福島原発事故による損害賠償問題は私には関わりのないことと、およそ無関心であった。しかし、福島第一原発圏内の川内村在住の作家たつきよしみつ氏の『阿武隈(原発30km圏脱出生活)裏日記より』というサイトの『「1人10万円/月」だけではない高額補償を捨ててまで帰る者などいない』という記事を読んで、損害賠償は当然の権利ではあるが、補償規定の何と奇妙なことか、何やら納得ゆかぬ思いにさせられた。もちろん受け取る人の矜持の問題ではあるが、金に弱い人間の醜さが垣間見えてくる。あの原発事故により失ったものは形ある物だけではなく、目に見えない人の心、生き方までも変えてしまったのか、金の怖さを思い知った気がしている。
(記事を引用して要約) テレビで「除染が完全に済んでいないのに帰れない」という避難者。だが、放射能汚染はもはや関係なく、帰れないのは、帰ると補償金がもらえなくなるからという非常にシンプル、かつ切実な理由からだという。
■避難生活等による精神的損害
1人あたり10万円/月 または12万円/月
開始日は:平成23年3月11日
終了日:賠償終期の前に帰宅された場合は、初めて帰宅された日
この「精神的損害補償」で、例えば5人家族なら月に50万円、年にして600万円の支給になる。つまり、家に帰ればその日をもって賠償金が打ち切られるというのだから、帰りたくなくなるのも分からないではない。
以前に、仮設住宅が完成しても入居希望者が少ないという話を聞いたことがあるが、仮設や借り上げ住宅に移ると、食費光熱費がかかる上に、補償金が減らされるから移りたくない。これが、なかなか避難所を出て行こうとしなかった人たちの理由のひとつでもあるという。
■「1人10万円/月」だけではない高額補償
「就労不能損害」補償では、「事故がなければ得られた収入-(事故後)実際に得た収入」の差額を支払うということになっている。例えば、月収40万円あった人は、原発事故のせいで仕事を失ったとして仕事につかなければ事故前の40万円という月収がまるまる補償されるが、頑張ってバイトを見つけ、月15万円稼ぐようになれば、その15万円は差し引かれるのである。どちらを選ぶかは、言わずもがなであろう。
ちなみに、これとは別に失業手当は出ているから、正規雇用者は二重に補償されている。また、ほとんどの家は兼業農家だから、農業補償などの補償も加わっている。あれやこれやで、総収入が1000万円/年を超える世帯が続出しているという。
今、郡山やいわきのパチンコ屋、飲み屋は連日繁盛しているという。「避難」してきている人たちが仮設住宅からタクシーに乗って、連日連夜、遊びに出るためタクシー運転手は仕事が増えたという。しかし、いつまで補償してくれるのか、考えたことがあるのだろうか。国や東電の見解としては明確な期限を発表していないが、一生、続くわけではない。人間、一度楽をすれば、汗して働くことがバカらしくなる。多額の補償金によって、働き盛りの人たちが働く意欲を失って、遊びほうけたダメ人間ばかりになったら、本当の意味の故郷の復興はない。
たつきよしみつ氏は記事の最後に、次のように書かれている。
【私は当初、東電とは闘ってきちんと賠償金をもらうつもりでいた。しかし、今はこの土俵の上に乗ることが嫌だ。
私は「緊急時避難準備区域」が解除される前から村に戻って普通に生活を再開していたが、それによって「精神的損害補償」は打ち切られたことになる。
その後、村人たちの様子がどんどんおかしくなっていくことに耐えられず、昨年末、自費で移転先を探し、今は安い中古住宅を見つけてそこに移ってきている。
川内村の自宅を失った上に、なけなしの預金をはたいての引っ越し。大変な財産損失だが、しばらくは東電への「賠償金請求」という土俵には乗らないつもりだ。今のままではシャブづけの仲間入りになってしまうからだ。
アヘン巣窟のようになってしまった村を見ているのは辛い。放射能が怖くて帰れないのではない。人々がまともに生きる気持ちを失い、補償金の維持という一点で強く結ばれている「運命共同体」に参加したら、意味のある人生を送ることができなくなる。阿武隈で暮らす意味がない。
阿武隈の自然が壊される前に、コミュニティが──人間の心が壊されてしまった。あそこでもう暮らすことはできないと覚悟を決めるしかない。この悲しみと悔しさは、3.11直後のショックよりはるかに大きい。】
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