[ルポ]
「まさか感染?」「もしかして新天地?」
まさに疑心暗鬼地獄だった
上級・総合病院15カ所でも感染者の急増に打つ手なし
入院待機中の市民が涙ながらに「家族への感染が心配」
商店街が営業を再開し、東城路はマスク姿の人たちでにぎわう
「大邱はもっと強くなるばかり」 遅い春の訪れに“期待”
1月20日に国内初の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染者が発生してから29日後の2月18日、大邱(テグ)で初のCOVID-19感染者が確認された。以後、大邱はCOVID-199戦争の最前線に立った。一日数百人の感染者が発生し、危機を迎えたが、市民の努力と全国的な支援により、大邱は徐々に日常を取り戻しつつある。COVID-19戦争の現場で、取材を続けてきたキム・イル記者が72日間の熾烈な奮闘を振り返った。
「大邱のCOVID-19感染者は前日より741人が増え、述べ2055人になりました」
2月29日午前10時30分、大邱市庁で開かれたCOVID-19定例会見で、固い表情のクォン・ヨンジン市長が口を開いた。
「確保できる病床数は患者の増加傾向に到底及ばない状態で、現場の医療陣不足も深刻です。入院待機中に命を落とす方が連日現れており、追加感染を心配する市民の不安も高まっています」
準備した原稿を読み上げるウォン市長の顔はますます暗くなった。2月18日、大邱で新天地エイス教会信者で初の感染者(31人目の感染者、61歳の女性)が出た際は、事態がこれほど深刻になるとは思いもしなかった。しかし、わずか10日で累積感染者が2千人を突破しただけに、定例会見場には緊張感が漂っていた。
「1日で741人だって、明日は1000人を超えるんじゃないの?」「本当に大変なことになった」。ひそひそと話す記者らの顔も曇っていた。
数日後の夕方、帰宅途中に20~30代の若者たちが多く集まる大邱の鍾路(チョンノ)を訪れた。普段なら夜遅くまで賑わう街なのに、がらんとしていた。少なくとも50以上の店のうち、営業中の店は片手で数えるほどで、それらの店にも客の姿はなかった。静けさと恐怖に包まれた都市の姿は、これまで経験したことのない非現実的なものだった。
6つの広域市のうち、大型医療機関が最も多い大邱だったが、COVID-19の前では打つ手なしだった。大邱には上級総合病院が5カ所、総合病院が10カ所あり、7千を超える一般病床を有していた。光州(クァンジュ)や大田(テジョン)、蔚山(ウルサン)などにはない地方医療院(大邱医療院)も運営されていた。COVID-19事態後、啓明大学東山医療院が大邱東山病院を丸ごとCOVID-19専門病院とし、国軍大邱病院や大邱報勲病院、勤労福祉公団の大邱病院などにも病床を設けたが、爆発的に増える感染者を収容するには不十分だった。
大邱西区(ソグ)保健所感染予防医薬チーム長(2月22日)や大邱東部警察署警察官(2月24日)、大邱市経済部市長秘書(2月25日)などの感染が確認され、隔離された。記者団の中でも「自宅隔離者と感染者が出た」という噂が流れた。知人の中でも発熱症状が現れたとして検査を受けた後、家に引きこもる人が多くなった。
病床が見つからなかった感染者が2千人に迫り、自宅で死亡する感染者が続出した。病床が空くのを待っていた50歳の男性感染者は先月1日の電話インタビューで、「(病床がなくて)家にいるが、体の弱い妻が感染するのではないか心配だ」と語りながら、すすり泣いた。
あふれる感染者の収容は、地域にある公共機関や宿泊施設を生活治療センターにし、軽症や無症状の感染者を隔離して治療する生活治療センター運営で突破口を見いだした。感染者は有無を言わさず入院させる「COVID-19対応指針」が先月1日に改正され、全国に15の生活治療センターが設けられたことで、感染者の待機問題も徐々に改善された。
感染者が増えるにつれ、人々の警戒心も強まって行った。「私も感染したのではないか」、「あの人も感染者ではないか」。まさに“疑心暗鬼地獄”だった。
人に会えば、第一声が「新天地イエス教会の信者ではないですよね?」である場合も多かった。大邱の感染者のうち、新天地イエス教会の信者が占める割合が60%を超えたためだ(29日0時現在、6852人のうち4261人)。
生活治療センターの運営と共に、大邱のCOVID-19事態の震源地だった新天地の関係者の全数調査が終わり(先月10日)、大邱は徐々に安定を取り戻し始めた。先月12日、大邱では初めて1日の新規感染者より隔離解除者の数が多くなった。待ち望んでいた“ゴールデンクロス”だった。今月8日から大邱の1日の新規感染者は引き続き一桁にとどまっている。集団感染が発生したジェイミジュ病院(196人)、ハンサラン療養病院(128人)、テシル療養病院(100人)でも15~22日を最後に追加の感染者は出ていない。大邱市は19日、 COVID-19関連定例会見を終了した。
大邱はいかにしてCOVID-19を克服できたのだろうか。大邱市はリサーチコリアに委託した調査で、17日から21日まで大邱在住の20歳以上の1008人にこの質問を投げかけた。回答者らは「医療スタッフや消防士、軍将兵、公務員、ボランティアなどの努力」と「市民の社会的距離措置(ソーシャル・ディスタンシング)への自発的参加」を第一に挙げた。
中央政府と他の自治体が差し伸べた支援も大きな役割を果たした。中央政府が医療機関や医療人材、医療装備を大邱に集中的に支援し、他の自治体も大邱の感染者を受け入れて治療するか、医療人材と医療装備を支援した。大邱がCOVID-19と戦争を繰り広げている間、幸い他の地域では深刻な状況が発生しなかったため、このような支援が可能になった。
大邱の保守的な文化と閉鎖的な環境も防疫に有利だった。保守的な大邱市民は官に協力的な態度を持っており、ソーシャル・ディスタンシングに積極的に参加した。先月第1週目の大邱の市内バスと都市鉄道の利用率は、それぞれ普段の31.8%と25.4%まで下がった。感染者数が減少に転じた今月12日、大邱市と警察が合同点検した結果、遊興施設1332カ所のうち1202カ所(90.2%)が休業中だった。観光客があまり訪れない都市という点も、他の大都市への拡散を防ぐ要素に働いた。
大邱市民社会団体のウリ福祉市民連合のウン・ジェシク事務処長は「今回は大邱で大多数の感染者が出て、他の地域の支援を受けることができたが、COVID-19が再び流行すれば、今回のように運がいいとは限らない」とし、「COVID-19の感染拡大がしばらく止まったこの時期に、大邱市は大邱独自の防疫力量を構築し、公務員の力量を高め、マニュアルも細かく作成しておくべきだ」と指摘した。
「大邱はこれくらいのことで死にません。もっと強くなるばかりです」
今月26日午後に訪れた大邱中区東城路に掲げられた張り幕にはこのように書かれていた。街はマスク姿の人々で賑わっていた。2カ月前、シャッターを下ろしていた店もほとんど営業を再開した。店の入り口には一様に「マスクをつけて入って下さい」という案内文が貼られていた。食堂や居酒屋では、店員が体温を測ってから、客を迎え入れた。2カ月前には渡る人が10人にも満たなかったCGV大邱韓一前の横断歩道には、青信号がともるたびに、両側から約100人の人が列を作って行き来していた。
「大邱でCOVID-19が広がってから、1カ月以上外出を控えていましたが、最近はできるだけ気をつけて日常生活を送っています。最初は大変なことになったと思いましたが、思ったより早く事態を収拾できて、本当によかったです。今回の事態で日常の大切さが身に染みてしみてわかりました」。東城路で会ったパク・ソンヨンさん(32)はこのように語った。
まだ恐る恐るではあるが、大邱は日常を取り戻しつつある。29日、大邱のCOVID-19累積感染者のうち完治判定を受けて隔離解除された割合は初めて90%を超えた。