昨日が宵宮で今日は本宮、遠くのほうから子ども達の「ソーヤレ、ソーヤレ」の声と鉦や太鼓の音が聞こえます。空は真っ青、気温は夏日、絶好のお祭り日和です。
今年は表年とかで、だんじりの数も多いそうです。でも、だんじりを引っ張る大人の数は減る一方で、町内会では頭を痛めています。子どもが小さくてだんじりに乗せてもらっていた間は親も参加していましたが、子どもが大きくなるともう協力してくれなくなるそうです。祭りって、そんなものじゃあないと思うのですがネエー。
私が幼少の頃は子どもの数が多かったので、お祭りといえばそれはそれはにぎやかでした。見世物小屋が立ち、色々な屋台店が並び、子ども達は着物を着てお宮に行くのです。私の家は貧乏だったので、祖母が作ってくれた着物を姉と私で交代に着ていました。今ではお祭りに着物を着ている子どもなんていませんね。
この日ばかりは学校は半ドンです。家々では親戚中が集まるので祭りのご馳走作りに大わらわ。今ではことさらご馳走を作らなくても、スーパーへ行けばお寿司でもなんでも祭り用のご馳走パックが並んでいます。味気ないですね。とは言っても、私の家でも母が働いていたのでご馳走なんて作ってはもらえませんでした。でも、マツタケだけはふんだんに食べられましたね。今では信じられないことですが、市場では1皿いくらと山盛りにして売られていたので、マツタケのバター炒めだけがおかずという弁当はしょっちゅうでした。
お小遣いを少しもらって、神輿の後についてお宮まで行きます。お参りがすむと屋台が並んでいる河原へ下りて行って、少ない小遣いで何を買おうかと思案しながら歩くのは楽しかったですね。
子どもの頃の思い出といえば、お祭り、お正月といった昔ながらの伝統行事です。それが少子化の影響で、子どもを中心とした伝統文化がだんだんと廃れてゆくのを見るのはなんだか寂しいですね。
この2、3日、朝は寒くて暖房が欲しいくらい。なのに昼間は扇風機をかけるという寒暖の激しさ。例年ならお祭りの時季にコタツを出すのですが、今年はまだまだ頑張れそうです。
今年は表年とかで、だんじりの数も多いそうです。でも、だんじりを引っ張る大人の数は減る一方で、町内会では頭を痛めています。子どもが小さくてだんじりに乗せてもらっていた間は親も参加していましたが、子どもが大きくなるともう協力してくれなくなるそうです。祭りって、そんなものじゃあないと思うのですがネエー。
私が幼少の頃は子どもの数が多かったので、お祭りといえばそれはそれはにぎやかでした。見世物小屋が立ち、色々な屋台店が並び、子ども達は着物を着てお宮に行くのです。私の家は貧乏だったので、祖母が作ってくれた着物を姉と私で交代に着ていました。今ではお祭りに着物を着ている子どもなんていませんね。
この日ばかりは学校は半ドンです。家々では親戚中が集まるので祭りのご馳走作りに大わらわ。今ではことさらご馳走を作らなくても、スーパーへ行けばお寿司でもなんでも祭り用のご馳走パックが並んでいます。味気ないですね。とは言っても、私の家でも母が働いていたのでご馳走なんて作ってはもらえませんでした。でも、マツタケだけはふんだんに食べられましたね。今では信じられないことですが、市場では1皿いくらと山盛りにして売られていたので、マツタケのバター炒めだけがおかずという弁当はしょっちゅうでした。
お小遣いを少しもらって、神輿の後についてお宮まで行きます。お参りがすむと屋台が並んでいる河原へ下りて行って、少ない小遣いで何を買おうかと思案しながら歩くのは楽しかったですね。
子どもの頃の思い出といえば、お祭り、お正月といった昔ながらの伝統行事です。それが少子化の影響で、子どもを中心とした伝統文化がだんだんと廃れてゆくのを見るのはなんだか寂しいですね。
この2、3日、朝は寒くて暖房が欲しいくらい。なのに昼間は扇風機をかけるという寒暖の激しさ。例年ならお祭りの時季にコタツを出すのですが、今年はまだまだ頑張れそうです。
実家の有る新宿では3年位前の本祭りは神輿で賑わっていましたが、今はどうなっているのか心配です。
終戦直後、祭りは大きなイベントで数少ない娯楽でしたね。懐かしい風景を思い出します。
松茸といえば、昨日うちにも宅急便で届きました。
私が中学の時、父の経営していた製薬会社が倒産し、貧しい生活でしたが、必ず秋には松茸ご飯を食べた記憶があります。 私も母の味を思い出して松茸ご飯を作って今日は息子の家に届けました。
神輿もあるようですが、今は担ぎ手がないので車に乗せて引っ張っています。
各地で有名な秋祭りが行われますが、小さな村々の祭りもいいものですね。
マツタケが送られてきたとか、送ってくださる方がおられるのがうらやましいですよ。
買ってまで食べるには高価すぎるし、下さる人はいないし、しばらくご無沙汰してます。