関東大震災直後朝鮮人虐殺、
日本政府責任どころか調査もせず…人間として恥ずべきこと
関東大震災100年…49年間、毎年東京で追悼式
「朝鮮人虐殺にまともに向き合わないことは、人間として恥ずべきことです。ふたたび(あのようなことを)繰り返さないために、話を続けていきます。それが今を生きる私たちの責務です」
韓日両政府の無関心のなかでも、日本の市民たちが50年近くにわたり毎年、関東大震災時に虐殺された朝鮮人のための追悼式を行っている。「日朝協会」などの日本の市民団体で構成された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」がその主人公だ。関東大震災100年を迎える今年も、9月1日に東京都墨田区の横網町公園で追悼式が予定されている。宮川泰彦実行委員長(82)に16日、東京の自宅で会った。
「追悼のはじまりは、大震災から40年たった1963年です。朝鮮人虐殺の事実をきちんと調査して記録に残さなければならないという運動が、関東の各地でありました。日朝協会なども調査班を作り、約10年間、遺族や目撃者に会って資料探しに取り組みました」。証言や資料が集まるにつれ、日本政府の隠ぺいによって曖昧だった当時の惨状が明確になった。取り組んだ人たちは、恐ろしい歴史を記憶して何の罪もなく殺された朝鮮人を追悼しようということで意見が一致した。
1973年に大震災50年をむかえ、大々的な募金を通じて追悼碑を作った。「今の雰囲気からは信じられませんが、追悼碑を作る際、東京都議会の自民党・公明党・社会党・共産党など各党の幹事長が代表委員として参加しました」。朝鮮人虐殺追悼碑は東京都に寄贈され、都立横網町公園に建てられることになった。その過程で市民団体は、追悼碑の内容について、東京都とやむを得ない妥協もすることになった。追悼碑の最初の行には「一九二三年九月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言飛語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」と書かれている。当初、市民団体が推進した碑文には「官憲によるあやまった策動と流言飛語」と表現され日本政府の責任を明確にしたが、最終的には「主語」が省かれることになった。
「東京都は追悼碑の碑文の内容に関与しました。東京都の小池百合子知事が碑文の一部の内容を問題にして、2017年から7年にわたり追悼文を送らないでいるのはとんでもないことです」。宮川さんは語気を強めた。「表向きは個々の行事に追悼文を送らないと言っていますが、朝鮮人虐殺という歴史的事実を認めたくないのです。過去の日本の恥ずべき歴史と向き合いたくないのでしょう」
宮川さんは、小池知事の追悼文の送付拒否は「朝鮮人虐殺」を歪曲する極右勢力の歴史認識と結びついているとみている。日本の極右団体は、関東大震災時の朝鮮人被害者の数は誇張されており、虐殺も当時朝鮮人が起こした暴動に対する正当防衛だったと主張する。朝鮮人追悼碑の撤去も要求している。「そよ風」という名称の極右団体は、小池知事が追悼文送付を拒否した2017年から、朝鮮人虐殺追悼式が開かれる公園の近くで「朝鮮人6000人の虐殺は嘘」などと叫び、事実上の妨害集会を行っている。「きわめて危険な状況のようです。極右団体が騒ぎを起こして、朝鮮人追悼式も開けないようにしようとしているのではないかと心配しています」。ただし、小池知事の追悼文送付の拒否と極右団体の妨害集会がメディアを通じて知られると、追悼式に参加する市民の数は以前より大幅に増えたという。
宮川さんは、日本政府が今からでも朝鮮人虐殺に対する真相究明に乗りだし、あの日の惨状が「国家の責任」であるという点を明確にしなければならないと述べた。弁護士でもある宮川さんは、2003年に日本弁護士連合会が当時の小泉純一郎首相に送った勧告書を強調した。日本弁護士連合会は朝鮮人虐殺について、「国は(中略)その責任を認めて謝罪せよ」としたうえで、「国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因をあきらかにせよ」と求めた。日本政府は20年たっても回答していない。
「植民地支配による差別と偏見や『3・1独立運動』などで抵抗する朝鮮人に対する支配者の恐怖感などが重なり、悲劇が起きたのだと思います。朝鮮人虐殺は隠そうとしても隠すことはできない事実です。100年が過ぎても、あの日の真実を伝える追悼式は続くでしょう」
関東大震災 朝鮮人虐殺「記録ない」
官房長官 資料の存在を無視
松野博一官房長官は30日の記者会見で、関東大震災当時に起きた朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べ、歴史的事実の有無への言及を避けました。政府としての教訓や反省についても一切答えませんでした。
虐殺をめぐり事実を否定する歴史修正主義的な言説が広がっていることに対し、事実関係を政府として調査する考えがあるかの問いには、「記録が見当たらない」と繰り返すだけで後ろ向きの姿勢をあらわにしました。
虐殺に関する真相究明は、多くの研究者・市民によって行われてきました。歴史学者の故姜徳相(カンドクサン)氏が国会内で発掘した関東大震災時の海軍「公文備考」や、同じく歴史学者の松尾章一氏が東京都立図書館で陸海軍資料を見つけるなど、公文書史料の発掘は進んできた経過があります。内閣府中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会報告書『一九二三関東大震災 第二編』でも虐殺が起こったことは認定されています。
ただ、5月23日の参院内閣委員会では、当時の虐殺を裏付ける記録について警察庁の楠芳伸官房長は記録が見当たらないとし、「仮に資料を確認しても、内容を評価することは困難」と繰り返しました。松野氏の発言はこうした政府見解に基づくものとみられます。
関東大震災から9月1日で100年を迎えるなか、政府は公文書を含めた多くの資料が存在するにもかかわらず、否定的な姿勢を示しました。歴史に向き合わない異常な姿勢があらためて浮き彫りになっています。