6月20日、慰霊の日を前に平和祈念公園に行った。
帰りに友人を案内して「海軍壕」を訪ねた。
海軍司令官大田實少将が自決を前に打電した電文が気にかかっていた。
「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と文末だけは克明に覚えていたけれど全文記憶がなかったから。
「発 沖縄根拠地隊司令官 宛 海軍次官」
左の電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ 県ニハ既ニ通信力ナク 三二司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ 現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘ニ専念シ 県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ 県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集に捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚砲爆撃下□□□風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹炊婦ハモトヨリ 砲弾運ビ 挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
所詮 敵来リナバ老人子供ハ殺サレルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ 衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテ□□ 真面目ニテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ 自給自足 夜ノ中ニ遙ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫
勤労奉仕 物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ 遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ 本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□□□□□□
一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
*□は判読できず、意味不詳ですが原文のままとした。
電文は海軍壕に入る際に渡されるパンフレットから写した。
幕僚室の壁面。
司令官室・作戦室に近い。
幕僚が手りゅう弾で自決した時の破片は当時のまま残っている。
この壕のあちこちで、たくさんの兵たちが死んでいったのだろう。
壕は狭く薄暗くジメジメしている。
フラッシュを焚いて写真を撮る気にはなれなかった。
海軍壕から出たら6月の空は青く、太陽が眩しかった。
ひどく暑かった
眼下には市街地と海の風景が静かだった。
沖縄戦 海軍司令部壕と大田實海軍少将の電文
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このことを忘れずに戦争の恐ろしさを二度と繰り返さないような、このようなブログでも後生に伝えるられることは非常に良いことと思います。
私達の平凡な幸せを感謝しつつ・・・
この原稿は「平和の礎」と同じ頃書き上げていましたが、投稿に思い切れず、きょうになってしまいました。
mariさんが沖縄にお見えになったら、南部の戦跡めぐりは旅程の最後がいいですよ。
NHK「八重の桜」をみて、パソコンの前に座りました。
煙草が切れていたので買いに出て戻ったところです。
公園に捨てられていた鉢から、誰が植え替えたのか外灯の下で芙蓉の可憐な花がたくさん咲いていました。
の願いもむなしく未だ基地問題は解決しない。
随分昔、初めて沖縄に行った時に、ひめゆりの塔に行きました。
今はかなり整備されているようですが、当時は・・・
あまりの悲惨さに声もなく、その後の行楽は沈んだ気持ちのまま・・
その後の沖縄旅行は、水族館に行ったり海で遊んだり
故意に戦争の爪痕を避けています。
口では反戦を唱えながら、辛いことから目を背ける、いけない事ですね。
30数年前の悲惨さはなくなりました。
整備されるのはいいことでしょうが、映像化されたものをみるような感覚に陥ってしまいます。
沖縄では、連日、戦争関連記事が掲載・放映されています。
私などは戦争体験者の方は勿論、未経験者の方の話には口を挟むことは出来ません。
昨夜、NHK大河ドラマ「八重の桜」をみました。
戦争、敗戦の悲惨を太平洋戦争に重ねてしまいました。
どうしたら戦争をしなくてすむのでしょうか。
平和祈念公園の時の記事にも書きましたが、海軍壕にも何回いったやら・・・
ガイドが出来るくらい説明したことを思いだします。
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」の文章は忘れることが出来ません。
このブログすばらしい・・・
電文を紹介してくれて、noraに感謝申し上げます。
個人的な意地の悪い意見を述べてよろしいでしょうか?
その日、沖縄は「慰霊」の時間に包まれていたのですが、本土では「世界文化遺産」で「富士山」が登録されたというニュースが流れて「バンザイ!」コールに沸いていました。それが悪いとは思っていません、むしろいいことだと思っていますが、タイミングというのでしょうか私には面白くありませんでした。沖縄県民が悲しみを感じているのに「なにがバンザイだよ」と思いました。意味が違うという事は充分解っておりますが、やはり沖縄は切り捨てられた思いに駆られてしまいました。ごめんなさい、つまらぬ事で愚痴をこぼしました。許されたし。
貴重なお写真、記録ですね。
勿論、動画も拝見させていただきました。
この戦争の、恐ろしさを忘れて欲しくないです。
そして、このような戦争は、二度と おこしてはならないです。
素晴らしいブログ 、ありがとうございました。^^)
本土から来た転勤族の心あるものは、こうした戦跡に案内しましたよね。
戦争の悲惨さは言わずもがなですが、実際に戦場に散った人々のことを、どう考えているのだろうか、どう受け止めているのだろうかと、長い間沖縄に住んでいると別の感情が湧いて来ます。
戦中、戦後が一向に変っていない恵美さんのコメントに胸を打たれました。
ありがとうございました。
こういうことを、ウチナンチュウーに言わせては、申し訳ないと思います。
みっちゃんのブログのように、明るくて、希望に胸膨らむような記録をすればいいのでしょうが、この時期、どうしてもこのような記事になってしまいます。
ありがとうございました。