寒くなるとラーメンが食べたくなる。が、心から「美味い!」と思うラーメンにはなかなか出合えない。というのは、遠い昔に食べたラーメンの味が忘れられなかったからである。
話が長くなるが、今から70年ほど前のこと。私が小学校低学年だったころはお米は配給制で、米穀通帳を持って配給所に並んでお米をもらっていたことを思い出す。が、それだけでは足りないので、母方の祖母が時々、汽車に乗ってお米を持ってきてくれていた。
その頃、ほとんどの家では麦ごはんが当たり前だったが、私の家では祖母が度々お米を持ってきてくれたおかげで、麦ごはんを食べたことがなかった。だから今も、美味いといわれる「麦とろご飯」は苦手である。
当時はヤミ米を取り締まるため、汽車のなかで警察の抜き打ち検査があり、ほんの1升か2升のわずかなお米でも容赦なく没収されたそうだ。祖母は警察官が来たら見つからないように座席の下に隠したり、相当苦労して持ってきてくれたようである。
お米の話はさておいて、祖母がお米を持ってきてくれた時は、必ずラーメン(昔は中華そばといった)を食べさせてくれた。といっても外食なんて贅沢ができる時代ではない。
近くに「来々軒」という小さな中華料理店があっで、夜になると屋台を引いてチャルメラを吹きながらラーメンを売っていた。当時は「夜泣きそば」と呼ばれていたが、それがどんなに楽しみだったか。
かすかにチャルメラの音が聞こえると、私たち姉妹は一斉に外に飛び出し、寒いのを我慢して屋台が家の前に来るのを待った。そして、ラーメンが出来上がると家に持って入り、むさぼりつくように食べたものである。
スープは白く濁った、今でいう豚骨スープだろうか、何とも言えないコクのある塩味のスープだった。具はチャーシューと茹でたもやし、刻みネギという簡単なものだったが、食後のどんぶりは、麺1本、スープ一滴も残らず、まるで洗ったかのようにキレイになっていた。それほど美味しかったのだ。
やっと自分のお金でラーメンが食べられるようになってからその店に行ってみた。が、「来々軒」の名はそのままでも、懐かしいあの味に合うことは叶わなかった。
以来、あのラーメンを思い出すだけで、まるで今食べたかのようにあの味が口の中に広がってきた。だから、どんなラーメンを食べても美味しいと思えなかった。
しかし最近は、加齢とともに味覚が衰えたのだろう、あの懐かしい味はもう口中に広がっては来なくなった。
先日、久しぶりに赤穂駅の近くにあるラーメン店で「赤穂塩ラーメン」を食べた。塩ラーメンは札幌の有名店で一度食べたが、それほど美味しいとは思わなかった。それ以来の塩ラーメンだったが、美味い! 期待以上のおいしさに大満足! スープはあっさりしているのにコクがあって美味しい。何だかクセになりそう。
今までランチの定番にラーメンは入っていなかったが、これからラーメン巡りでもしてみようかな。
大好物でもないラーメンの味が脳裏を掠める不思議、郷愁ですね。
写真 シラヤマギクでは。(葉の縁にギザギザ有り)
ヤマシロギク、シロヨメナも見分けが難しいです。
子どもの頃はラーメンが一番のご馳走でした。あの味を何十年経っても覚えているなんて不思議でしたが、舌が覚えていたということでしょうか。
チャルメラを吹きながらやってくる屋台…、今では見ることはありませんね。
いつもありがとうございます。私もネットで調べたのですが、よく似た花がたくさんあって分かりませんでした。