つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

王監督、手術成功・・・

2006-07-19 | Weblog
 うっとうしい梅雨の最中での朗報が一つ。王監督が、腹腔鏡手術による胃の全摘手術を受け、すでに一般病室にもどり、もう部屋内で歩行訓練をしているという。
 文献によれば、「腹腔鏡手術」とは、開腹しないで体内に鏡を入れ、モニターに映し出された手術部分の映像を観察しながら、複数の術者が細い筒から鉗子類を入れ共同で手術を行う。胃カメラ・気管支鏡・膀胱鏡などは内視鏡と呼ばれ、もともと体にある穴を利用して行われる手術だが、腹腔鏡手術や体腔鏡手術は、直接体に穴を開けて行う手術である。
 医師団によると、今回の手術では、6つの穴から小型カメラや超音波メス、鉗子などを差し込み、胃全体と、転移の可能性がある胃の周辺のリンパ節を切り取った。その後、食道と腸を縫い合わせ食べ物の通り道を作り直すという手術だったそうだ。別にもう一つ、直径約4センチの穴を開け、切り取った胃をここから引き出したそうだが、胃は袋状の臓器なので、内容物がなければ小さな穴からでも取り出せるという。
 王監督の病状は早期胃ガンで、110か所余りのリンパ節を調べたところ1か所に転移があったが、食道、大腸などへの転移は見られず、抗がん剤による治療は考えていないという。今後、順調にいけば術後3日目あたりから水分を摂取し、異常がなければ早いうちに退院となりそうで、退院後は月に1回程度、検査して経過を診るという。本当に良かった。

 私事だが、父は、昭和48年12月に胃ガン発症、1年8ヶ月の闘病の末61歳で亡くなっている。笑えるような話であるが、その少し前に親しい町医者でレントゲンによる胃の検査をしたところ、きれいなものだと太鼓判を押され喜んでいた。そして12月半ば、今度は違う懇意な診療所の先生が内視鏡検査を始めたと聞いて、太鼓判を押されていたので半分は付き合い気分で検査を受けたらしい。ところが内密に家族へ呼び出しがあり、精密検査の要ありとのことで岡山国立病院を紹介されたのである。年末の慌しい中入院、検査で何日か経て、またまた家族へ連絡があり、30日に私と弟が医師の説明を聞くために出向いた。「胃がん、相当厳しい状態。早くて3ヶ月、持って半年」、先生の言われることがピンとこない。我々も楽観視していたので、あまりの厳しい宣告に動揺して、弟など帰り道を間違えてとんでもない方向へ迷い込んだことを覚えている。
 術後の説明では、ガンは胃の裏側の大動脈に転移しており、切除できる状態ではないとの事だった。それからは1m80㎝、80キロ以上もあった父が急激にやせ衰えて行った。3ヵ月後、発見してくれた診療所へ転院。あまり苦しむこともなく寝たり起きたりで、それでも亡くなる半年ほど前には病院を抜け出し自転車で走り回るほどに元気だった。それも、ロウソクが燃え尽きる前と同じく一時のことで、最後には体力の衰えに抗しえず、タンを喉につまらせあっけない最期であった。あれから30年、医学は日進月歩の勢いで昔とは比べようもない進歩を遂げている。 

 王監督は年に2回の検診を受けていたにも関わらず罹患した。胃ガンは自覚症状があったときには大分進行しているといわれるが、スキルスガンでない限り、早期発見すれば生存率は高く、現代医学では完治する病気であると言われている。また、ガン細胞かどうか知らぬが、体質は遺伝するといい、長男も胃ガン、父の兄である叔父の息子2人は親と同じ胃ガンと肺がんで、どうも男系に遺伝するらしい。やはり自分で健康管理を怠らないことが一番で、世の責任ある一家の主は肝に銘じてほしい。
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