遂行し、国の核の盾を強化することで画期的な成果を成し遂げなければならない」と指示したという。同紙は金委員長の訪問した日付と施設の具体的な位置については明らかにしなかった。

 北朝鮮が金委員長による核物質生産基地・核兵器研究所の視察を報道したのは、昨年9月13日の「労働新聞」の初報道以来だ。特に今回の報道は、トランプ大統領が23日(現地時間)のFOXニュースのインタビューで、金委員長は「宗教的狂信者ではなく『賢い男』(smart guy)」だとし「彼に連絡する」と述べた後に出てきた。そのうえ、トランプ大統領は就任当日(20日)にも、「金正恩は核を持っているが(nuclear power)、我々はうまく行っていた。彼は私の復帰を歓迎すると思う」とし、「会って話したい」という意向をほのめかしている。

 金委員長が訪問した両施設は、北朝鮮の核能力の頭脳や心臓に匹敵するだけに、今回の報道が発信する政治的シグナルであることは明らかだ。金委員長が北朝鮮の安全保障について「最も奸悪な敵対国との長期的対決が避けられない状況」だとしながらも、「核の盾の不断の強化」を強調した部分で、簡単に交渉テーブルに座るつもりはないという意向が読み取れる。金委員長は「力による平和、力による安全保障」を強調し、「核対応態勢を無限に進化させることは確固たる政治・軍事的立場」だと明らかにした。金委員長はトランプ大統領の再選が確定した直後の昨年末、労働党中央委員会第8期第11回全員会議(2024年12月23~27日)でも、米国を「反共を国是としている最も反動的な国家的実体」だとし、「最強硬対米対応戦略」を掲げた。

 ただし、「これまで歩んできた道を突き進む」という金委員長の態度が「頑なな拒否」とは限らない。核物質の生産基地を視察した事実を公開することで、「今この時間にも北朝鮮の核能力は強化されている」という無言の示威を行い、「追い込まれて焦っているのは、私ではなくトランプの方」であることを知らしめようとしているともいえる。

 こうした中、米国家安全保障会議(NSC)のブライアン・ヒューズ報道官は28日、「聯合ニュース」のインタビューで、「トランプ大統領は政権1期目と同様、北朝鮮の完全な非核化を目指す」と明らかにした。トランプ大統領が北朝鮮を「核保有国」(nuclear power)とし、「現実」に焦点を合わせたとすれば、NSC報道官は「原則」を強調し、一種の「役割分担」をしているとみられる。

 「非核化」問題をめぐり全く異なる認識を示した朝米が、まず「核能力の凍結」と制裁緩和および関係正常化の推進などをまとめて「段階的包括交渉」を試みるまでは、少なからぬ時間を要するというのが大方の見解だ。ご飯を食べるためには、苗を植えて夏の間に育てて収穫をし、米を洗って釜で炊くという長い忍苦の時間が欠かせない世の理と変わらない。元政府高官は30日、「核問題をめぐる朝米の交渉の試みを韓国は積極的に支持・鼓舞し、その中で韓国の役割を拡大しようとする戦略的アプローチを考えなければならない」と語った。

イ・ジェフン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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「20~30代の男性は政策、認識、社会的に孤立しているが、そうなったことには(国会議員)全員に責任があります」

2025-01-30 08:59:16 | 韓国を知ろう
 

怒れる韓国の20~30代男性に必要なもの【記者手帳】

登録:2025-01-27 10:50 修正:2025-01-30 08:05
 
キム・チェウン|政治チーム記者
 
 
ソウル市長補欠選挙が行われた2021年4月7日、ソウル銅雀区の投票所に市民が並んでいる。放送3社の出口調査の結果、当時20代以下の男性の72.5%が「国民の力」のオ・セフン候補を支持した。これは60代以上の男性(70.2%)より高い数値だった/聯合ニュース

 「20~30代の男性は政策、認識、社会的に孤立しているが、そうなったことには(国会議員)全員に責任があります」

 6日、ソウル市漢南洞(ハンナムドン)の大統領官邸前の弾劾反対集会に参加していた33才の男性は、こう言って大統領の非常戒厳宣布を擁護した。本来の役割を果たせていない国会に向けた「警告性の戒厳」は理解できると語った。彼のような30代男性たちは漢南洞の官邸前の弾劾反対集会の現場を率いた。それから2週間後、ソウル西部地裁を破壊し警察に暴力を振るった「1・19暴動」で逮捕された人の半分以上が20~30代男性であることが明らかになった。

 記者は4年前の大学生時代、「20代男性現象」を研究したことがある。ソウル市長補欠選挙を経て「20代現象」が急浮上した時だった。当時の出口調査で、20代以下の男性の73%が保守側のオ・セフン候補(「国民の力」所属)を支持したという事実(60代以上の男性の70%より高い数値)にショックを受けた。彼らは2カ月後、国民の力のイ・ジュンソク最高委員を憲政史上初の「30代・議員経験なしの党代表」に当選させる気炎を吐いた。

 何か尋常でない動きだという点は明らかだった。だが、メディアや政界のいう「イデナム(20代男性)」ではなく、同時代を生きる平凡な同年代の男性たちの話を聞いてみたかった。1989~2002年生まれの男性240人をアンケート調査し、そのうち10人を深層インタビューした。結論は二つだった。彼らが階級・地域など伝統的な政治変数を超越した新しい政治集団になったということと、生涯の過程(学校・軍隊・恋愛)で累積した「剥奪感」を「怒り」で表しているということだった。「反フェミニズム」に代表されるこの怒りは、ジェンダー問題を越えた全方位的なものだった。そして4年後、彼らの一部は投票所ではなく「アスファルト(街頭)」に姿を現した。

 同年代の男性たちに向き合いながら切実に感じたのは、若い男性たちには「言語」がないという点だ。正確には、個人の苦痛を共同の問題として、そして構造的な解決策を要求する「連帯の言語」がない。代わりに「誰が刀で脅してるって?(=脅されていないのだから自分の選択だ、という意味の一種の流行語)」や「市場主義」の言語だけが溢れる。「イデナム」でひとまとめにできないそれぞれが生きる上でのつらさを抱えているはずなのに、これを全て個人のせいにして自嘲する。同年代の女性たちが、個人の性差別の経験をフェミニズムを通じて「私たちの問題」として言語化し、街頭に出て制度の変化を作りだしている間、男性たちは例えば軍の強制徴集制度や軍の人権問題に関してなんの言説も生みだすことができなかった。20~30代男性全体として決して一般化できない一部の「極右的な行動隊長」らの集会と暴動も、個別の怒りを表出しただけで、互いの痛みを分かち合う連帯の性格ではなかった。

 4年前の報告書はこのように結んでいる。「生存競争と未来の展望が暗い時代の状況に加え、生計扶養者、強い男性という伝統的な家父長モデルを要求される二重の圧迫の中で、若い男性たちがこれを効果的に表現する『言語』を見つけられず『怒り』だけを噴出させているという分析に耳を傾ける必要がある。彼らの省察と変化を引き出すことが、今後の韓国政治の緊急課題になるだろう」 。若い男性たちが「イデナム」などの呼び名でひとまとめにされず、自分の生きづらさを主体的に言語化できることを、連帯を通じて人生の峠を乗り越えられることを、心から願う。

キム・チェウン|政治チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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第2次トランプ政権の主導者たちは、米国の対外政策の失敗と悲劇は世界各地に介入した強硬な「ネオコン」に振り回されたせいで起きたと考え、彼らと断固として一線を引くことを主張する。

2025-01-29 09:41:02 | 世界平和を実現するために
トランプ2.0の
朝米首脳会談と危うい世界【寄稿】
登録:2025-01-25 08:46 修正:2025-01-29 06:59
 
ペク・スンウク|中央大学社会学科教授、『つながる危機』著者
 
 
2018年6月12日のシンガポールでの第1回朝米首脳会談での、金正恩国務委員長とアメリカのドナルド・トランプ大統領/ロイター・聯合ニュース

 トランプ大統領の2度目の任期開始後、私たちは今までの馴染みある世界とは違い過ぎる世界を経験するだろう。トランプの掲げる「米国第一主義(America First!)」というスローガンが、それ以前の馴染み深い「米国ナンバーワン」というスローガンとどれほど異なるかをみれば、その違いは推察できる。「米国ナンバーワン」が世界を共通の基準でまとめ、そこに例外なく従うことを強制するものだったとすれば、「米国第一主義」は、米国を偉大にする道なら例外が一般になるよう米国がいつでも変身し、それを世界に強制するという宣言だ。第2次トランプ政権の主導者たちは、米国の対外政策の失敗と悲劇は世界各地に介入した強硬な「ネオコン」に振り回されたせいで起きたと考え、彼らと断固として一線を引くことを主張する。今や米国は、世界に対する武力介入から脱し、「平和」の守護者へと変身しようとしているのだろうか。そうではない。第2次世界大戦後に米国が主導してきた世界秩序の共通の基準は、米国自身も制約されるせいで負担が重いため、これからは「米国第一主義」という独自の基準を掲げ、「無原則の世界」へと乗り出すという宣言に他ならない。その意味するところを米国の国内政治の視点と国際秩序の視点からみてみよう。

 トランプ2期目の米国政治の変化をみる際のポイントは3つある。一つ目は、相次ぐトランプの「奇異な人選」だ。トランプが指名した長官たちの役割は、各自の省庁をきちんと守ることではなく、その省庁を「壊すこと」だ。二つ目のポイントは、トランプ-マスク連合だ。連合に参加したマスクにとって重要なのは脱規制だが、これは自動運転車、ツイッターの後身であるX、そしてスペースXのいずれも該当する。マスクなら、宇宙産業の非効率性を打破するためにNASAの機能を大幅に調整し、その機能の一部をスペースXが買収することを中身とする民営化も推進しうる。前の2つと関係する三つ目のポイントは「ディープステート」に対する攻撃だが、第1次トランプ政権はこの「ディープステート」のせいで自分たちの目標が挫折したと彼らは考える。国が企業であったなら、新たな主力産業を推進するためには、あえてそれまでの省庁をそのままにしておく必要もなく、流動的な市場の要求に合わせて、いかなる省庁であれ、改編を随時柔軟に行うべきなのではないか。

 20世紀の米国自由主義の核心構図だった法人企業の経営に対する「公正な管理者」としての行政府、集団的権利の形成と管理の仲裁者としての行政府という枠組みは、こうして終わりを告げるだろう。

 予想される国際秩序の再編を考えてみよう。トランプは北朝鮮の核問題、ウクライナ戦争、パレスチナ-イスラエル戦争を同時に解決するとともに、この3カ所から手を引いて負担を現地勢力に移転しようとするだろう。韓国にとって現実的な北朝鮮の核問題をまずみてみよう。トランプの再選を予想し、朝米首脳会談を再推進するという北朝鮮の立場は、ロシアを支援してウクライナ戦線に派兵したことではっきりした。北朝鮮の対米交渉と核戦略の重大な転換点は、2019年初めの「ハノイ・ノーディール」で、これを機として「韓国パッシング(韓国外し)」と韓国に対する戦術核による威嚇の拡大、および米国を標的とした戦略核による威嚇の増強という大きな変化があった。2025年に朝米首脳会談が再推進されれば、韓国を排除して合意の保証者としてプーチンを登場させるというやり方になる可能性がある。その会談は米国を標的とした戦略核の凍結・縮小が主な議題となり、韓国を標的とした戦術核は議論の対象から外される可能性がある。北朝鮮がウクライナ派兵の見返りとしてロシアからミサイル防衛システムの支援を受けたということも重要だ。朝米首脳会談の議題で扱われなかった北朝鮮の戦術核の脅威に対する対応コストは、その後、韓国に対する防衛費分担金協定の請求書に記載される可能性がある。

 プーチンを朝米首脳会談に登場させることができれば、それはトランプがウクライナ終戦交渉を主導するうえでも有利な条件になる。米国は終戦後、ウクライナの長大な「非武装地帯」の維持から手を引いて、その軍事的責任を「欧州」に押し付けるだろうが、負担を抱え込む欧州は安保不安が高まるうえ、国内的には極右勢力の主張がよりいっそう激しくなるだろう。パレスチナ問題の解決は、2020年の「アブラハム合意」の道に沿うだろうが、これもまた紛争の終息ではなく紛争責任を現地に押し付ける方式の一時しのぎの対策であろう。

 第2次世界大戦後の世界秩序を「ヤルタ体制」と呼ぶとすれば、ヤルタ体制解体後の世界は「米国第一主義」の新たな秩序へと再編されるだろうが、世界全体に適用される「多国間主義的秩序」が崩壊したこの世界においては、大国ではない国々、そして力なき民衆は、生存を支える共通規範の喪失で苦しむ可能性が高い。

 
//ハンギョレ新聞社

ペク・スンウク|中央大学社会学科教授、『つながる危機』著者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1179566.html韓国語原文入力:2025-01-24 07:00
訳D.K
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脳の血管に入り込んだマイクロプラスチックが、血液の流れを阻害するなどして、血栓として作用できる可能性を示している。血流を妨害したり詰まらせたりして、運動・認知能力を損なう可能性

2025-01-28 19:44:14 | 問題がないは、大問題

脳血管に蓄積したマイクロプラスチック、

血栓になり認知・運動能力に悪影響

登録:2025-01-27 05:54 修正:2025-01-28 07:38
 
中国北京師範大学の研究チームがマウスを対象に実験 
マイクロプラスチック注入後、脳灌流圧が低下
 
 
昨年9月24日米国サンフランシスコに捨てられたプラスチックのゴミ=サンフランシスコ/AFP・聯合ニュース

 人間が作った各種のプラスチックが5ミリメートル以下に細かく砕かれたマイクロプラスチックは、大気から深海、南極の氷に至るまで、地球の各所で広範囲に発見される。今では人体からも検出されるが、科学者たちはマイクロプラスチックが人体にどのような影響を与えるのかについては、まだ正確には説明できずにいる。日々発表される関連論文は、これに対する不安と懸念を含んでいる。

 最近公開された研究結果は、脳の血管に入り込んだマイクロプラスチックが、血液の流れを阻害するなどして、血栓として作用できる可能性を示している。血流を妨害したり詰まらせたりして、運動・認知能力を損なう可能性がある。

 
プラスチックが細かく砕かれたマイクロプラスチックは、人体の各所、特に脳で多く検出されている=ゲッティイメージズバンク//ハンギョレ新聞社

 中国北京師範大学に所属の黄蔚(Wei Huang)研究員とその共同研究者は最近、科学誌「サイエンス・アドバンシズ」に、マウスに注入したマイクロプラスチックがどのように動くのかを蛍光画像で観察した結果を論文に発表した。研究チームは、蛍光で表示したマイクロプラスチック粒子をマウスに注入し、脳の血管を映像化して蛍光画像を読み取る手法で、これを観察した。その結果、口から投与した場合は2~3時間後に、注射を通じて直接血流に注入した場合は10分以内に、脳の血管からマイクロプラスチックを発見することができた。

 この過程で研究チームは、マイクロプラスチックが、病原菌を摂取して破壊する免疫システムの一環である「食細胞作用」を通じて、好中球や大食細胞(マクロファージ)などによって吸収されることを発見した。ただし、マイクロプラスチックは破壊されないため、これを摂取した細胞は血管に絡みつき血栓となり、少なくとも1週間以上は残り、血流を阻害することが明らかになった。脳血管灌流圧は、マイクロプラスチック注入の10~30分後から明確に低下し、この現象は特に細い血管であるほど顕著だった。マイクロプラスチックによる血流が詰まる現象は7日ほど続き、28日後にはある程度回復したが、以前ほどの水準ではなかった。

 
 
中国北京師範大学の研究チームによる実験の結果、マイクロプラスチックを注入したマウスの脳に血栓が生じて血流が減少することが明らかになった=論文より//ハンギョレ新聞社

 研究チームは、このようにしてマイクロプラスチックが起こした血栓塞栓症が「脳組織での血液供給を不足させ、マウスの神経・認知活動に障害を起こした」ことを明らかにした。マイクロプラスチックを注入したマウスが、迷路で道を探す記憶力テスト、棒にぶら下がるなどの運動力テストなどで、明らかに低い能力を示したということだ。研究チームは、今回の研究はマイクロプラスチックが血管の閉塞に及ぼす影響を示したとして、このような障害が「心血管の健康に害をもたらす結果を招く可能性が高く、特に心筋梗塞に類似する基礎疾患がある患者にとっては、さらに深刻な副作用を招くことになる」と明らかにした。ただし、人間とマウスでは、免疫システムや心血管と脳血管の循環システムがそれぞれ違うため、今回の研究を直接人間に適用することにはできず、今後、さらなる研究が必要だと付け加えた。黄蔚研究員は自身の共同研究者が、マウスの心臓と肝臓でも脳と同様の現象を観察したが、現時点ではその研究結果は公開されていないことを明らかにした。

 昨年12月に韓国の研究チームは、韓国の成人10人中9人の血液の中から、平均粒子サイズが20~50マイクロメートルのマイクロプラスチックが、1ミリリットルあたり4.2個のレベルで検出されたという研究結果を発表した。これに先立ち昨年9月には、米国ニューメキシコ大学の研究チームは、8年間に92体の遺体を研究した結果、すべての臓器にマイクロプラスチックが蓄積されており、特に脳では、肝臓や腎臓などの他の臓器に比べ7~30倍多く検出されたという研究結果を発表したことがある。

チェ・ウォンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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私が初めて日朝協会の公式行事に参加したのは、1962年4月5日、日朝協会第七回大会(比叡山根本中道講堂)でした。

2025-01-27 21:17:56 | 朝鮮を知ろう。

原稿依頼 1

 

                   本は私の著作です。

 

 今年、日朝協会は結成70周年を迎える。いろいろな行事が予定されているが「70年史」もそのうちの一つだ。京都の編集部に送った原稿である。

 

日朝協会京都府連70周年を振り返って

    初心忘れず世界平和のために 

                             大橋  満    

私が初めて日朝協会の公式行事に参加したのは、1962年4月5日、日朝協会第七回大会(比叡山根本中道講堂)でした。

 日朝友好を進めなければならないと思ったのは、子どもの頃、私の隣に朝鮮人がいたからです。

私は、1953年4月から3年間、乙訓中学校(現在は勝山中学)にかよっていました。二度クラス替えがありましたが、なぜか隣の席に同じ朝鮮の友人がいました。三守(サムス)という名前でした。随分後になって当時の担任の先生から「彼は大橋君の隣にいれば普通に授業を受けているが、別のところに座ると横にいる者の邪魔をして授業にならない。君には申し訳なかったが、職員会議で決めたのだ」と聞きました。このことが私の一生を左右する出来事になるとは、思いもしませんでした。

 当時は中学校を卒業すると就職する子どもが多く、我が家は母子家庭で、兄と妹がいましたから、通勤に近くて一番給料のよい会社に入って夜学に行くことを決めていました。私は希望する会社と学校に入りましたが、サムスはどこにも就職できませんでした。

その理由は、彼が朝鮮人だということだけでした。私はその時初めて、世の中に「朝鮮」差別があることを知り、腹が立ち怒りを覚えたのを昨日のことのように覚えています。

 20歳になった頃、彼がひょっこり私の家にきました。「お!どうしてたんや?」という会話から彼が苦労してきた話を聞き、「子どもができて、退院させる金がないので貸してくれ」というのです。勿論私の家には余分のお金はありませんでしたが、「おれな、背広を買おうと思って貯めている金があるのでそれを使えばええわ!」といって渡しました。

 何日かしてまた彼が来ました。彼は私を自分の家に連れて行きました。そこは、桂川の堤防ぞいにある「0番地」というところでした。藁ぶき小屋で一間しかない家でした。「まあ座ってくれ!」といわれるがままにその土間に座わり周囲を見ましたが何もありませんでした。彼は、男の子が生まれたころ、別にアパートを借りたこと。そうしてどんな仕事をしているか説明を聞いたのですが、どう考えても暴力団の手伝いみたいなことでした。

 彼は花札を出し、いかさまの方法を教えてくれました。ヤクザ映画の高倉健か勝新太郎の話を聞いているようでした。

 私は、夜学を卒業後労働組合活動と日本人と朝鮮人が仲良くしようという「日朝協会」の活動をしていることを話しましたが、どちらからもお金についてはふれませんでした。私が留守のときに、貸したお金を返しにきたと母から聞きました。

 40歳をすぎた頃、京都市内で中学1・2年の有志同窓会をしました。まさかと思っていたサムスが韓流スターのような息子を連れて参加してきました。当時彼は、そちら(裏)の世界では、「長」がつく地位だったのでみんなびっくりしました。一人づつ立って近況報告が始まりました。

 サムスに順番が周り、みんな何を言い出すのか、かたずを呑んでシーンとなりまた。

そこには昔の悪さ坊主の彼はなく、にこにこして話を始めました。今日は子どもをつれてきました。そのままの俺を見てもらおうと思って・・・

 彼は、若くて結婚した経緯やダンプに乗っていたことや、嫁とそりが合わなかったことまで話し、子どもができて退院する金がなく大橋君に借りて助かった。その時の子がこの息子で日本名を「みつる」とつけました、というのです。私もびっくりしましたが、20数人いた参加者全員が、子どものころは悪さばっかりしていた彼が、こんなにもすなおな人だったのだと感激したのでした。

 彼は、食事もそこそこに行くところがあるのでお先に失礼します、と息子にも挨拶させて帰って行きました。後になって、その時の思い出話は、みんなサムスのことでした。

 50歳を少しこえたころ、彼の身体はボロボロになり、帰らぬ人となったと聞きました。

 私は、中学生の時以来70年近く「日・朝・韓友好」のために努力して来ました。何としても朝鮮差別をなくさなければならないと思っています。

 これからのアジアと世界の平和を考えるとき、日本国民と朝鮮・韓国国民の友好親善が、大きな役割を果たすことに確信をもって命のある限りこの道を歩んでいきたいと思います。

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