もっとタイトルをちゃんと考えなさい、と自分でも突っ込みを入れたくなっているのですが。。。
昨日は練習会でした。練習はしていたものの、弾けるようになった気がしないという状態のまま、フランクを持っていきました。細かいところを見ていったら地中からモグラがぽんぽん、虫がうじゃうじゃと出てきそうな状態。でも今回は練習会、恥ずかしい状態になったとしても人前で弾くのは私にとっては練習のひとつなので、這ってでも出かけよう、と思って雨の中いそいそと出かけました。主人も参加しました。
肌寒い中参加されたみなさんは謙虚だったのですが、しっかり練習されていました。曲もメジャーな曲からマイナー曲、実はどこかで聴いたことのありそうな曲など幅広くて楽しかったです。どのような曲でも、常に弾けるようなストック曲というのがあるといいなあと感じたのでした。ちなみに音楽の作り方も工夫やこだわりが感じられました。短時間でここまで弾けるようになられていていいなあと思ったりも。
ちなみに私。出だしはおっ、いけそう、このまま集中力を切らさずに力を150%出したらうまくいくぞ!と思ったのですが、プレリュードで少し、フーガでもっと間違え、変奏曲で無数に間違えました。地中にいなければならない虫とモグラが踊っていたような気が。音もちゃんと出し切れてなく方向性も表し切れてなかったと思います。いけなかったのは集中力、途中で意識が飛びました。この、緊張感、途切れそうな集中力、意識の方向性との付き合い方を見直すよき機会になりました。そして演奏にはスタミナがいる、と感じました。大体150%の力というところから無理がありましたね。70%、いや、せめて100%にはしておかなければ(汗)
私は跳躍が苦手なので、練習会後そのことについてちょっと話を聞いていただいたのですが、結論として跳躍ということそのものにこだわりすぎているかもしれない、と思えてきました。たしかに音程の開いた音をしっかり弾けるようになるには距離を実感を通じてつかむ必要があるのですが、ちょっと視点を変えて曲全体の構成を見てみたら、跳躍とは別に旋律としてながれているところもあるのですね。もちろん指の移動をスムーズにするために感覚を徹底的につかむことも大切かもしれないが、それだけではない、根底にはれっきとした音楽が流れているのだという事実に着目することで、弾きやすくなっていることもある、と分かりました。大切なことなのに見落としていました。実際に今日ちょっとそのように意識して弾いてみたら、ちょっと弾きやすくなった面もあり。。。ありがたかったです。視点をずらすと見えてくることもありますね。
というわけで、収穫の多い一日でした。
今日はとにかく家のことをしようと思いました。部分的ながら衣装替え、台所の片づけに防災対策。前からやらなければと思いながらも手も付けずに延ばし延ばしにしていました。取り掛かる前はもやもやしまくっていたのですが、衣装の入れ替えを少し行っただけでかなりすっきり。台所は不要なもの汚れたものは捨てて足りないものをチェック。賞味期限切れのものが何点かあったのは反省。買うときにはそうならないつもりで買っているのですがそのときは認識が甘かったです。防災対策は食器棚や家具の固定状況の見直し。最後は東急ハンズにでかけて、ストッパーやガラスフィルムなど必要そうなものを購入しました。防災グッズの売れ行きは非常によく品切れもあるそうです。普段家のことがちゃんとできてなくて恥ずかしいのですが、気になりだしたらいろいろと気になります。そして少しでもやったらもやもや感が減り、大きな収穫があったような気持ちになります。そして私は家のことをやるのが実は大好きなんだ、と(妄想がかりながらも)いい方向に持っていこうとします。(でもその時点では本当に好きになるんですよ)そしてそのような理想的な自分になったつもりになり、心を入れ替え常にちゃんとしようと思います。それが家のことをまとめてした後の私のよくある心境です。さてその決心はどこまで続くか?明日から危ないぞ。きちんとは無理でも、最低ランクにはいかないようにね。