山口県周防大島物語

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曾祖父は友澤彦七家 投稿者:勝山真人

2022年07月24日 10時31分52秒 | 江戸期に大島を支配した人たち
内容が複数に渡りますので、数回に分けてお答えいたします。
 詳細はかむろ会のホームページに掲載していますので、そちらもご覧ください。

 私の曽祖父・伊助は友澤彦七家に養子入りしました。
 私が把握しておりますのは、萩藩に武士として仕えた惣右衛門家(萩友澤)と、沖家室で江戸後期に庄屋を務めた彦七家(沖家室友澤家)だけです。両方とも惣右衛門徳昭が開基です。
 惣右衛門家は武士でしたので、明確な系図が残っています。徳昭ー(重昭)ー政昭ー貞昭(養子)ーと続きますが、私が毛利家譜録で調べましたところ、貞昭は惣右衛門徳昭の女系孫と思われます。
 彦七家は系図が残っておらず、はっきりしたことはわかりませんが、惣右衛門徳昭の血を引く家であることは間違いないと思っています。四代彦七の母以降の墓が沖家室島の観音堂墓地の最も高いところにあります。酒屋を営んでいたようですが、菩提寺の本堂改修工事の費用を巡るゴタゴタのため、文政5年(1822年)に代々庄屋を務めてきた石﨑家が友澤家と庄屋を交代したことが古文書に記載されているようです。この庄屋に就任したのは六代彦七と考えられ、息子と思われる八代彦七と二代に渡って沖家室の庄屋を務めたようです。


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