山口県周防大島物語

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大島町西屋代片山部落の亥の子歌

2022年07月20日 18時04分29秒 | 亥の子歌
手許の資料でたまたま、旧大島町西屋代片山地区に伝わる「亥の子歌」を見つけた。

上片山部落(現在では地区と言わないといけないらしい?)の岡本哲郎氏の採録に
よるものである。氏は丁寧に集めておられるので、相当長いものであるが、実際に
亥の子石を撞いて歩く時にこれほど長い唄は全部歌わず、適当にはしおり歌われた
ものです。祝儀を多くくれそうな所はたくさん歌うし、そうでない場合は2~3節
しか歌わない場合もあり、これらの差配は総大将の今の中学校3年生クラスの指示
によるものであった。

少し長いが、現在の同地区の子供たちは知らないでしょうから残しておきましょう。

 『亥の子唄』   周防大島町西屋代片山地区  岡本哲郎採録

1)亥の子エ~ 亥の子撞きましょ ヨイサヨイサ
  力を合わせて
  付けたエ~ 付けた引き綱 ヨイサヨイサ
  ヤレコラ切れるまでも~

2)此処とエ~ ここと大畠と ヨイサヨイサ
  続きなら良かろうエ~
  橋をエ~ 橋を架けましょ ヨイサヨイサ
  ヤレコラ船橋をエ~

3)天のエ~ 天の星さま ヨイサヨイサ
  数えて見ればエ~
  数(ス)万エ~ 数万九つ ヨイサヨイサ
  ヤレコラ百七つエ~

4)これのエ~ これのお背戸にや ヨイサヨイサ
  股榎(ヨノキ)エ~
  榎エ~榎実(ヨノミ)成らずと ヨイサヨイサ
  ヤレコラ金(カネ)が成るトエ~

5)これのエ~ これのお背戸にゃ ヨイサヨイサ
  茗荷(ミョウガ)と蕗(フキ)とエ~
  茗荷エ~ 冥加目出たや ヨイサヨイサ
  ヤレコリャ 富貴繁盛エ~

6)これのエ~ これの座敷は ヨイサヨイサ
  祝いの座敷エ~
  床(トコ)にゃエ~ 床にゃ鶴亀 ヨイサヨイサ
  ヤレコラ五葉の松とエ~

7)これのエ~ これの旦那さんは ヨイサヨイサ
  団子か餅かエ~
  餅はエ~ 餅は餅でも ヨイサヨイサ
  ヤレコラ金持じゃエ~

8)旦那エ~ 旦那大黒 ヨイサヨイサ
  おかみさんは恵比寿エ~
  一人エ~ 一人居る子は ヨイサヨイサ
  ヤレコラ福の神よエ~

9)これにゃエ~ これにゃ良うござる ヨイサヨイサ
  孫じょうが出来てエ~
  お家エ~ お家繁盛 ヨイサヨイサ
  ヤラコラ息子孫とエ~

10)天(アマ)のエ~ 天の神様 ヨイサヨイサ
何と言うて拝むエ~
   どうぞエ~ どうぞこの子が ヨイサヨイサ
   ヤレコラまめな様にエ~

11)山のエ~ 山の三條柿 ヨイサヨイサ
   木の裏の熟柿(ズグシ)エ~
   なんぼエ~ なんぼ欲しうても ヨイサヨイサ
   ヤレコラ手がとばぬエ~

12)小松エ~ 小松開作 ヨイサヨイサ
   志佐 日見 横見エ~
   戸田(ヘタ)のエ~ 戸田の照林寺で ヨイサヨイサ
   ヤレコラ止められたエ~

13)安芸のエ~ 安芸の宮島 ヨイサヨイサ
   回れば七里エ~
   浦はエ~ 浦は七浦 ヨイサヨイサ
   ヤレコラ七恵比寿エ~

14)千秋エ~ 千秋万歳 ヨイサヨイサ
   思うことは叶うたエ~
   枝もエ~ 枝も栄えて ヨイサヨイサ
   ヤレコラ葉も繁るエ~

15)屋代エ~ 屋代五千石 ヨイサヨイサ
   黄金(コガネ)の穂波エ~
   土もエ~ 土も豊かに ヨイサヨイサ
   ヤレコラ 人情も厚いエ~

16)屋代エ~ 屋代少年団は ヨイサヨイサ
   良い子の揃いで
   みんなエ~ みんな元気に ヨイサヨイサ
   ヤレコラ村のためにエ~


 大黒さまの仰せには
 一に俵を踏まえて
 二でにっこり笑うて
 三で酒を造って
 四つ世の中良いように
 五ついつもの如くに
 六つ無理を息災に
 七つ何事ないように
 八つ屋敷を広めたて
 九つここに蔵を建て
 十でとうとう納めた

 繁盛せ~! 繁盛せ~! この家は大繁盛!!!!



とフルコースの場合は全部唄った。歌い始めて終わるまで約10分かかる。
一部落50から80軒を全部フルコースでやると最大800分(13時間以上)
かかってしまうから、フルコースでサービスすることはない。せいぜいその年に
子供が生まれて祝いの短冊竿を持ち込んだ家が破格のの祝儀をくれるのでその家
は正調フルコース祝い唄となる。
亥の子行事は本来、男児の成長を祝うものであるから、女児は参加できない。
子供であるから江戸期までは元服前の14歳直前までの男児であったのでしょう。

唄の間は亥の子石を撞き続けなくてはならないから子供たちにとっては相当な
重労働である。10~20キロの丸い亥の子石を放射線状に縄をはりうちつけて
いく、大人のヨイトマケと同じ作業である。最年少の小学1年生は引き綱に
振り回されてぼやぼやしているとケガをする。
だいたい、夕方4時くらいから撞きまわり始めて8時すぎまでには当番の家(当屋)
へ帰り全員で夕食を食べなくてはならない。食後は暗い中、他部落の亥の子当屋を
襲撃し旗を模した、短冊竿を取り上げに行かなくてはならないから悠長なことは
していられない。石は投げるは障子・襖はぶちこわし自由であるから経済的に余裕
のある家でないと当屋にはなれない。
短冊竿取りはとても危険なので、小学低学年はこちらへは参加せず、近くの墓場へ
昼間に予め置いてある物を取りに行かせる胆試しに参加させて鍛錬させる。

薄暗い提灯一つで一人づつ墓場へ行かす。そこへ上級生が待ち構えていて
冷たいコンニャクを紐でくくり竿の先につけて、びくびくしながらやってくる
下級生の顔や頬にめがけてコンニャクをゆらゆらと当てる。
お化けの出現と思った下級生は「ギャ~!」と言って一目散に逃げ帰る。
その子は亥の子で集めた祝儀の分け前が少なくなる掟であった。

現在このようなことをしたら、集団リンチか集団いじめとされ警察が出てくるので
しょうね(笑)亥の子は通過儀礼ですから、当時の親たちは当たり前と思っていたし
泣き帰る子は親にだらしないとして叱られてましたね。あはは・・・・。

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