いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

新たにゴッホの作品と確認された花の絵

2012年03月22日 | お絵かき

 ゴッホの作品といえば、思い浮かぶのが「自画像」、「ひまわり」、「夜のカフェテラス」、「スタリー・ナイト」、「アルルの寝室」等で、筆遣いや色使いに大きな特徴がみられる。しかし無名画家の作品と判断されていた絵がエックス線による筆遣いの調査により新たにゴッホの作品と確認され、話題になっている。

 未知の「ゴッホ作品」がオランダで新たに発表!!

 無名画家の作品と判断されていた絵画、ゴッホの作品と確認(FNNニュース)

この絵はオランダのオッテルロにある、ゴッホの絵で有名なクレラー・ミュラー美術館にある、「Still life with roses and field flowers (バラと野花の静物画)」だとのこと。しかもこの絵の下には、全く違う絵である、二人の裸のレスラーの絵が存在していた!このレスリングの絵もかなり強烈だ。私たちは一度に二枚のゴッホの絵を知ることになったのですね!!

 それにしてもそれまで、なぜこのような誤解が生じていたのだろう。私の推測だが、表に出ている「バラと野花の静物画」の色遣いは、あまりゴッホの絵には見られない色遣いに思えた。青や黄色と白の花が含まれていてちょっぴりアクセントがみられるものの、鮮やかな赤や華やかなピンクの花はあまり彼の絵には見られなかったような気がする。そしてこのような絵が多かったのは、17~18世紀のオランダ。ハプスブルク家の栄えたフェルメールの時代だ。当時は花瓶に入った美しい花の絵がたくさん描かれていた。こんな絵とかこんな絵とか。。。

 この「バラと野花の静物画」もうっかりしたら当時の絵だと思えてしまいそうだ。実物をしっかりと見たらかなり違うのだろうけど。ゴッホは「バラと野花の静物画」でも実験的なことを行ったと言われているようだが、同郷の先輩たちの絵からも少なからず影響を受けていたのでは、という気がしてきた。

 そしてなぜゴッホは二人のレスラーの絵の上に、バラと野花の静物画を描いたのか、というのも気になることだ。レスラーの絵は自分でも気に入っていると、弟のテオに手紙まで出していたのだ。あえて別の絵を上に書くことはなかったろうにとも思う。キャンバスがなかったのだろうか、それとも、彼の実験だろうか。彼は二人のレスラーの絵が後世になって発見されることを想像していただろうか。興味の尽きない話だ。


裸の音に注意

2012年03月22日 | ピアノ・音楽

 「裸の音」に注意。ここでいう「裸の音」とは、生ピアノの音のことではないのだ。何にも意識せず、単に鍵盤を押して出たというだけの音。そんな「裸の音」では届かない、とレッスンで言われるし、自分もそう感じる。裸の音にならないためには、しっかり聴くことが大切だと。そして「裸の音」でない音が出たという瞬間は、意外に自分では弾いたという実感がないような時だったりもするのだ。なので、気を付けないと必ず出してしまうし気を付けても出てしまう。裸にならなかったらくじにあたったようなものだったりして。

 なのですべて「裸の音」にならないように完全にしなければいけないと思ったら、ものすごく大変だと思う。たとえ「裸の音」でも、自分が楽しむのならいいと思うんだ、いやそれだけではなく、聴く人の心を打つことも十分にあると思うんだ。

 けれども、プロと言われる人の演奏には、「裸の音」というのはないんだろうな。子供さんでもそう。自然で無意識に出ているようで、本当は自然でも無意識でもないコーティングされた音。そしてピアノの表現力を最大限に引き出した音。今日FMで聴いた若きピアニストのKさん、とても表情豊かな演奏だった。「裸の音」は一音もなかったような気がする。鍵盤のツボをとらえているのだろうな。瞬間的にそのようなことができて凄いなあ。私なんかゆっくりでも大変なのに。もちろん、ものすごく集中しているというのもあると思うのだが、彼女のような天才になると、自然とそのようなことができるのだろうか。そのようなことができやすい素質があったから天才と言われただろうとも思うが、そこに努力と集中力とがプラスされ、聴きごたえのあるものになっていた。ショパンのノクターンの遺作、強弱の微妙な変化による方向性の示し方など、細かいところにも注意が行き届いていて、美しかった。脱「裸の音」を目指せたら最高だけど、せめて、そのような変化や方向性の示し方を意識するという姿勢から、見習いたいな、と思った。