NHK「鶴瓶の家族に乾杯」の年に一度の海外スペシャル版『海外SP〜マレーシア・ペナン島 本田翼&鶴瓶がディープな島の魅力を探る! 』を見た。舞台はマレーシア北西部のペナン島。 Part1は8月19日、 Part2は8月26日に放送された。
私がペナン島へ行ったのは昭和の終わりごろで、大阪空港→羽田空港→クアラルンプール経由でペナン島へ。当時はペナン島へ行く日本人観光客はあまりいなかったらしい。
当時、海外ツアーと言えばハワイと決まっていた。前年に行ったが、どこへ行っても日本人ばかりだ。ショッピングに行って、一つ覚えの英語で「ディスカウト プリーズ」というと、日本語で「できません」。「ハウ マッチ?」と言えば、「2ドルです」だ。まるで国内にいるようで、異国へ来たという感じがしなかった。
だがペナン島では日本語はまったく通じない。ホテル内ではカタコト英語と身振り手振りで大変だった。4連泊だったので日本語ができるマネージャーと親しくなり、いろいろと聞けたので助かった。
現地ガイドは私たち3人の専任で、乗用車であちこち案内してくれた。空港についてすぐに行ったのが「ヘビ寺」、入り口からちょっと中を見て、ヘビ嫌いの私は一目散に逃げ出した。天井の梁にも柱にもヘビ、ヘビ、親友たち2人は中に入った。いまでも思い出すと鳥肌が立つ。現在は写真を撮る人のために少しはいるらしいが、昔のような光景はもう見られないそうだ。
ペナン島のリゾートホテルは島の北側の「バトゥフェリンギ」と呼ばれるビーチエリアに集中している。ペナン島にはマレー系、中国系、インド系など様々な人々が住んでいるそうで、道理で肌の色の違う人がたくさんいたなあ。
料理は中国料理、インド料理、マレーシア料理、西洋料理などいろいろな料理が食べられる。他の暑い国と同様でスパイスをたくさん使った料理が多くて、私は口に合わず困った。だがオプショナルツアーの「伝統的舞踊を鑑賞しながらの中華セットディナー」は最高だった。昼食に食べた飲茶もなかなか美味しかった。
当時の為替レートはいくらだったか忘れたが、3人で昼食にマレーシア料理をお腹いっぱい食べても300円くらい。またTシャツが1枚500円、3枚ほど買ったと思うが、その品質の良さには驚いた。何年着ただろうか、あんな良質のTシャツは日本でも買えないネ。
夜になるとホテルの観光客相手に、道路両側にたくさんのテントが立ち並ぶ。食べ物から、アクセサリー、置物、絵画、時計、衣類まで、ありとあらゆるモノが並んでいる。外人客は手に取ってみたり、値段交渉をしたり、安ければ偽物でもいいのか、買っている人がたくさんいる。私たちも毎晩のように出かけて、買う気もないのに「ディスカウト プリーズ」。あれはおもしろかったなあ。
そして初体験もいくつか…。若いマレー人男性2人が操縦する大きなヨットでクルージング。沖へ出たらトローリングのまねごともさせてくれた。そして次はインド洋でシュノーケリングだ。マレー人男性と手をつないで、いざ海中へ! インド洋に生息するいろんな熱帯魚を追いかけて遊んだ。海中から上を見ると、泳ぎが苦手な親友たち2人が救命胴衣を付けて波と戯れている。シュノーケリングがこれほど楽しいとは…。
帰国してからも海へ潜る楽しさが忘れられず、スキューバダイビングのライセンスを取ろうと思ったが、呼吸器疾患で投薬治療中の人はダメ、と申込時に断られて、仕方なくあきらめた。
あれから40年、ペナン島も変わっていて当然だ。今では日本人観光客も多いとか。番組は思い出に繋がるような場面はまったくなくて残念だった。
リタイヤする2008年までは親友と2人、国内外ツアーであちこち行きました。が、年金暮らしになってからはさっぱり。最後の旅は2010年10月福島へ、その半年後に東日本大震、驚きました。
旅行は70歳までですね。年齢とともに興味の対象が違ってくるし、集団行動が苦痛になります。
テレビの旅番組をみても、10年ひと昔で、昔の情緒ある景色はほとんと見られません。デジカメのない時代だから旅の写真はありませんし、記憶もとぎれとぎれになって、やがて消えてしまうでしょうね。
暑い夏ももう少しの我慢です。ご自愛ください。
印象が変わっていて、残念ですね
国内ツアーですら、行ったところが
TVで放映されたら、懐かしさがひとしおです
年取ると楽しみも一つ一つ消えていきます
環境もどんどん変わってしまってます
しみじみと私の時代は終った(笑)
犬の お散歩で、今までご縁のなかった"ワン友“がたくさんできました