山口県周防大島物語

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江戸期に大島を支配した人たち

2022年07月19日 20時10分50秒 | 江戸期に大島を支配した人たち
関ケ原の敗戦により毛利家は八箇国の本領安堵の約束を徳川家康に反故にされ防長二国に大減封されていまいました。臣下たちの大量解雇と、すでに入蔵していた年貢戻しの為、悲惨な状態で防長経営に当たらねば
ならなくなりました。我が大島郡も悲惨な状態になりました。その大島にあって行政を司った人達の名を記しておきたいと思います。ただ、記録に残っている人達のみですべてではありません。
萩藩は行政区として18の宰判に分け、大島郡は大島宰判と上関宰判に分かれました。一次上関宰判に統合
されることはありましたが、概ね2宰判でした。大島郡内ではあるが、上関宰判に所属させたのは玖珂郡
神代村、熊毛郡上関、牛島、佐合島、八島、祝島でした。役所のことは勘場と呼ばれ、久賀に置かれました。四境の役の時、久賀勘場は幕軍により焼かれましたので勘場は屋代に移りましたが、久賀の復帰運動に
より跡地に商船学校を創るとする妥協案で勘場(郡役所)は久賀に戻りました。

夫々の行政を司った人達を見てみましょう。

尚、余談ながら行政区の宰判(さいばん)は現在、司法機関としての「裁判所」としてその名を残します。
維新の先人たちの苦労がしのばれます。


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