「貴様! 鮮人だろう?」  「いいえ、日本人です、日本人です」  日本の軍警と自警団が「井戸に毒を入れる」朝鮮人と善良な内地人(日本人)を区別するために使った方法は「発音」だった。

2024-09-02 10:54:19 | 歴史に照らして整合性を!
 

十五円五十銭【コラム】

登録:2024-09-01 22:50 修正:2024-09-02 09:46
 
//ハンギョレ新聞社

 「こらッ! 待て!」

 関東大震災が東京を襲った翌日の1923年9月2日、早稲田大学英文科の学生だった壺井繁治(1897~1975)は、友人の安否を確認するため、大学近くの下宿街、新宿の牛込弁天町にあるその友人の家を訪ねた。地震に乗じて朝鮮人たちが暴れているといううわさがその街にも広がっていた。壺井は下宿を出て、大混乱に陥っている東京の街を歩いた。地震の残酷さと、「銃剣」で武装した兵士たちが醸し出す殺気が満ちていた。橋の前に設置された戒厳屯所で、ある兵士に一行は呼び止められた。

 「貴様! 鮮人だろう?」

 「いいえ、日本人です、日本人です」

 日本の軍警と自警団が「井戸に毒を入れる」朝鮮人と善良な内地人(日本人)を区別するために使った方法は「発音」だった。避難する壺井が乗った汽車が小さな駅に止まると、銃を持った兵士が乗り込んできて、一人の男をにらみながら言った。

 「十五円五十銭いってみろ!」

 この日の殺伐とした光景について、壺井は25年後の1948年に発表した詩「十五円五十銭」で、その男が「朝鮮人だったら/『チュウコエンコチッセン』と発音したならば/彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう/国を奪われ/言葉を奪われ/最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ/僕はその数をかぞえることはできぬ」と述べて悲しんだ。

 このところ政界で続いている「日帝時代の国籍は日本」という論議を聞いているとイライラする。日本は1910年8月に朝鮮を強制併合した際、朝鮮人に日本国籍を与えると言ったが、薄っぺらい欺まんに過ぎなかった。一部の親日派を除くほとんどの朝鮮人にとって、日本国籍は侵略と圧政の象徴に過ぎなかった。朝鮮には「内地」とは異なり日本の憲法は適用されず、使われる法律も異なっていた。日本は「内地戸籍」と「朝鮮戸籍」を徹底して区別し、両戸籍の移動を禁じた。日本人にとって朝鮮人は依然として外国人であったし、地震のような危機に直面すれば除去すべき差別、排除、偏見の対象に過ぎなかった。

 大韓民国の憲法精神は、日帝の植民地支配はそもそも不法、無効だというものだ。それを否定する人物が独立記念館長となり、また長官となっている。日帝時代の朝鮮人の国籍が「日本」だったという「ファクト」に忠実に従ったあなたたちは幸せなのか。物議を醸したキム・ヒョンソク独立記念館長とキム・ムンス雇用労働部長官は「十五円五十銭」が正しく発音できるのか。

キル・ユンヒョン論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原告が敗訴した二審判決を破棄して東京高裁に差し戻し、統一協会による献金勧誘行為の違法性について審理を尽くすよう求めました。高額献金強要の違法性と協会側の責任を問う重要な判断です。

2024-07-18 19:42:08 | 歴史に照らして整合性を!

 

統一協会最高裁判決

高額献金強要の違法性を提起

 統一協会(世界平和統一家庭連合)への高額献金をめぐり、元信者の女性の遺族が協会側に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が11日、最高裁第1小法廷で行われました。判決は、元信者が協会側に▽返還請求をしないこと▽損害賠償を求める訴訟を起こさないこと―などを記した「念書」について「公序良俗に反し、無効」と断じました。

 そのうえで、原告が敗訴した二審判決を破棄して東京高裁に差し戻し、統一協会による献金勧誘行為の違法性について審理を尽くすよう求めました。高額献金強要の違法性と協会側の責任を問う重要な判断です。

■不安をあおり勧誘

 元信者の女性は2004年から長野県内の協会関連施設に通い始めました。統一協会は、親族の病気や自殺、離婚などは怨恨(えんこん)を持つ霊によって引き起こされたという教理で女性の不安をあおり、霊の影響から脱して幸せに暮らすためと称して、くり返し献金を勧誘しました。

 その結果、09年までに十数回にわたり合計1億円余を献金させました。また08年以降、土地を合計3回、7268万円で売却させ、うち480万円を献金させました。さらに、残りのお金を協会に預託させ、その中から15年までに2066万円を献金させました。

 1億円を超える高額献金の事実を女性が親族に語ったことを知った協会側は15年11月、返金を求められることを懸念し、女性に返還請求や損害賠償請求を一切行わないと約束する「念書」を書かせました。さらに、女性が返金手続きをする意思はないと語るビデオまで撮影していました。

 女性は「念書」を書いた時には86歳で、半年後にアルツハイマー型認知症と診断されました。また、韓国での「先祖解怨(かいおん)」儀式に何度も参加し協会の「心理的な影響の下」にありました。そこで判決は、「念書」が「合理的に判断することが困難な状態にあることを利用して…(女性に)一方的に大きな不利益を与えるもの」と認定したのです。

 統一協会は長年、信者に高額の壺(つぼ)や印鑑などを買わせる「霊感商法」を主な資金源としてきました。しかし、09年に協会傘下の印鑑販売会社「新世」が摘発され、2度にわたり「コンプライアンス宣言」を出さざるを得なくなりました。

 表立って「霊感商法」をやりづらくなった統一協会は、信者に高額献金を強要する方向を強めました。消費者契約法などの網にかかりにくいからです。そして返金リスクを避ける目的で信者に「念書」を書かせる手法を広げました。今回の判決は「念書」で献金強要の責任追及を逃れようとする統一協会の悪質な手口を封じる意義をもちます。

■被害者救済を急げ

 最高裁判決は、統一協会の反社会的本質を改めて浮き彫りにしました。これまで統一協会の不法行為を見過ごしてきた行政や司法の姿勢が問われます。何より統一協会と長年癒着してきた自民党の責任を厳しく指摘しなくてはなりません。

 統一協会の違法な活動の全容解明と、さらなる対策強化が急がれます。被害者救済は待ったなしです。政府が東京地裁に請求した教団の解散命令の発令も速やかに行われるべきです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウルに住んでいたBさんも1973年10月10日、警察に捕まり、麗水の旅館、光州の対共分室などで1カ月間暴行と水責めの拷問を受けたと証言した。

2024-07-13 09:09:16 | 歴史に照らして整合性を!
 

「拷問で捏造」のスパイ容疑、

50年後に晴らす…「うれしいというより虚しい」=韓国

登録:2024-07-11 06:17 修正:2024-07-11 07:59
 
麗水の巨文島一家、50年ぶりに無罪  
再審裁判所「拷問のせいで虚偽の自白」
 
 
9日、光州高等裁判所の前で1973年スパイ事件の無罪を言い渡された被告と市民団体のメンバーたちが喜びを表している/聯合ニュース

 「『無罪』という二文字を勝ち取るために、50年間あれほど努力したのかと思うと、嬉しいというより虚しいです」

 9日、光州(クァンジュ)高裁の前で、Aさん(70)は国家保安法違反事件の再審で無罪判決を言い渡された後、虚しいという感想を述べた。この日、光州高裁2刑事部(裁判長イ・ウィヨン)は懲役刑を宣告した原審を破棄し、AさんとAさんの親戚のBさん、Aさんの父親(1914~1986)、母親(1917~1994)など一家4人に全員無罪を言い渡した。

 全羅南道麗水市巨文島(ヨスシ・コムンド)に住むAさんの家族は、北朝鮮の指令を受けてスパイ団として活動した疑いで1973年に起訴された。

 当時、警察と検察は、Aさんが1972年10月に北朝鮮にいる叔父に拉致されてから帰ってきたことを根拠に、スパイの濡れ衣を着せた。Aさんが北朝鮮で洗脳と工作訓練を受け、両親と親戚関係のBさんなどに工作金を渡して抱き込み、スパイ団を作りあげたという捜査結果を発表した。

 Aさんらは捜査初期には事実ではないと抗弁したが、長期間拘禁され拷問を受けた末、「北朝鮮の工作員である」という虚偽の陳述をした。控訴審でAさんは懲役15年、BさんとAさんの父親は懲役5年、Aさんの母親は懲役3年6カ月が確定した。

 再審判決文には、Aさんが虚偽の自白をせざるを得なかった状況がそのままあらわれている。

 1973年10月5日、麗水警察署の情報課の警察官らに捕まったAさんは、旅館に連れて行かれ、ひどい虐待を受けた。Aさんは「旅館の部屋に入るやいなや警察が服を脱がせて『お前のような共産主義者を捕まえて殺すために警察官になった』と言って、ベルトでめちゃくちゃに殴った」とし、「他の部屋では両親が拷問される音がはっきり聞こえてきて、両親も連行されたという事実が分かった」と陳述した。Aさんは「3日後、警察が麗水警察署の地下室に連れて行き、鉄製のベッドに手足を縛って顔にタオルをかけて大きなやかんで水を注ぎ始めた」とし、「ある瞬間、息が止まり、楽になったことを感じたが、胸を押さえつけるような苦しみで正気に返った。後で分かったことだが、人工呼吸を受けたことに気づいた」と証言した。

 判決文には、Aさんが出所後、一生母親と距離を置いていた事情も含まれていた。捜査当時、警察はAさんに「母親に性的暴行を加えた」という供述を強要した。Aさんは「顔に血が飛び散るほど太ももを棒で殴られ、恐怖のあまり虚偽の自白をした」とし、「その時の恥辱を忘れることができず、出所後に母親をまともに見ることができなくなり、家を出た」と語った。Aさんの姉は「母親は大邱(テグ)刑務所の近くに小さな部屋を借りて暮らしながら、弟の出所を待っていた」とし、「家を出た弟を恨んできたが、再審を準備する過程でその話を聞いて気を失いそうな衝撃を受けた。一言も言えず、弟の前で泣くしかなかった」と話した。

 ソウルに住んでいたBさんも1973年10月10日、警察に捕まり、麗水の旅館、光州の対共分室などで1カ月間暴行と水責めの拷問を受けたと証言した。

 生涯無実を訴えてきたAさんらは2022年9月、また別の「巨文島スパイ団事件」の被害者が無罪を言い渡されるのを見て、再審を申請し、裁判所は昨年9月に再審を受け入れた。

 再審裁判所は「Aさんらは拘束令状もなく長期間不法拘禁された状態で、拷問などの苛酷行為と萎縮した心理状態により虚偽の自白をし、自述書を作成したものとみられる」とし、「原審法廷でAさんの国選弁護人は意見書など書面を一度も提出しておらず、無罪主張や拷問などの不法捜査に対して何の弁論もなされなかった」として、無罪宣告の理由を明らかにした。

キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高霊の宮殿の場所から「大王」と彫られた土器が出土 

2024-07-11 21:52:13 | 歴史に照らして整合性を!
 

【独自】泥岩層から出土した大伽耶初の「大王」の痕跡…

1500年の謎を解くか

登録:2024-07-09 07:09 修正:2024-07-09 07:56
 
伽耶人が用いた最高指導者の呼称の謎 
高霊の宮殿の場所から「大王」と彫られた土器が出土 
伽耶が支配者に新羅のように「大王」と呼称したと推定 
 
 
「大王」と刻まれたと推定される土器のかけらの銘文の細部と土器のかけらの全体像。土器のかけらの下段に「大」の字とその下に一部字形が崩れた「王」または「干」と読める不完全な1文字が連続して浮き彫りになっている=大東文化財研究院提供//ハンギョレ新聞社

 大伽耶は、約1500年前に慶尚道西部と全羅道東部にかけて繁栄し、新羅と競合した強力な小国家だった。大伽耶の人々が最高首長を当時の新羅のように「大王」と呼んだことが推定できる遺物が出土した。

 先月27日に発掘調査が終った高霊(コリョン)の大伽耶邑延詔里(テガヤウプ・ヨンジョリ)555-1番地の「大伽耶推定宮城跡」I-1区域の堀(防御用の池)跡の内部の底の泥岩層から出土した土器のかけらがまさにそれだ。先月21日に発掘機関である大東文化財研究院が、宮城跡と堀跡についての現場説明会を開いた直後に出土した、6世紀初めごろの大伽耶系の土器で、未公開の遺物だ。

 この土器のかけらを調べたところ、下の部分に明確な「大」の字と、一部字形が崩れて「王」または「干」の字と推定できる不完全な形の1文字を垂直の構図で続けて浮き彫り(陽刻)にした模様が確認された。

 「大」の字は全体が明確に表れ、その下の字は上の部分の画だけが残っているが、「王」であることが明らかだとする見解が有力だ。慶北大学のチュ・ボドン名誉教授ら古代金石文を研究する一部の歴史学系の専門家らが事前に鑑識した結果、「王」の字であることがほぼ確実だとする意見を提示したことが分かった。

 
 
慶尚北道高霊郡大伽耶邑内の大伽耶の宮城と推定される遺跡の堀底で発見された、「大王」と刻まれたと推定される土器のかけら=大東文化財研究院提供//ハンギョレ新聞社

 「大王」と判読する場合、出土場所が明らかな大伽耶の遺物から「大王」という呼称名が確認された初の事例となる。大伽耶が最高首長を「大王」と呼んでいたという実物の資料になるという点で、支配勢力内部の階層構造を把握する具体的な端緒を発見したという意味が大きい。

 「三国史記」や「三国遺事」などの朝鮮半島の歴史書には、高句麗や百済、新羅の首長は「王」と呼ばれ、新羅の場合、6世紀初期に仏教を公認した法興王の時代に「大王」という称号を使用していた記録が伝えられているが、大伽耶の人たちが首長をどのように呼んでいたのかについての歴史的資料はない。

 ただし、朝鮮半島関連の歴史的記述の歪曲が激しいという指摘を受けている7~8世紀の古代日本の歴史書である「日本書紀」には、慶尚南道咸安郡(ハマングン)一帯にあった安羅国(安羅伽耶)と伽耶(大伽耶)では王という称号が使われていたという内容が残されている。このような脈絡から、大伽耶の首長が「大王」という称号を用いていたのは、伽耶帝国の他の伽耶勢力の間で優れた地位を誇示し、新羅や百済とは同格の国であることを示そうとする意味があるものとみられる。

 
 
「大王」と推定される字が刻まれた土器が出土した大伽耶の宮城と推定される遺跡の土城壁の下の堀の様子。底面に黒ずんだ泥岩層が見える。ここから銘文土器が出土した=大東文化財研究院提供//ハンギョレ新聞社

 出土場所が宮城跡と推定される遺跡の下方の堀の底である点も重要だ。土器自体が、学界が実体を追跡してきた高霊の大伽耶の宮城跡であることを立証するもう一つの考古学的根拠になるためだ。

 大伽耶系の遺物で「大王」の銘文が出土した先例としては、1990年代から忠南大学博物館が所蔵している「大王」と刻まれた大伽耶系大型土器の有蓋長頚壷(蓋付きの首の長い壷)がある。しかし、出処不明の盗掘品の性質を持つ購入品であるため、信憑性に劣るという限界がある。

 出土した大伽耶土器のなかでは別の銘文が刻まれた事例も珍しいが、一部報告された事例が知られている。慶尚南道陜川郡苧浦里(ハプチョングン・チョポリ)から出土した「下部思利利」と記名された土器が代表的で、大伽耶が古新羅のように地方行政単位で部体制を整えていたことを示す遺物とされる。

 
 
忠南大学が所蔵する「大王」と彫られた有蓋長頚壷と、この壷の蓋と胴体の部分にそれぞれ刻まれた「大王」の文字=国立金海博物館提供//ハンギョレ新聞社

 大邱韓医大学のキム・セギ名誉教授(考古学)は「大伽耶は他の伽耶の小国とは違い、5世紀末に中国南朝の南斉に使節を送り、首長が公式に爵位を得て、その後は新羅のように古代国家級に成長することになる」とし、「大王と刻まれた土器の発見は、古代国家の段階に達した大伽耶の国家体制の実体を示す重要な成果とみられる」と述べた。

 大東文化財研究院は9日午後2時、大邱市頭流洞(テグシ・トゥリュドン)にある研究院の建物で、古代史や考古学の専攻者らを招待し、銘文土器を公開して意見を聞く説明会を開く予定だ。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この戦争に関係した国の指導者と国民は、朝鮮戦争が残したこれらの教訓を決して軽く考えてはならない。しかし、現実は逆の方向へと向かってばかりいるようで心配だ。

2024-06-24 09:10:47 | 歴史に照らして整合性を!
 

誤った判断が招いた朝鮮戦争…悲劇を繰り返してはならない【寄稿】

登録:2024-06-21 09:14 修正:2024-06-21 11:15
 
朝鮮半島で戦争が起これば米国、ロシア、中国などの周辺の大国が、朝鮮半島が地政学的に重要であるせいで、いかなるかたちであれ介入してくる。朝鮮半島の統一は、一方が他方を屈服させる戦争では不可能であり、戦争は南北に巨大な人的、物的被害を残すにとどまる。 
 
パク・チャンスン|漢陽大学史学科名誉教授
 
 
朝鮮戦争中の1950年、スターリンと金日成の肖像が掲げられた建物の前で市街戦を繰り広げる国連軍/AP・聯合ニュース

 数日後に迫った6月25日は、朝鮮戦争が起きて74年になる日だ。朝鮮戦争は20世紀の韓国史で最も多くの犠牲者を出した事件であり、世界史においては東西冷戦を深化させた重要な事件だ。だが、朝鮮戦争が起きる過程では、この戦争についての各国の指導者たちの深刻な誤算と誤った判断があった。

 まず北朝鮮をみてみよう。政権樹立直後から「国土完整」を掲げ、戦争による統一を夢見てきた金日成(キム・イルソン)は、1949年と1950年の春にソ連のスターリンに会い、戦争支援を要請した。1949年春には「まだその時ではない」と拒否したスターリンは、1950年春にはその要請を受け入れた。この時スターリンは、戦争が起これば米国が介入してくるのではないかと金日成に問うた。金日成は、中国の国共内戦にも介入しなかった米国が、それより小さな朝鮮半島の戦争に介入するはずはないと主張し、米国が介入してきたとしても、その前に速戦即決で戦争を終わらせる計画だとスターリンを説得した。しかし米国は戦争が起きるやいなや直ちに介入を決定し、国連軍を組織して朝鮮戦争の主役となった。金日成の判断は完全に間違っていた。

 また、北朝鮮の金日成とパク・ホニョンは、戦争を起こしてソウルを占領すれば、南の南労党の残余勢力20万人あまりが蜂起して南の政府を転覆するだろうし、北朝鮮軍は1カ月以内に南海(ナムヘ)岸まで進撃して戦争を早期に終わらせられると予想した。しかし左翼勢力の蜂起は起こらず、国軍と国連軍は洛東江(ナクトンガン)に防衛線を構築し、3カ月ほど持ちこたえた。そして国連軍の仁川(インチョン)上陸作戦により、戦勢は完全にひっくり返った。戦争はその後も3年近く続いた。この戦争による死傷者数は、韓国軍は死者約13万人、負傷者45万人、北朝鮮軍は死傷者52万人、国連軍は死者3万人、負傷者10万人、中国軍は死者13万人、負傷者20万人。民間人の被害も大きく、南では死者が24万人、虐殺された民間人は12万人で、北朝鮮では約28万人が死亡したとされている(国防部軍史編纂(へんさん)研究所の統計)。結果的に北朝鮮は、膨大な犠牲者数を出した不必要な戦争を挑発したという非難ばかりを受けることになった。

 ソ連をみてみよう。1949年8月に核実験に成功すると、スターリンは米ソ冷戦対決にある程度自信を持ったようだ。また1949年9月に中国共産党が国民党政権を台湾へと追いやり、中華人民共和国政府を樹立すると、東アジアの情勢は共産主義者に有利なものへと変化したと考えた。彼は、金日成政権が朝鮮半島全域を掌握すれば、ソ連の影響力が朝鮮半島南端にまで及ぶと期待したとみられる。彼は、ソ連が朝鮮半島での戦争に直接軍隊を送ることは難しいと考え、戦争が起きて万が一北朝鮮が不利になったら、ソ連の代わりに中国に軍を派遣させるという計画を立てた。

 米国の介入を最も懸念したスターリンは、1950年1月の米国務長官アチソンの演説やマッカーサーの電文などの様々な情報を分析し、太平洋での米国の防衛線は日本-沖縄-フィリピンをつなぐ線だと考え、韓国はそこから除外されていると判断した。したがって、韓国で戦争が起きても米国は介入しないと結論付け、金日成の戦争開始を容認したのだ。しかし、米国は戦争が起きるやいなや、それをソ連が北朝鮮を前面に押し立てて米国に挑戦する行為と受け止めた。米国は日本にあった極東司令部の米軍を直ちに韓国に送り、台湾にも第7艦隊を派遣した。米ソ冷戦が深刻化していた時期に、米国はソ連の挑戦に強く対応したのだ。スターリンの予想は完全に外れた。

 
 
1954年10月1日、中国共産党の毛沢東主席(右から)と北朝鮮の金日成主席、中国の周恩来首相らが、北京の天安門の上で、中国建国5周年の軍事パレードを見守っている=北京/AFP・聯合ニュース

 中国をみてみよう。スターリンはモスクワを訪れた4月の金日成との会談で、毛沢東の同意を条件に北朝鮮の戦争開始を許した。そこで金日成主席は5月に北京入りし、「スターリンはすでに戦争開始に同意した」として毛沢東に同意を要請した。この時、毛沢東がスターリンに電文で同意したのかを問い合わせると、スターリンは回答の電文で、自身は同意したが、「もし中国の同志たちが同意しないのなら、この問題は改めて討論して決めるべきだ」と述べた。毛沢東も戦争開始の責任をともに負おうということだった。結局、毛沢東は米軍の介入を懸念しつつも、戦争開始に同意した。毛沢東が同意したのは、スターリンがこの戦争をすでに決意していると考えたからだ。当時、様々な面でソ連の助けが必要だった新生中国の指導者として、毛沢東はスターリンの顔色をうかがわざるを得なかった。しかしこの時、毛沢東が同意してしまったため、その年の10月に北朝鮮に26万人の軍を送らざるをえなくなり、休戦までに13万人あまりの中国兵が死ぬことになる。

 米国をみてみよう。米国は1949年6月、韓国から軍事顧問団を除くすべての米軍を撤退させた。これは北朝鮮からのソ連軍の撤退に対応したものではあったが、北朝鮮の南侵の可能性を見過ごしたものでもあった。米軍撤退後もまさかソ連が北朝鮮を前面に押し立てて南侵しては来ないだろうと考え、韓国に対しては軍事援助よりも経済援助に関心が高かった。そして、アチソンラインなるものを発表し、ソ連と北朝鮮を刺激した。その結果は、ソ連軍の支援を受けた北朝鮮軍の全面南侵だった。

 韓国をみてみよう。韓国は1949年以降、北朝鮮と頻繁に国境線で衝突を起こし、北朝鮮の「全面南侵」も懸念しており、米国に軍事援助を大幅に増やすよう要請していた。米国はそれを拒否した。米国は、北朝鮮の南侵の可能性はあまりないと考えていた。むしろ軍事援助を増やせば、韓国が北侵するのではないかと懸念していた。当時、李承晩(イ・スンマン)政権は北朝鮮の全面南侵に対する備えが不十分であったにもかかわらず、「北進統一」を叫んで虚勢ばかり張っていた。

 朝鮮戦争が残した教訓は次のようにまとめることができる。第1に、朝鮮半島で戦争が起これば米国、ロシア、中国などの周辺の大国が、朝鮮半島が地政学的に重要であるせいで、いかなるかたちであれ介入してくる。第2に、朝鮮半島の統一は、一方が他方を屈服させる戦争では不可能であり、戦争は南北に巨大な人的、物的被害を残すにとどまる。したがって、朝鮮半島の統一は平和的な過程を通じてのみ推進されなければならない。第3に、朝鮮半島の統一は米国、中国、ロシアなど、今も朝鮮半島にかなりの影響力を持つ周辺大国の協力なしには実現が困難だ。

 この戦争に関係した国の指導者と国民は、朝鮮戦争が残したこれらの教訓を決して軽く考えてはならない。しかし、現実は逆の方向へと向かってばかりいるようで心配だ。

 
//ハンギョレ新聞社

パク・チャンスン|漢陽大学史学科名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする