写真はひと月前に紹介したピンク色と色違いの「イッペー」である。
一般的に、沖縄では「イッペー」というと黄色の花を連想する。
花の時期は連休前に終わりました。
昔は歓楽街として賑やかな街だったらしい「屋富祖(やふそ)」という地区がある。20年以上住み慣れた沖縄で、この町に足を踏み入れたのはつい最近である。友人に連れられて、ある居酒屋に通うようになった。店はスナック形式ではあるが、ママがサービスに出してくれる料理が多いので「居酒屋スナック」と勝手に呼んでいる。値段も格段に安い。酒の肴に出る料理がうまい。素朴で、幼い頃のおふくろの味を思い出す。くだらない(?)調味料や味付けはしていない。ママはこれといった美人ではないが、この不況時にそこそこに客は入っている。
そんなスナックでの話。その日は、開店早々にカウンターに座った。いつもは、「酒は楽しく飲むべし」と他人の迷惑は考えずに好き勝手な事をして、しばしば、不愉快にさせる悪友がいないので、年甲斐もなくはしゃいでいた。
そのとき、常連のエイちゃんが友人を連れて入ってきた。エイちゃんは美人で明るく店の人気者である。そのエイちゃんが同年輩だろうと思われる女性を伴って入ってきた。彼女はまたエイちゃんと違うタイプの美人だ。
ブログの話になり、アドレスを教える事になった。
面倒なので、
「携帯のアドレス教えて。いま、送ってあげるから」と簡単に言ってしまった。
だが、彼女は聞こえないのか答えない。
再び、催促した。
「わたし、アドレスは簡単には他人には教えないの。でも、あなたとはきょう逢ったばかりでしょ」
瞬間、「しまった」と心の中で叫んでしまった。30代であろうか、若い女性のメールアドレスを聞くなんて!みっともないなんてものじゃなかった。
「ほんとうにごめんなさい。不愉快な思いさせてしまって」
言い訳をするなら、周りは馴染みの人ばかり。いつの間にやら、彼女を馴染みの人と同じ感覚で捉えてしまっていたのだ。もうひとつ付けくわえるなら、彼女たちがふたりの娘と同じ年代だという気の緩みがあった。
旅の途中に寄る酒場で、地元の人たちの人情に触れ、仲間になり楽しい酒に浸っているとき肩を叩かれたり、からだに触れられたり、なれなれしくされて不愉快になるときがある。そのときは、「けじめのないやつだ、けじめをつけきらない土地だ」などと決め付けるときが多々ある。案外、彼らは地の者、よそ者という壁を取っ払ってしまっているのかもしれない。いわゆる、「悪気はない」である。
「悪気がなければ何でもいい」ということになる。
いつか忘れかけている「けじめ」であろう。
そういえば、「躾」ということばもあまり使われなくなってしまった。
「もったいない」「みっともない」ーーーーー。
日常生活だけでなく、「旅」をするものの大切な言葉ではないだろうか。
今度ばかりは「けじめ」のなさをさらけ出し、「みっともない」自分を演じてしまった。
一般的に、沖縄では「イッペー」というと黄色の花を連想する。
花の時期は連休前に終わりました。
昔は歓楽街として賑やかな街だったらしい「屋富祖(やふそ)」という地区がある。20年以上住み慣れた沖縄で、この町に足を踏み入れたのはつい最近である。友人に連れられて、ある居酒屋に通うようになった。店はスナック形式ではあるが、ママがサービスに出してくれる料理が多いので「居酒屋スナック」と勝手に呼んでいる。値段も格段に安い。酒の肴に出る料理がうまい。素朴で、幼い頃のおふくろの味を思い出す。くだらない(?)調味料や味付けはしていない。ママはこれといった美人ではないが、この不況時にそこそこに客は入っている。
そんなスナックでの話。その日は、開店早々にカウンターに座った。いつもは、「酒は楽しく飲むべし」と他人の迷惑は考えずに好き勝手な事をして、しばしば、不愉快にさせる悪友がいないので、年甲斐もなくはしゃいでいた。
そのとき、常連のエイちゃんが友人を連れて入ってきた。エイちゃんは美人で明るく店の人気者である。そのエイちゃんが同年輩だろうと思われる女性を伴って入ってきた。彼女はまたエイちゃんと違うタイプの美人だ。
ブログの話になり、アドレスを教える事になった。
面倒なので、
「携帯のアドレス教えて。いま、送ってあげるから」と簡単に言ってしまった。
だが、彼女は聞こえないのか答えない。
再び、催促した。
「わたし、アドレスは簡単には他人には教えないの。でも、あなたとはきょう逢ったばかりでしょ」
瞬間、「しまった」と心の中で叫んでしまった。30代であろうか、若い女性のメールアドレスを聞くなんて!みっともないなんてものじゃなかった。
「ほんとうにごめんなさい。不愉快な思いさせてしまって」
言い訳をするなら、周りは馴染みの人ばかり。いつの間にやら、彼女を馴染みの人と同じ感覚で捉えてしまっていたのだ。もうひとつ付けくわえるなら、彼女たちがふたりの娘と同じ年代だという気の緩みがあった。
旅の途中に寄る酒場で、地元の人たちの人情に触れ、仲間になり楽しい酒に浸っているとき肩を叩かれたり、からだに触れられたり、なれなれしくされて不愉快になるときがある。そのときは、「けじめのないやつだ、けじめをつけきらない土地だ」などと決め付けるときが多々ある。案外、彼らは地の者、よそ者という壁を取っ払ってしまっているのかもしれない。いわゆる、「悪気はない」である。
「悪気がなければ何でもいい」ということになる。
いつか忘れかけている「けじめ」であろう。
そういえば、「躾」ということばもあまり使われなくなってしまった。
「もったいない」「みっともない」ーーーーー。
日常生活だけでなく、「旅」をするものの大切な言葉ではないだろうか。
今度ばかりは「けじめ」のなさをさらけ出し、「みっともない」自分を演じてしまった。