2日の記事より。愛知県大府市で2007年、認知症で徘徊中の男性(当時91)が列車にはねられて死亡した事故をめぐり、JR東海が家族に約720万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第三小法廷は1日、介護する家族に賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべきだとする初めての判断を示した。
この判決には賛否両論があり、ネットは炎上中だとか。テレビ、新聞などはこぞって「良かった」という意見ばかりを報じているが、認知症の人は何をしても罪に問われない、というのではこれまた困る。
昨今、認知症の人が車に乗って人身事故や物損事故を起こすケースが多いが、これなどは家族が運転を止めさせていれば防げることであり、それを怠った家族の責任は問うべき、と私は思う。だが、それぞれの事情もあるだろうし、今回の最高裁の判断については異論はない。
厚生労働省によると、認知症の高齢者は去年の時点で全国で520万人と推計され、いわゆる、団塊の世代がすべて75歳以上になる9年後には700万人に達し、高齢者のおよそ5人に1人に上ると見込まれているとか。
私は2年前、認知症検査を受け、MRIで脳と血管の状態を調べてもらった。その結果、担当医から「まったく心配ない。10年は大丈夫!」とのお墨付きをもらった。が、いつ何が起きるか、先のことは誰にも予測はできない。私が5人のうちの1人になる可能性がないとは絶対に言い切れないのである。
私が一番心配なのは認知症でも徘徊を繰り返すタイプである。もし私のような1人暮らしの者が徘徊癖のある認知症になったら、もう施設に入れてもらうよりほかない。が、徘徊癖があると施設では面倒を見切れないと退所させられることもあると聞く。今、介護現場の人材不足は深刻な問題となっており、それもいたしかたないことなのかもしれない。
現在、医療・介護サービスは在宅生活に重点が置かれているようだが、1人暮らしの在宅介護サービスはどこまで可能なのだろうか。私は寝たきり老人になりたくなくて、毎朝、ウォーキングに精を出している。が、もし認知症になったとして、足腰が達者なため徘徊を繰り返すようになったらどうしよう。脳は正常だが足腰が立たず寝たきりになるというのも辛いが、徘徊を繰り返して人さまに迷惑を掛けるよりまだマシかもしれない…、なんてそんなことを考えると足腰を鍛えることがいいことなのかどうか、これまた悩ましいところである。
心配しても始まらないが、ウォーキングの途中にあるお地蔵さまに、毎朝「昨日も無事に過ごせました。ありがとうございました。今日も一日元気で過ごせますように」と拝んでいるが、明日からは「もう何も望みません。どうか認知症だけはご勘弁ください」とお願いの追加しようかしら。でも、タダではちょっと厚かましいよネ。
もはや他人ごとと思えません。
本人の前歴・性格・環境など一切関係なく
訪れますね。
滅多に願い事はしませんが、“「認知症」だけは見逃してください”と神様にお願いしています。
究極の選択肢が痴ほう症か!寝たっきりか!
こんな悲しい現実を受け入れたくないのが本音ですが。
老いは容赦なく迫ってきています。
追加のお願いsirousagiも一口乗らせていただきたいです。
本当に認知症だけは貧富の差も環境も善人も悪人も関係なく、だれにでも罹患する可能性のある厄介な病気です。
認知症の予防策も色々言われていますが、果たして効果があるのかどうか。ただただ神仏に祈るよりほかないか。今さら日頃の行いを改めてももう遅いでしょうね。
寝たきりか認知症か、できるなら徘徊しないおとなしい認知症で願いたいです。何も分からないほうが幸せかと…。
でも、認知症になると本性が表れると聞きますね。日頃おとなしい人ほど変貌は激しいとか。私の本性はどうなのか? 鬼だったりして…。どうしましょう?
もし、その責任が家族にあるとなると、私は何処も出してもらえなくなります。考えただけでゾーッとします。
だからといって、認知症問題は放ってはおけない問題ですね。
四六時中目を放さずにいるというのは不可能なことで、やむを得ないこともあります。でも、車に関しては絶対に家族が止めるべきだと思います。
徘徊癖のある認知症にだけはなりたくありません。日頃から頭を使うことが大事ですね。