宜野湾市の嘉数公園の展望台から見た普天間飛行場。
撮り方がまずいので飛行場とそれを取り巻く市街地の様子がわかりにくい。
ここではあまり騒音は感じられなかった。
爆音と言ったら言語に絶する。
時折、普天間から離れた我がマンションの上空を飛ぶが、テレビの音声など消し飛んでしまう。
5月23日、鳩山首相は沖縄を訪問。辺野古案を県知事に提示。
県知事は「極めて遺憾、極めて厳しい」と対応。
北部首長との懇談会でも名護市長は「断固反対。裏切りだ」と語った。
24日の琉球新報は一面全面、2,3,4面と全ページを辺野古問題に使っている。
この日の琉球新報コラム「金口木舌」の全文を載せた。
【失望感、というよりチルダイ(落胆=島言葉)のほうが適当か。迷走続ける普天間問題。再来県した鳩山由紀夫首相は「普天間飛行場の代替地は名護市辺野古付近」と仲井真弘多知事に伝えた。懸念通りだとはいえ、ついに期待は裏切られた▼約130年前の琉球処分の時も”チルダイ感”が広がったのだろうか。日清両属関係を維持していた琉球王国の位置付けを明治政府は、日本専属と一方的に決めた▼1875年、明治政府の命を受けた琉球処分官の松田道之が派遣され、日本専属を迫った。琉球側は日清両属を主張し、話し合いは平行線に終わった▼続いて79年1月に2度目の来琉。その時も目的を果たせず帰京した。琉球側でも二つの選択肢をめぐり議論が沸騰したが、目的は琉球王国の存続。明治政府の頭越しの要請には、すぐには納得できなかった▼普天間問題は辺野古移設という結論を急いだことで、単なる引っ越し問題に矮小化され、解決したような印象を県外に与えるだろう。しかし普天間問題は日米安保や抑止力などの論議なしには解決しない▼松田処分官は79年3月、3度目の来琉をする。その時は、内務官僚や警察官、軍隊を率いて那覇港に現れた。首里城に入り、琉球藩の廃止と沖縄県の設置を宣言、琉球王の尚泰王らを東京に連行した。鳩山首相の3度目の来県はあるだろうか。】
=琉球新報は沖縄タイムスと並ぶ沖縄県地元紙の両翼の一翼を担う。発行部数20数万部の日刊紙である=
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