あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

温かな沖縄の人情~おのれが演じた嫌いな「狎れ」~

2008年12月19日 09時59分33秒 | Weblog
 まだまだ暑い日だった。
この日も通い慣れた件の居酒屋スナックに散歩がてら向かっていたとき、とある民家の庭先で見つけたシーザー。こんな格好をしたシーサーは見たこともないので写真に撮っておいた。昨夜の無様な醜態を演じた己を恥じ入りながら、反省しつつ眺めた。まるで、叱責されているようでもあり、あきれかえっているようでもある。


 最近、塞ぎこむような事が続く。
 昨夜も居酒屋スナックで「クサレナイチヤー」を演じてしまった。ボケの始まりか。
スーツ姿のよく似合う男性T氏に失礼をしてしまった。こともあろうに部下を連れてのカウンターでやってしまった。
2時間余りも常連の別人と間違えて喋ってしまっていたのだ。
久しぶりに酒がうまかった所為でもあろうが、いつの間にか快くなり、そしてついにだらしなくなってしまった。酔いも回り、気が緩み、狎れてしまったのだ。
「別人と勘違いして喋っていた」とひと口で済まされることではない。
楽しい酒を飲むために来た酒場で、2時間余りも別人にされていた件のT氏のことを思うと、今朝もこうしていても気持ちが塞ぎこんでしまう。
気がついて何度も何度も詫びたが、これがまたくどかった。
また長居をして痛飲してしまった。
もっと他に嫌な言動をしたに違いない。
皆馴染みだった。
帰る時にはすっかりそんなことも忘れて、気分良く店を出た。

 今朝になって、「しまった」と後悔したのである。
失笑や反感を買うような言動をやっているに違いない。それでも、楽しく飲ませてくれた。
これが沖縄の温かな人情であろうか。


 ずいぶん前のブログで「狎れ」について、ある酔客のことを非難したが、どうも自分には人を非難できる資格はないと痛感した。


泡盛を記念品に  ~結婚祝・還暦・金婚式等の記念に~

2008年12月16日 11時41分36秒 | Weblog
携帯で撮った為、画像が霞んでいる。
泡盛のビンに、文字や写真を貼り付けた写真だ。
デザインはお客様の自由。
ガラス瓶なら何でもOK。
お酒は持ち込み出来る。
画面上を左クリックで拡大できるから、大きくしてみてほしい。

 きのうまでの寒さは嘘のように穏やかな日和だ。
部屋内でこうしてブログを書いているとポカポカと眠気を催す。
11月から1月に掛けての沖縄のこの日和が好きだ。
しかし、寒気団が南下して来ると、本土はからっ風が吹き晒す。当地沖縄も震え上がり、風邪をひく。

 写真は2ヶ月ほど前、友人の社長をたずねたとき、見せてもらった。
この店はうるま市具志川の安慶名にある。バスターミナルの前だ。
「ギフト クリスタル」というショップ。また、宜野座で泡盛もつくっている。
本業はもずくの生産者の元締めで、質にこだわる社長である。
 泡盛のビンを海中に沈めて、半年から1年もするとビンにサンゴが付着し、見事な模様が出来あがる。贈り物に最適だ。
泡盛はまろやかになり、抜群に美味しくなる。
いつか、ブログ上に載せようと思うが写真が手に入ったら掲載しよう。

 トックリキワタは10月から11月が真っ盛りと、先日のブログに書いたが、14日の日曜日、南部までのドライブで花びらをつけているトックリキワタを見つけた。盛りは過ぎているけれど、ちらほら車窓に見える残り花も捨てたものではなかった。

いつも長々と書いてしまうが、これくらいが適当でしょうか。



泡盛を記念品に  ~結婚祝・還暦・金婚式等の記念に~

2008年12月16日 11時41分30秒 | Weblog
携帯で撮った為、画像が霞んでいる。
泡盛のビンに、文字や写真を貼り付けた写真だ。
デザインはお客様の自由。
ガラス瓶なら何でもOK。
お酒は持ち込み出来る。
画面上を左クリックで拡大できるから、大きくしてみてほしい。

 きのうまでの寒さは嘘のように穏やかな日和だ。
部屋内でこうしてブログを書いているとポカポカと眠気を催す。
11月から1月に掛けての沖縄のこの日和が好きだ。
しかし、寒気団が南下して来ると、本土はからっ風が吹き晒す。当地沖縄も震え上がり、風邪をひく。

 写真は2ヶ月ほど前、友人の社長をたずねたとき、見せてもらった。
この店はうるま市具志川の安慶名にある。バスターミナルの前だ。
「ギフト クリスタル」というショップ。また、宜野座で泡盛もつくっている。
本業はもずくの生産者の元締めで、質にこだわる社長である。
 泡盛のビンを海中に沈めて、半年から1年もするとビンにサンゴが付着し、見事な模様が出来あがる。贈り物に最適だ。
泡盛はまろやかになり、抜群に美味しくなる。
いつか、ブログ上に載せようと思うが写真が手に入ったら掲載しよう。

 トックリキワタは10月から11月が真っ盛りと、先日のブログに書いたが、14日の日曜日、南部までのドライブで花びらをつけているトックリキワタを見つけた。盛りは過ぎているけれど、ちらほら車窓に見える残り花も捨てたものではなかった。

いつも長々と書いてしまうが、これくらいが適当でしょうか。



那覇マラソン  初回から走りつけている我が親友

2008年12月13日 17時24分11秒 | Weblog
12月7日第24回那覇マラソンが催行された。
友人である写真の男は「大森正信」。
彼の事務所で撮った写真があったので掲載する。
連続24回出場して、今年も完走。すべて完走している。
サラリーマンで沖縄に着任して、奥様共々沖縄に惚れて、退職して沖縄に居ついてしまった。
今でも、自分で立ち上げた会社のレッキとした現役社長である。


 今年の那覇マラソンは、エントリー33,000名余りと報道された。
完走者は18,000余名。奥武山公園をスタートして、国際通り駆け抜け、一路南部路を平和記念公園に向かって走る。
平和記念公園が折り返し地点。
ここから南部戦跡の糸滿街道をひたすら那覇に向かって走る。
ひめゆりの塔、琉球ガラス村等を横目に見ながらただ走る。
この辺りになると疲れが極地に達し、足は棒のようになり、気は前に行くけれど、足が前に出ないと経験者は嘆く。
 6時間のタイム制限で、時間が来ると数人で係官が奥武山公園球場の門を閉める。あわただしいこの風景はあわれやら、おかしいやら。とにかく、係員は数名で無情に容赦なく閉める。
間に合った人たちには完走証明書が手交される。
その後、公園のあちこちで仲間や家族がひとかたまりになって談笑する。

 件の大森正信氏は5時間59分40秒であったというから、ゴールにダッシュしてゆく姿を思い描くさえ、滑稽で、ユウモアに溢れ、笑いがこみ上げてくる。
氏は今年60歳。エントリーした初回は36歳であった。本土大手企業の支店長であったが、あっさりと50歳前に退職してしまった。
からだも大きいが声もでかい。熊本出身でまさに九州男児である。
第1回が800番台、それから300番台と3時間台で長い間走っているが、男大森も寄る年波には勝てないのか、青息吐息であったろうとおかしくなる。
 2,3日後、20年来の仲間が集まって作った会の忘年会がある。この忘年会の感じを彼がしているのだが、那覇マラソンの話題で楽しい年治め一夜を過ごすことになるだろうとたのしみである。

 みなさんも走ってみませんか。
とても楽しい、のんきで、南国らしいマラソンですよ。

「という私は一度も参加したことはありません。沿道で応援するばかりです。
踊る阿呆に観る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損々!」わかってはいるけどね。

沖縄の平和への希求~戦争がいけない~

2008年12月06日 17時15分43秒 | Weblog
色付き始めたシークワーサー。
12月2日に浦添市内の民家の塀越しに見つけた。
青く酸っぱい時期は11月まで。
青い時期がビタミンCや成分が豊富というけれど、熟れたシークワーサーは甘い。
シークワサーが黄色になる頃、沖縄は冬全っ只中である。
温州みかんより少し小さめのカワブチという小みかんがある。
シークワサーと区別できない県内の人も多い。

 きょうは真冬日である。最低14℃、最高が17℃。セーターやジャンバー姿が行き交う季節になった。
福岡は降雪予報。間違いなく雪は降っているであろうが、この寒さでは大したことはないかもしれない。

 先日から沖縄の人々の平和に対することに少し触れたので、ついでにもう少し触れてみたい。
 本土、所謂、県外人を「ヤマトンチュウ」と呼ぶことはずっと以前に触れた。
特に太平洋戦争を語るとき、沖縄の人々は決して「ナイチヤー」と云わない。「ヤマトンチュウ」という。
 終戦真近かの沖縄では筆舌に尽くし難い悲惨な出来事が無数にあった。
米軍の無差別艦砲射撃、逃げ惑う住民、子供たち。
上陸後の地上戦にみる惨劇はひめゆりの悲劇だけではない。
これが戦争だというあらゆる事柄を具現化して見せた観がある。
しかし、沖縄の人々から米軍に対するこうした戦時下の恨み辛みは聞いたことがない。これが戦争だと理解している風がある。
しかし、渦巻く基地反対運動は想像を絶する。
心もとない新聞が
「地主は殆どが反対ではない」
と報じる。県民は土地の権利を守るために反対運動をやっているのではない。根源的な平和を希求しているのである。
 一方、日本兵に関しては批判は凄ましい。
新聞をにぎわしている集団自決の軍関与に至っては、日本軍が関与してなかったと否定する者に出会ったことがない。
日本軍は守るべき同じ国民を、守るのではなく、壕から追い出し、スパイ扱いし、壕の中で乳飲み子が泣くと敵に知れると扼殺したり、壕から追い出したりと枚挙に暇がない。
 沖縄に来た当初は、
「日本人だけではない。戦争というのは人間を変える。負け戦になった側は正常な神経ではおれない」
と先述の戦地帰りの先輩諸氏の体験談を話したものだった。
 そんな理屈では納得させ得ないことを知ったのは、沖縄に住み着いて15年も過ぎた頃だった。
原爆の事だって、われわれはどれくらい判っているのか。肌で感じられるのか。
重病人に対して
「がんばってね」
という言葉ほど病人にとって、これほど、残酷で、腹が立つ言葉はないという。
言った健常者にしてみれば、気持ちをわかってほしい、いうだろうが、それは理屈で、決して病人のためになっていないということはわかっていない。
何のために見舞い、言葉をかけるのか、そう考えることができないないのであろうか。
「やさしさ」「おもいやり」に欠けているとはおもわないのだろうか。
 「平和」に対する沖縄県人の思いは、戦場を逃げ回った人間にしかわからない。
ナイチヤーだって、東京の空襲、原爆、焼け野原になった地方の中小都市と経験はあるだろうけれど、それとの比較だけで沖縄県人の戦争、平和、基地観を見るべきではない。

 沖縄の人たちも原爆だけでなく、焦土化した本土の中小都市があることも知って欲しい。
 誰が正しい、悪いのではなく、戦争はやっちゃいけないということだ。
そのためにどうしようか。
口だけでは何とでも言える。

何ができるかが問題だ。



沖縄と平和~基地の町沖縄~

2008年12月02日 08時48分38秒 | Weblog
「平和、平和、平和」沖縄の空港に降り立った瞬間から、この地は戦争の記憶と記録に溢れている。
平和への渇望。それは本土のわれわれが計り知れないほどだ。
写真は毎年、糸満市魔文仁の「平和祈念公園」傍で開催される「糸満平和の光」イルミネーション。


 漫画喫茶で好きなコーヒーを飲みながら、たくさんの漫画を自由に選んで暇な時を過ごす。
 「ジパング」という数巻からなる漫画がある。
日米共同演習のためハワイに向かう自衛隊のイージス艦が、嵐の中、タイムスリップして太平洋戦争に巻き込まれるというストーリーだが、なかなか読み応えがある。
この中で、ある軍人が、
「太平洋戦争を始めたのは陸軍でない、世論だ。世論は作り上げたのはマスコミである」
というくだりがある。大変感銘を受けた。
 誰かの所為にするのは簡単だし、楽だ。しかし、それでは、世の中は良くならない。間違いは正せない。われわれの生活は保障されない。
 昨今のマスコミと重なって仕様がない。
自らの理論や考えを「世論」という言葉に置き換えて、堂々と言い切る。
入試問題で読みを書きなさいと出ている時分に、「ヨロン」と臆面もなくテレビやラジオで喋っている程度だからマスコミを信じてはいけない。
われわれは、マスコミの報道や論説は正しいと無抵抗に受け入れ過ぎている。
 若い頃だった。日本は再軍備すべきか否かと騒がしい時代であったが、周囲には戦場経験のある先輩や上司がいた。諸先輩の意見は真っ二つに分かれていた。
再軍備反対者は、
「武器を持ったら使いたくなる。持たなければ、戦争は出来ない。話し合いで解決すべきだ」
という。
再軍備賛成を唱える人は、
「武器を持たないから無理難題を押し付けられる。腕力のない無抵抗な老人や女、子供が暴力の被害に合わないか。逆だろう。話し合いに引っ張り出すための力だ、軍備だ」
という。
賛成者も決して戦争礼賛者ではない。
「戦争だけはやってはいけない。どんなに悲惨なものか。言葉では云えない」
戦場経験者は戦場で体験した事は口にしない。
お酒の場で、ぼそぼそと語ることがあるが、一人の先輩から2度も3度も聞いたということはない。しかも、体験を語るときは寡黙になる。だが、その言葉で重い。
「戦争はやっちゃいけない」
と誰もが言った。
 再軍備論者はすべてが戦争賛美者みたいな決め付け方は、一億総火の玉となった太平洋戦争前夜と同じだ。マスコミの論調は再軍備反対であり、再軍備賛成の論者の意見は殆ど取り扱わない、まるで、それが世論のように。戦前に似てはいないか。
そうして作り上げられてゆく社会が怖い。争鳴百家、様々な議論が飛び交う社会でなくてはならない。

12月に入ると沖縄のあちこちでイルミネーションが輝く。
おだやかな冬の光はしあわせな安らぎを感じさせる。