9月23日。
やることは山ほどあるが、やる気に任せていると日に日にやらねばならぬことが溜まってくる。
この日も、怠惰な身体を座椅子に凭せ掛け、テレビのチャンネルを際限なく回していた。
突然、電話が鳴った。
億劫に、腕を伸ばし、電話を取る。N氏だ。
「きょう、昼の食事かお茶をしませんか」
コロナかが収まるまで自粛しようと約束して、夜の飲食を自粛している。
2ヶ月ぶりの誘いだ。
「いいね、暇を持て余していたところだ」弾かれたように体を起こした。
「今9時ですね。10時半頃家を出て、パルコシティーで買い物をして行きますから11時半過ぎ位になります。又、電話します」
パルコシティーは昨年オープンした郊外型大型ショッピングセンターである。
数年前、浦添市にある米軍基地キャンプキンザーの一部が返還された地区に建てられた。
浦添市の西海岸にある。
11時過ぎに電話が鳴った。
件の彼である。
「どうした?」
「パルコシティーはやめました。今からでもいいですか」
「構わないよ」
「11時半には着きます」
早めに身支度を済ませてよかった、と胸をなでおろす。
11時半ピタリに彼は着いた。
「女房も一緒です。構いませんか」
駄目と言ったらどうするつもりかな。
そんなこと絶対に言わないことを知っているから、いつもそういうのである。
夫人は明るくて、知的な、素直な女性である。
彼と同じ年と言うから還暦を過ぎてはいるけれど元気がいい。
旦那N氏は去年退職したけれど、夫人は働いている。
「食事にしましょう」と彼。
「そうだね」
「どこにしましょうか」
郊外の変哲もない、サラリーマン食堂の名を挙げた。
「どこでもいいよ。奥さんの好きなところにしたら」
夫人は友人たちと食事会をするらしく、料理に余り興味のない私だが、彼女が指定する店は美味い。
「どこでもいいよのこのひと言が良くなかった。
ふたりの会話に残波だの、読谷だのと30分はかかる地名が出てくる。
車は国道58号線を北上している。
道の両側が基地の嘉手納町に入った。
嘉手納町を超えれば読谷村である。
58号線を左折すれば残波岬に向かうはずだ。
ところが、なかなか左折しない。
10分ほど走って、琉球村を左折し、遠回りだが海沿いを残波岬に行くのだろうと思っていたが通過した。
「ねえ、残波に行くんじゃなかったの!」と夫人。
「”おんなの道の駅”にしようと思ったが、ここまで来たらムーンビーチの先の美味い「沖縄そば屋」に久しぶりに行ってみようと思う」
車は西海岸入り口に当たる旧山田温泉「ラマダルネッサンス」にそろそろ到着だ。
ラマダルネッサンスを過ぎれば、そこは恩納村の西海岸の始まりである。
右手に「おんな道の駅」が見えた。
「道の駅も通過するの?」と夫人。
「帰りに寄ろう。いいでしょう」と同意を求めてきた。
「ああ、いいよ」
仲泊(なかどまり)の外れで道は十字路に出る。
真っすぐ行けば、恩納村を走る国道58号線のバイパスだ。
車は旧国道へと左に折れた。
「急ぐこともないし、例の沖縄そば屋は旧道です」とN氏。
「そうだね、観光で来るひとにとっては海岸線だよね」
名護や本部に行くときも、バイパスや高速道を余程の理由がない限り使うことはない。
昔ながらの国道58号線を走る。
「あれ!店がなくなっている」とN氏が叫んだときは車はブセナテラスの手前に来ていた。
長い間来ていない。
国道に沿って立っていた店は名前も思い出せなかっ
た。
N氏は昨年まで、よくこの道を走っていたから間違えることはない。
「もう名護市じゃない!」N氏夫人。
「とんでもないドライブになったね。奥さん、大丈夫?」と声をかけた。
「大丈夫です。きょうは祭日ですよ」車の中が笑いで弾けた。
「宮里そばにする?・・・・・我部祖河(がぶそか)そばでもいいね」N氏は屈託のない声で夫人に話しかける。
ラマダルネッサンスの門前を通り過ぎた。
車は許田(きょだ)の七曲りに入った。
昔は許田から名護まで、海に迫る山裾を縫うように走っていた交通の難所だったらしい。
対岸の半島は本部半島。半島の先端辺りが本部港だろう。海洋博公園はその向こうにある。
町並みは名護市。
「道の駅許田は帰りに寄ろう」とN氏。
「何か買うの?」と夫人。さり気なく、従順に問いかける。
N氏夫婦の会話は物静かで、穏やかである。そばにいると思わず眠りに誘われることがある。
許田道の駅を過ぎる。
最近開通した新道道が目の前に現れた。
「新道を走ろう」思わず、私は叫んだ。
(つづく)
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やることは山ほどあるが、やる気に任せていると日に日にやらねばならぬことが溜まってくる。
この日も、怠惰な身体を座椅子に凭せ掛け、テレビのチャンネルを際限なく回していた。
突然、電話が鳴った。
億劫に、腕を伸ばし、電話を取る。N氏だ。
「きょう、昼の食事かお茶をしませんか」
コロナかが収まるまで自粛しようと約束して、夜の飲食を自粛している。
2ヶ月ぶりの誘いだ。
「いいね、暇を持て余していたところだ」弾かれたように体を起こした。
「今9時ですね。10時半頃家を出て、パルコシティーで買い物をして行きますから11時半過ぎ位になります。又、電話します」
パルコシティーは昨年オープンした郊外型大型ショッピングセンターである。
数年前、浦添市にある米軍基地キャンプキンザーの一部が返還された地区に建てられた。
浦添市の西海岸にある。
11時過ぎに電話が鳴った。
件の彼である。
「どうした?」
「パルコシティーはやめました。今からでもいいですか」
「構わないよ」
「11時半には着きます」
早めに身支度を済ませてよかった、と胸をなでおろす。
11時半ピタリに彼は着いた。
「女房も一緒です。構いませんか」
駄目と言ったらどうするつもりかな。
そんなこと絶対に言わないことを知っているから、いつもそういうのである。
夫人は明るくて、知的な、素直な女性である。
彼と同じ年と言うから還暦を過ぎてはいるけれど元気がいい。
旦那N氏は去年退職したけれど、夫人は働いている。
「食事にしましょう」と彼。
「そうだね」
「どこにしましょうか」
郊外の変哲もない、サラリーマン食堂の名を挙げた。
「どこでもいいよ。奥さんの好きなところにしたら」
夫人は友人たちと食事会をするらしく、料理に余り興味のない私だが、彼女が指定する店は美味い。
「どこでもいいよのこのひと言が良くなかった。
ふたりの会話に残波だの、読谷だのと30分はかかる地名が出てくる。
車は国道58号線を北上している。
道の両側が基地の嘉手納町に入った。
嘉手納町を超えれば読谷村である。
58号線を左折すれば残波岬に向かうはずだ。
ところが、なかなか左折しない。
10分ほど走って、琉球村を左折し、遠回りだが海沿いを残波岬に行くのだろうと思っていたが通過した。
「ねえ、残波に行くんじゃなかったの!」と夫人。
「”おんなの道の駅”にしようと思ったが、ここまで来たらムーンビーチの先の美味い「沖縄そば屋」に久しぶりに行ってみようと思う」
車は西海岸入り口に当たる旧山田温泉「ラマダルネッサンス」にそろそろ到着だ。
ラマダルネッサンスを過ぎれば、そこは恩納村の西海岸の始まりである。
右手に「おんな道の駅」が見えた。
「道の駅も通過するの?」と夫人。
「帰りに寄ろう。いいでしょう」と同意を求めてきた。
「ああ、いいよ」
仲泊(なかどまり)の外れで道は十字路に出る。
真っすぐ行けば、恩納村を走る国道58号線のバイパスだ。
車は旧国道へと左に折れた。
「急ぐこともないし、例の沖縄そば屋は旧道です」とN氏。
「そうだね、観光で来るひとにとっては海岸線だよね」
名護や本部に行くときも、バイパスや高速道を余程の理由がない限り使うことはない。
昔ながらの国道58号線を走る。
「あれ!店がなくなっている」とN氏が叫んだときは車はブセナテラスの手前に来ていた。
長い間来ていない。
国道に沿って立っていた店は名前も思い出せなかっ
た。
N氏は昨年まで、よくこの道を走っていたから間違えることはない。
「もう名護市じゃない!」N氏夫人。
「とんでもないドライブになったね。奥さん、大丈夫?」と声をかけた。
「大丈夫です。きょうは祭日ですよ」車の中が笑いで弾けた。
「宮里そばにする?・・・・・我部祖河(がぶそか)そばでもいいね」N氏は屈託のない声で夫人に話しかける。
ラマダルネッサンスの門前を通り過ぎた。
車は許田(きょだ)の七曲りに入った。
昔は許田から名護まで、海に迫る山裾を縫うように走っていた交通の難所だったらしい。
対岸の半島は本部半島。半島の先端辺りが本部港だろう。海洋博公園はその向こうにある。
町並みは名護市。
「道の駅許田は帰りに寄ろう」とN氏。
「何か買うの?」と夫人。さり気なく、従順に問いかける。
N氏夫婦の会話は物静かで、穏やかである。そばにいると思わず眠りに誘われることがある。
許田道の駅を過ぎる。
最近開通した新道道が目の前に現れた。
「新道を走ろう」思わず、私は叫んだ。
(つづく)
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久しぶりのブログですね( ^ω^)・・・
今日は昼食がドライブになってしまいましたね・・・
楽しそうな会話と懐かしい地名が出てきました。
今回は昼食だめだったようですが、次の機会を楽しみにしております。
久しぶりの外出良かったですね・・・
一週間以内にと思いながら、気がついたら一ヶ月が過ぎていました。
もう4,5年は沖縄に来ていないでしょう。
出来るだけ地名をあげながら書いているのですが、
行の書き出しには地名も出てきていたのに、いざ書き出すと飛んでしまうのです
ブセナを思い出すのに3日間もかかってしまいまし。
暑さが過ぎて、どうにか体力が戻ってきました。
本土は初冬のようですね
今年は真夏から晩秋。
秋を感じられなかったでしょう
コロナとインフルエンザが待っていますよ
来月はインフルエンザ、年明けにコロナの予定です
沖縄そばになりそうでハラハラ、変更もまた蕎麦とか・・・
続きが楽しみ(゚m゚*)プッ
昨日、ニュースで見覚えの有るホテルが出ました。
軽石被害のニュースでしたが、ベルさんが止まった、
【リゾートホテルベル・パライソ】でしたが、この辺りの海が、
軽石の被害に遭ってるそうですね、心配ですね。
気になって昔のCDを探して、今日は沖縄旅行を偲んでみました(^o^)v
旅程は、2002年の10月13~15日まででした。
それからリベンジならずです、海外優先だったから(^_^;)
必然的にnoratanさんのところもベルさんちへ行くと寄らしてもらっています。
三人さんが一緒なんですよ!
いつものように下の方へスクロールしかけたら、
あれ!記事が違う!ってびっくりしました。
久しぶりの更新でびっくりですよ!
ちょっと食事かお茶でもがずいぶん遠くまでの
ドライブになりましたねぇ~
それで食事はだめだったのですか?
なんだか、この時間なのでお腹がすいてきましたよ!
美味しいものをお腹いっぱい食べたいねぇ~
つづきをお早くお願いしますねぇ~
オープン当時の社長は大阪のひとで、面白いオッチャンでした。
随分遠い過去になりますが、亡くなってからこどもが売ってしまったようです。
もう20年近く寄ったことがありませんが、対岸に古宇利島がみえて、ロケーションもいいところでした。
随分と変わりましたよ。
今回の小さなドライブでも驚いたほどです。
暇野郎も一日がひどく短いですよ
どかっと机の前に座ったら、3,4時間は新幹線に乗っている感じ。トイレに立つくらい。
新幹線ならじっとしても、博多から乗れば、新大阪に着きますけど、noratanは一ミリも動きません
私は麺類が大好きでした、
宮崎で「腰のあるうどん」を食べたのが切っ掛けで、次第に麺類を食べなくなりました
沖縄に来てからうどんやそーめんや日本そばには全く手を付けなくなりました。
ある時、首里の古民家で食べた沖縄そばが大変美味く、それから、時折、食べるようになりました
どんぶりの半分くらいで十分で、其れ以上は食べ残してしまいます
きょうは珍しく日本晴れの上天気。
午後はトックリキワタの情報を頂いたので出掛けます
見せていただき、とても幸せ気分です。
応援ポチ(全)。
お互いに尊重し合い、認め合うブログ交流、いいものですね。
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沖縄も20℃を切るようになりました。