山口県周防大島物語

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防長人物百年 重宗良策 氏

2023年09月15日 16時49分56秒 | 長州医家 重宗家 山根家 秋本家 物語
長州医家重宗家の一員である重宗良策氏を「防長人物百年史」は

重宗良策氏
      耐火煉瓦協会 専務理事
      山口県都濃郡南陽町(現・周南市)富田出身

 大正八年以来炉材の事業を鞅掌して春風秋雨茲に四十有七年に及べる、耐火煉瓦協会専務理事
重宗良策氏もまた業界の異彩者なり。

 氏は山口県都濃郡南陽町富田の出身、明治三十二年五月十日、旧徳山藩士重宗秀熊氏の四男に
生る。大正八年三月県立徳山中学校を卒業、同年五月八幡製鉄所に入り、爾来精励恪勤すること
多年に及ぶ。昭和十六年主事に任ぜられ日鉄炉材製造株式会社管理課長に就任せり。
次いで日本耐火煉瓦統制販売部鉄鋼課長、炉材統制販売部次長、近畿地方炉材協議会理事、日本
製鉄所社長室嘱託等を歴任し、更に臨時播磨耐火煉瓦株式会社東京駐在員となり、昭和二十五年
四月同社取締役東京出張所長に就任、昭和三十四年五月辞任して顧問となり、同三十六年顧問を
辞し、耐火煉瓦協会専務理事に就任し今日に及べり。

同協会は東京都中央区銀座西ニューギンザビル内に在り、回想すれば氏が業界に入りて茲に四十
有七年の星霜は閲せり、其の間至誠一環精励努力し之く所に於いて大いに功績を挙げ、遂に今日
の地位を築く凡庸に非ざることは証して余りあり。二州出身者は多士済々にして各方面に進出し
故山の歴史を飾りつつあるが、蓋し氏も亦業界に傑出し異彩者として推奨の辞を惜しまざるなり。
その資性に至りては豪毅豁達にして人物雋秀、頭脳明敏にして不墝不屈の精神を持し事に当たり
ては果敢断行、思慮緻密にして所信に向い遅疑することなし。亦人格高潔にして人と接するに、
尊大傲慢不遜の態度無く、又敢えて城府を設けず寛容談笑して温情に富む。

また、実力主義、勢力主義の人にして事業的才幹に長ずるは言を俟たず、且つ熱勢あり進取の
気象に富めるは須らく首脳の大器なり。しかも氏の今日あるは素より何等の後援を有すること
無く、中学校卒業の少年にして大会社に入社し凡ゆる苦闘の後に、課長、部長の椅子に座せる
は所謂腕の人また実力の人たり、故に自信に信頼するに厚く、先輩に阿諛し、権勢に憧憬するを
敢えて欲せず、独力闊歩常に坦々として大道を歩行するが如く、胸中に自ら余裕あり。又、透徹
せる頭脳は裁断力に富み事に当たりて徹底的情熱なる如何なる難問題に遭遇するも窘色なく、
快刀一下直ちに解決する胆勇に長ぜり。

夫人貞子、明治三十八年一月生は福岡県人、吉永開氏の長女にして、長男 昌氏、昭和六年一月
生は病気療養中、長女典子 昭和八年一月生は藤村高女を中退して他家に嫁し、次女綾子 昭和
八年一月生 東京学芸大学を卒業し他家に嫁し、次男勝人氏昭和十九年七月生は勉強中。

 住所 東京都武蔵野市中町三の十六番地


注・【氏は周防大島町屋代 高城旅館館主 高城 俊氏の叔父に当たる。】


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