山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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大内家と日産自動車

2022年07月29日 20時04分27秒 | のんびり屋代島
因幡様から、大内家と海、また長州日産財閥について質問を受けました。
下記の通り返答しました。添削願います。

たしか大内氏は多々良姓を名乗っていたと記憶します。吉敷郡大内(山口市大内)あたりが本貫かと思われます。
大内氏は百済王末裔を自認いたしますので、堂々と渡来人であると宣言します。
よって、金に困ると「本家への無心と称して」朝鮮王朝へ借金を申し込みますが、これらは体のよい「カツアゲ(恐喝)」で
出さなければ、海賊行為を村上海賊等を使って行います。朝鮮では倭寇とされます。
これらの資金が室町幕府を支えるとともに、西国の雄としての地位を高めたとされます。
遣明船の一隻は大内が造船し、大島の大内海賊や備後の村上海賊を使ってオペレーションを行います。これらは以前述べましたね。

実際には朝鮮貿易が一番の収入だったのでしょう。朝鮮貿易が朝鮮を通じて中国、明との貿易だったので膨大な資金を手にしますね。
薩摩が琉球王朝を傀儡化して明貿易をしたのとシステムはよく似ています。これらは東国人には出来ない地の利ですね。

多々良は「たたら「製鉄」」の語源となりますので、製鉄技術を持ち込んだ一族ともいえます。

銭を造った「鋳銭司」もありますから、砂鉄の産地であったのでしょう。
製鉄技術は出雲王朝の方が有名ですね。ただこれら現在の西洋製鉄ではなく和鉄製造の技術ですね。

日産自動車を久原自動車では無理があるのではないでしょうか(笑)
日産(日本産業)そのものは長州藩士鮎川義助が義弟久原に指示して名前を変えていますね。

日産コンテェルンの中で日産自動車の元は「いすず自動車のダットサン部門」の譲受けに始まります。
鮎川自動車か長州自動車でもよいかも知れません(笑)

日産自動車の技術力はボロのダットサン系ではなく、プリンス自動車を吸収した時のプリンスのエンジン技術が当時最高であったからと思っています。
このエンジンを積んだのが名車「スカイライン」ですね。トヨタ、ホンダなんかは目ではなかったですね。もちろん日産内のダットサン系列の「ブルーバード」
なんかは格下でした。
ゴーンの許に入るとは残念です。再度大和株式にして、ルノーを子会社にしたいものです。
ドイツの車屋さんは強いです。あそこは技術も最高ですが「マーケティング」がグローバルです。
マーケティングに於いては日本企業は小学生なみですね。

鮎川も大内村の出身で、井上、佐藤、岸家と縁戚を結びます。
政治家が多い山口県では数少ない経済人ですが、政治家に相当オネダリされて閉口していますね。

日立製作所も日産コンテェルンの一員ではありますが、そのために長州人が日立までいくとは思えません。
長州と常陸水戸は手を組んだり喧嘩したりのややこしい関係ですね。
徳川水戸藩は長州からすると家康の御三家ですから敵となります。
吉田松陰を殺した井伊大老を桜田門外で射殺したのは水戸浪士ですのでシンパとなりま。

未だに水戸を中心とした旧家は御三家の威光を笠にきます。

ただ茨城県の寺社は水戸黄門をボロカスに云います。入封時に寺社を迫害し一ケ所に閉じ込めたことに起因します。

余談ながら、「秋田美人は常陸美人」と言われています。

これはなにも失態が無いのに、徳川幕府の都合により、先祖伝来の地から、荒れた秋田への転封を命ぜられた
佐竹の殿さまが、ささやかな「意趣返し」とばかりに身分の上下を問わず、美形の女子をすべて集めて
秋田へ連れっていったことによるものです。
よって、それ以降茨城県にはブスしかいなくなったとされます。
例外的に下妻、下館は探し終えることが時間的にできなかった地域とされますので、若干このあたりに美人がいるとのこと。

秋田佐竹氏の久保田城を冠する、酒の「久保田」はおいしいですが、秋田美人は色白でよろしいな~あ。

尚、日立の名は「日が立ち登る」様から水戸光圀が地元の地主の庭に腰掛けて名命したとされます。
この地主は今でも大地主で、日立製作所の工場敷地の複数は彼からの賃借物件です。

鮎川義助から話が脱線しました。失礼!

屋代源三


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