今日も練習での個人的な気づきメモです。
練習中のフランクのプレリュード、フーガと変奏は、フランクのオルガンの原曲をバウアーがピアノに編曲したものを練習しています。ところがバウアーのピアノ編曲ではオクターブの連続になっているところが、オルガンの楽譜ではオクターブになっていないところが多数あることに気づきました。しかもプレリュードとフーガの間にある重厚なコラール、オルガンの原曲の楽譜を見たら、なんとピアノ楽譜ではあるはずのアルペジオがありません(ピアノ版では右の動画の13秒あたり オルガン版では3分16秒あたり)。
そう、今練習中のフランクのこのプレリュード、フーガと変奏に関しては、オルガン楽譜のほうがシンプルでわかりやすいです。三段になっているので声部がくっきりと分かれています。途中で切り替えというのも入っているらしいのですが、それでもピアノのごちゃごちゃした楽譜よりはわかりやすいです。今日オルガンの原曲の楽譜をある方に見せていただき、あまりのシンプルさに驚きました。
実際に演奏を聴き比べてみるとさらによくわかります。
ピアノ版
オルガン版
ピアノ版が重厚で厳粛な感じなのに対して、オルガン版のほうが素朴でごてごてしていない感じがします。しかしオルガンでは異なるレジストレーションになっているため、声部によってあきらかに音色が異なり楽器も異なる楽器のようになっています。となると、オリジナルに近づけようとするのなら、それぞれの声部の音色を具体的に想定して弾くこと、そして、たとえ旋律だとは言えどもオクターブのところでがんがん出せばよいわけではないということも分かります。
しかし、実はオルガン版の前に作られたオリジナルではとも言われている、ピアノ伴奏つきハーモニウム版というのもあります。こちらのコラールではピアノがしっかりアルペジオを弾かれています(3分1秒あたり)。オクターブは主に低音部を担っていそうなピアノパートにはありハーモニウムパートにはないです。(昨年12月21日の記事を参照)
この曲の変遷の過程は以下のようだったと思われます。
オリジナルと呼ばれるピアノ伴奏つきハーモニウム版→オルガンだけでも弾けるようにオルガン版(フランク本人はここまで)→オルガン版とハーモニウムのオリジナル版とを折衷させ、ピアノでも弾けるようにしたピアノ版(ここからは編曲者バウアー氏ののお仕事)
しかしなぜバウアー氏はピアノ編曲の上であんなにオクターブを増やしてしまったのでしょうか?フーガで低音部が登場する箇所、低音というだけでも音に厚みがあるのに、ピアノではさらにオクターブが加わって非常に重厚になっています(ピアノ版右の動画の2分2秒)が、原曲では意外にシンプル(オルガン版4分42秒)で、盛り上がるのはもうちょっと後(オルガン版5分12秒)だったりします。ちなみにハーモニウムでは、高音部はハーモニウム、低音部はピアノが担っていて、登場箇所ではオクターブにはなっていますが(ハーモニウム版4分27秒)、かなり抑えた感じです。(しかしオクターブが2手になっているためこちらのほうがかなり弾きやすいです。いいな~。楽器が分担しているから当然なのですが)
おそらくオクターブになっているところは、ハーモニウム版でピアノパートでオクターブになっているところ以外は、この曲において、盛り上がるところに来た場合、ピアノの単旋律ではあまりにも物足りないのではと判断されたためではないかと思います。場所によっては足鍵盤の存在感を引き立てている役割もあるようです。
オリジナルから変遷をきたしているこのピアノ編曲。原曲とは別個のピアノ曲としてとらえることも可能かもしれず、ついそういう方向に向かいそうになっていたのですが、フランク本人の思いはそこにはないというのが見えてきたような感じです。自分からのこう弾きたいという思いも大切ですが、それとともに原曲の変遷のルーツも照らし合わせて作り上げる必要があるように思いました。
そしておまけ。ピアニスティックってなんだろうという疑問がふと湧いてきました。「教えてgoo」で面白い議論がなされていて、なるほどと思えたのですが、実はこれといった明確な定義は、なさそうですね。よく使われている言葉だと思うのですが。