つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

昭和の大スター健さんが逝った・・・

2014-11-21 | どうでもいいことですが

 日本を代表する名優、高倉健さんが10日午前3時49分、83歳で死去した。病名は悪性リンパ腫。これはリンパ球がガン化してしまう病気で、全身のあらゆる部分で発生する。多くは自覚症状はなく、血液検査やCT検査などで分かるが、なかなか診断はつきにくい病気だそうである。
 健さんは今年の夏から入院していたそうで、5年前に前立腺がん手術を受けており、その経過観察中にこの悪性リンパ腫がみつかったということらしい。普通、3ヶ月程度で命を落とことは少ない疾患だそうだが、一般的に高齢者が発症した場合は悪性度が高いという。元気そうに見えても83歳、病魔には勝てなかったのだろう。 

 健さんのデビューは1956年、私は中学3年生だった。その頃、映画や俳優の情報を載せた『平凡』『明星』という月刊誌があり、同年代デビューの石原裕次郎、初代中村錦之助、小林旭などが大人気で誌面をにぎわしていた。健さんの人気はイマイチだったが、大学生やサラリーマンなどの役が多く、白いワイシャツ姿の健さんは背が高くてカッコよかった。私はその頃の映画も、任侠シリーズになってからもたくさん観たように覚えている。
 健さんが「網走番外地」などの任侠物で人気が出たのは10年ほど後のことだ。任侠とは「弱い者を助け強い者をくじき、義のためならば命も惜しまないといった気性に富むこと」とある。もろ肌脱いだ刺青姿で威勢のいい啖呵を切る健さんのおとこ気に憧れ、映画を観て出てきた若者はみんな健さんになりきって肩を怒らせて歩いていたという逸話もある。
 
40~50代の健さんは、男盛りの苦みばしったいい男。寡黙なスタイルは役柄から来るイメージか、多少誇張やお世辞はあろうが、その人間性は優しくてすてきな男性であったようだ。人生の黄昏どきであったが、1999年の「鉄道員(ぽっぽや)」、2001年の「ホタル」あたりの健さんは渋くてすてきだった。が、その10年後の2012年の「あなたへ」の健さんを見て、正直言って見たくなかったという気持ち…。誰しも老いるけれど、やはりスターはいつまでもスターで、そのすてきなイメージのままであってほしかった。

 健さんほど帽子の似合う人はいないと思う。野球帽、駅員の制帽、自衛隊や警察官の制帽、テンガロンハット、ハンチングなど、目が見えるか見えないかくらいに目深にかぶった帽子姿は絵になっていた。どんな帽子をかぶってもさまになるという人は健さん以外に思いつかない。
 
健さんの追悼のためといって出版本の増刷や関連番組の放送など広がりをみせている。政府は国民栄誉賞を検討しているとの話もある。巷では献花台に花を手向ける人が後を絶たないという。が、うわさどおりにぎやかなことがあまり好きでなかったという健さんは、この巷の騒ぎをどう見ているだろうね。きっと、もう静かに眠らせてくれ、そう言っているのではないだろうか。

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4 コメント

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去りゆくスター! (sirousagigamanoho)
2014-11-21 16:25:14
大スター、文化勲章受章者、高倉健についての思い入れが皆目ナッシング!のsiriusagi静かにこの世とおさらばされた最期をただただ羨望するのみ。
チャンバラ映画からいっきに洋画の世界へ跳んだ青春は、健さんも裕次郎も遠い存在でしか!
銀幕の往年のスターは何時までも若若しくヒーローで有って欲しいですね。
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オールドレディーさま (suri-riba)
2014-11-21 16:34:01
懐かしいスターがまた一人去りました。
あの頃は市川雷蔵、錦之介など、やがて裕次郎などの
日活スターの全盛期。映画館が5軒もあり看板をみて
通学していました。当時の高倉健さんの作品は余り記憶にないのが残念です。
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Unknown (オールドレディー)
2014-11-22 08:47:11
★sirousagigamanohoさま
人気スターが亡くなると大騒ぎして、カメラの前で涙する人たち、いつもの光景ですが、そこまでの気持ちにはなれません。
私は裕次郎さんが青春真っ只中でしたが、ジェームス・ディーンの出現で洋画一辺倒になりました。だから、健さんの映画はリバイバルかテレビ放映がほとんどです。男らしい風貌が好きでしたが、老いた姿は見なければよかったとそう思いますね
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Unknown (オールドレディー)
2014-11-22 08:54:53
★suri-ribaさま
あのころの娯楽といえば映画しかありませんでした。プロマイドを売る店もたくさんあって、みんな競って買っていたようです。
健さんは任侠物で一躍スターになったのはもう30代半ばでしたから、デビューと同時に人気が出た裕次郎さんたちとは違い、遅咲きのスターです。
それも、本当の良さが感じられるようになって人気が出たのは40~50代でしたね。
もう大騒ぎは止めて静かに逝かせてあげたいですね。
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