わが購読紙に掲載のコラム『滴一滴』から抜粋した「お年玉」の話である。
冬休みが終わり、学校で友達に再開するこの時季、話題の一つが「お年玉」だろう。お年玉は正月に迎える年神様から与えられる魂が由来とされる。神さまに供えた餅を雑煮で食べて、体におさめることで生きる証とした。お年玉は「念頭に当たって今年精一杯生きる活力を生み出す手形であった」という。
お年玉にも時代の波は訪れている。キャッシュレス化である。昨年11月に、子どもを持つ男女300人に意識調査を行い、お年玉のキャッシュレス化の是非を問うたところ、賛成派が51%を占めたそうだ。理由は「支払いが便利」に加え、新形コロナを踏まえ「感染リスクを軽減できる」「帰省自粛で会えなくても贈れる」という意見も目立ったという。一方、反対派では「お金のありがたみ、価値が分からない」が圧倒的に多かったという。「情緒がない」との声もあったが、もっとも、デジタル世代の現代っ子からすれば、神さまの魂だ、情緒だと言われてもピンとこないか。
時代の流れとはいえ、古くから受け継がれた行事や風習が衰退、変化していく様をみるのは、懐かしい思い出も一緒に消えてしまいそうでこの上なく寂しい。
特に「お年玉」の思い出は、70年経った今でも懐かしく、鮮明に覚えている。冬休みはいつも母の実家で過ごしていたから、両親からお年玉をもらった記憶はない。
元日朝、お雑煮を食べ終わると、子どもたちは家長である祖父の前に正座して並ぶ。祖父からのお年玉は私たち姉弟3人で1000円だった。従兄妹2人はいくらもらっていたのかな?
次の集金先は父の実家の本家だ。本家は母の実家から歩いて20分足らずのところにある。土塀に囲まれた大きな家で、戦時中は二階全部を日本陸軍高官の滞在用に接収されていた。いつからか、部下の若い士官と本家の従兄妹が恋仲になり結婚、東京へ行ったことも母から聞いた。
門を入ると左に枝折戸があり、庭には花好きな一人娘(父の妹)のために造られた大きな温室があり、たくさんのランの花が咲いていたのを覚えている。
なぜこんな話をするかというと、こんな大きなお屋敷に住んでいても、主の長兄がくれるお年玉は姉弟3人で1000円、ケチ! これが言いたかったのである。次は分家、父のすぐ上の兄の家だ。ここでも3人で1000円。これで1年に一度の「お年玉の集金」は終わる。
お年玉をもらうと私はすぐに使ってしまい、従兄妹や姉弟たちが一緒に近所の駄菓子屋へ行くのを恨めし気に見ていたら、祖父が内緒でお小遣いをくれたこともあった。お年玉の思い出は老化現象とやらで、昔を懐かしむ話題には事欠かない。
「お年玉」がキャッシュレス化してしまうなんて、何だか人と人との繋がりがますます希薄になってしまいそう。お年玉を渡しながら会話することもなくなる。今の時代だ、もらってもお礼はメールかlineで済ます若者も少なくないだろう。せめて電話をしてお礼をいい、二言三言の会話でもあれば、それだけで年寄りは喜ぶのである。
キャッシュレス化したお年玉はどうやって渡すのか、ネットで調べてみた。主要なQRコード決済サービスに付帯している「送金機能」。送る側、もらう側、双方が同じアプリを利用していれば、離れていても簡単にお年玉として送金することができるという。ほとんどが手数料無料で、タイムラグがないのもメリット。一部ではメッセージやカードを添えることもできるそうである。また、子どもの利用に配慮したプリペイドカードもリリースされているとか。
お年玉を送るのに便利な5つのキャッシュレス決済は下図の通り。
スマホを持たない私にはチンプンカンプン、理解不能だ。「情緒がない」という声も納得できる。私は昨年「年賀状仕舞い」をしたから、来年からは「お年玉仕舞い」にしようかしら…ネ。
いまはもう誰にもお年玉を渡すということはなくなりました
でもやはりあの可愛いポチ袋に折りたたまれて入っていたお札・・・手渡しで受け取って、いくらはいってるかな~と
わくわくしながら封を開けるときの高揚感
キャッシュレスでは味わえないものがありますが
今時の若者はそんな感情はないのでしょうか
ただpaypayで送金できるのは、ちょっとしたたてかえてもらったお金を返すときなどにとっても便利ナツールではあります
お互いに同じアプリを使っていることが原則ですが・・・
スマホ決済総てOK!
現金のお姿拝見する嬉しい事実が無いのは少々寂しいのでは?
出費が多くてと嘆きながらもお正月前には、子供たちの年齢に見合った、木版すりのステキなポチ袋を用意するのも楽しみだったのにね。
表を見ながら「現金化」の手数料に笑ってしまいました。
現金化しないまま、アプリを使って、色々お買い物する子供たちもいることでしょうが不正行為が出現しませんように。
子どもが貰ったお年玉は私が全部預かって子供名義で預金していました。子供に必要なものは買い与えていましたからお年玉なんてどうでもいいのです。子供が大きくなったらお年玉預金なんて端金はどうでもよいのです。そんなものあるのって顔しています。今でもそのままになっています。
貧しい中にもそれなりに楽しかったあの頃、懐かしい思い出に浸っているだけで幸せになれますね。
昨今、門松はサッパリ見ないし、玄関にお飾りをつけている家も少なくなりました。昔は車や自転車にもお飾りをつけたものですが。お正月という雰囲気はまったく感じられなくなりました。
お年玉のキャッシュレス化は機械が処理し、あとはそれぞれ出入金を確認するだけ。あの色とりどりの可愛らしいポチ袋もいずれは姿を消す時がくるのでしょうか。寂しいですね。
毎日お片付けにお忙しいそうですね。料理上手で働き者の奥さんで、お主人はお幸せですね。
いつかお国からもらった10万円、通帳記入されただけだったので、もらったという実感はまったくなっし。やはり現金を手にして初めて有難いと感じるものだと分かりました。
スマホで入金を確認するだけのお年玉なんて味気ない。でもスマホの機能ってすごいんですね。
何でも目に見えるもの、手に取って実感できるものしか信用できない時代遅れの私は、ただただ驚くばかりです。今更仲間入りするつもりもないし、このまま昔流でいこうか…と。
お年玉はお正月の一番の楽しみでしたよ。3人で1000円なんておかしいでしょう。でも親戚にゆくのはお年玉目当てのお正月だけ、もらったら早々に退散してましたよ。
今のお年玉は最低でも5000円、1万円も珍しくないようです。身内にお年玉を渡すような小さな子どもがいなくなってヤレヤレですわ。
今回のブログを拝読しました。
お年玉まで、キャッシュレス化とは、味気ないことですね。
ぼくは、中学生くらいまでは両親や親戚の人から『お年玉』を貰ってましたよ。
さらに、お正月開けの仕事始めの頃にも、両親の知人が挨拶に来られて、その時も来客から『お年玉』を
貰えることもありましたから、1月7日のころには1万円~2万円くらいの『大戦果』があり、ごきげんでした。((笑))
、、、、、、もちろん、お年玉はなるべく貯金しました。
でも、貯まったお年玉の三分の一くらいは、近くの神社の露天商で、買い物しましたよ。
壮年になった今でも、その時買った『おもちゃ』を持ってます。
小さな自動車とか、猫や鹿などのガラス細工など、いまだにたいせつに持ってます。、、、、、、ま、たわいのないものですが。
幼少年時代の思い出は、甘いです。
コロナが、、なかなかおさまらない昨今ですが、、、、、、、
どうか、お身体に気をつけて下さい。
連日雨です。明日は関東などは雪が降るそうですね。1週間もすればもう2月。昔から1月はいぬる、2月はにげる、3月はさる、といいます。コロナも早く去ってほしいですね。
歳をとると最近のことはすぐに忘れるのに、昔のことは昨日のことのようにはっきり覚えています。
何でもかんでもキャッシュレス化、スマホが使えない高齢者は置いてけぼりです。お年玉くらいポチ袋に入れて手渡ししたいですよね。
今年の節分は2日だそうです。年の数だけ豆を食べて福をまねき入れ、元気でお過ごしください。