[寄稿]日本と韓国、欧州の「自助・共助・公助」
数日前、日本で活動するあるジャーナリストから質問を受けた。「コロナ・パンデミックの中、日本では首相が自助-共助-公助を標榜し、公の役割が最下位に押し出されたのに、韓国の市民たちは公の役割を引き続き主張し、政府もそれを受け入れているようだ。このような違いは韓国社会のどのような特性から生まれたのか」
彼が言及した日本の首相とは、安倍政権で約8年間、内閣官房長官を務め、2020年9月から約1年間首相を務めた菅義偉前首相だ。彼は就任後の第一声で、「まずは自分でやってみる(自助)。そして家族、地域でお互いに助け合う(共助)。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする(公助)。こうした国民から信頼される政府を目指していきたい」と述べた。当時、立憲民主党など日本の野党は、「政府責任を放棄し、パンデミックでの生存を完全に個人に押し付ける新自由主義的発想」だと批判した。
そもそも、日本において「共助」という言葉は市民社会の協同と連帯という意味で幅広く使われてきた。ところが1980年代、日本社会の高齢化が本格化するにつれ、福祉負担の縮小もやむを得ないと考える人たちが、個人と家族の「自助」が重要だと主張し始めた。1994年に厚生労働省が出した政策文書で、前記の「三助の適切な組み合わせ」という表現が登場した。当時は「適切な組み合わせ」に優先順位があるわけではなかったが、2001年に発足した小泉政権と第1次安倍政権を経て、自助優先という主張が日本政府の政策基調となった。2010年、日本自民党は新綱領を発表したが、「 自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する」と明示し、自助優先原則を公式化した。このような流れの中で菅首相の政策基調が現れたのだ。
新型コロナウイルス感染症の検査費用を全額公共財政で賄う韓国と、基本的に個人が負担する日本の姿は対比を成している。現在の日本社会に比べ、無料検査を政府の防疫政策の基本としている韓国市民社会の特性が気になったのかもしれない。ところが、果たして韓国市民社会は十分強いのだろうか。
昨年末の国際通貨基金(IMF)の発表によると、先進35カ国の政府債務の平均比率は121.6%で、韓国の政府債務はその半分にも満たない51.3%だった。先進国政府はかつてない借金をして家計の負担を軽減したが、韓国はその反対の途を歩んだ。そのため、政府債務状況が良好な代わり、家計債務が急増した。各自図生、菅首相流に言うと「自助優先」の社会に他ならない。
コロナ禍と対面する同時間帯の別のモデルは欧州だ。2021年11月から欧州議会は欧州連合全国家を対象に「公正な最低賃金」に向けた議論を本格化した。「公正な最低賃金」とは、2017年に欧州連合理事会や執行委員会、欧州議会が共同で採択した「欧州における社会権の柱」(European Pillar of Social Rights)に基づくもので、最低限の生計を保障するのではなく、「尊厳を守る生活が可能な水準の賃金」が必要であるという問題意識から出発する。欧州における社会権の柱は「公正でうまく作動する労働市場」を目標に、欧州連合各国の政府が保障しなければならない市民の社会的権利を20原則として明示した。2021年5月には欧州連合の首脳が集まり、気候危機、パンデミック、人口減少、産業構造のデジタル化がもたらす危機に対抗して同原則の履行を強制する「行動計画」を採択した。
大転換の危機に対応する欧州連合の目標を一言でいうと「強い社会的欧州」だ。政府が制度と財政に急変する労働市場内の市民的権利を強化し、新しい労働市場の規範を確立して、変化した労働市場に合わせた福祉システムを構築することで、市民自ら危機を機会として作り出せる強い社会的インフラを構築することだ。日本流で言うと、公助が後回しにされた共助ではなく、政府と政治が変化する市場に相応しい新しい社会的連帯を構築する主体になることを意味する。
社会は自然に強くならない。変化を求める市民とこれを制度や事業、財政に変換できる政治が共鳴してこそ強くなれる。韓国社会はどこに向かうのか。
訳H.J