3月26日朝、友人から「電話が繋がらない」とメールが来た。
思い当たることがあった。
一週間経った送信や受信は殆ど消去してしまう。
電話のあった4,5日前のこと、消去する際に何か文字が出てきたけれど、確認もせずにOKボタンを押してしまった。
「通話略歴から削除する」ボタンと隣り合わせに「着信拒否番号として登録する」というボタンがある。
あの時、チラッとみえた文字がそうでなかったかと気にはなっていた。
早速、DOCOMO SHOPに問い合わせた。
店に行かないと、着信拒否番号を通常に戻すことはできないという。
頻繁に連絡取り合う仲である。
猶予は出来ないので店に向かった。
別に不自由もなかったガラケイからスマートフォンに替えたことを後悔した。
店は空いていて、10分ほどで終わった。
国道58号線を横切って、反対側のバス停に立った。
5分と待つことなく那覇行きのバスが来た。
58号線は沖縄本島の主要道路である。
那覇から宜野湾市までは多くの系統のバスが58号線を通る。
那覇に赴任した当時、「58号線沿いに部屋を借りなさい」と言われたことがある。
バスに乗ってから、天気も良いし、補聴器のことを調べようと思い立ち、このまま那覇の補聴器の店に行くことににした。
30分ほどで目的地の崇元寺に着いた。
補聴器の店は崇元寺バス停前である。
見慣れた崇元寺石門の前に立った。
約束があるわけでもなし、天気も良いので崇元寺を見てみようとい気になった。
崇元寺石門。門を入ったところ内側から門外に向かって写してみた。
バス通りから路地を入ったところに通路がある。
周囲を見ながら、崇元寺の看板をみつけた。
中はガランとしていて広い空き地があるだけだ。
沖縄戦で消失した後、一時、図書館が建てられていたらしいが今はない。
公園の隅には巨大なガジュマルが際立っていた。
正門・石門のところにも大きなガジュマルがあった。
枝から下りてきた気根が歴史を語っているようだった。気根が凄い。
崇元寺は正式には霊徳寺崇元寺という臨済宗の寺院だったらしい。
創建は諸説あるが、1527年創建が有力視されていて、那覇市文化財課に問い合わせると1527年と、一応決めているという。参考までに。
通常は「そうげんじ」と読むが、地元では「すーぎーじ」と発音する。
沖縄方言は母音が3つだと数年前のブログで書いた。
ローマ字表記にすると、「E」は「I」になり、「O」は「U」になる。
「SOーGENJI」ー「SU-GINJI」ー「SU-GIーJI」。これだけ覚えておくと沖縄方言は80%理解できる。
因みに、米軍は「たかもとじ」と呼んだらしい。「そうげんじ」では発音し辛かったのだろう。
崇元寺については那覇市での私の生活圏内にあったが、訪れたこともなく、全く知識がなかった。
足を踏み入れたのも今回が初めてという体たらくである。
崇元寺は那覇市泊(とまり)にある。
モノレールなら美栄橋駅又はか牧志駅から徒歩10分程度。
国際通りからならバスが便利だ。
バスは本島中・北部行きが頻繁に通るので、事前に調べて行くといい。
施設は開放され、崇元寺公園となっているから自由に出入りできる。
観るべきものは何もないので、事前に学習して行かないとがっかりするかもしれない。
詳しい記事を見つけたので、興味ある方は参考にされたい。<ここをクリック>
崇元寺前の補聴器屋に寄った。
応対に出たのが20代半ばの如何にも頭の良さそうな、キリッとした品のいい娘だった。
「最近、聞き取り辛くなってね。調べていただけますか?」と切り出した。
「一年半ほど前に耳鼻科で診てもらったら、『大して悪くはないですが、補聴器試してみますか。
テストで一週間ほど着けて、何度か繰り返して調整します。それから決めればいいでしょう』と言われ、テストしてみることにしました。
補聴器を預かり、装着してみると周囲の雑音がうるさいのに驚きました。調整してみるけれど不快です。
一週間を待たずに、テストを辞めたいと申し出ました」
説明をするのは面倒だったが、簡単に話した。
「そうですね、調整が大切です。数ヶ月はかかりますよ。取り敢えず、どれくらい聞こえるかどうかだけでも調べてみましょう」
準備で20分ほど待たされて始まった検査は、一年前受けたのと同じようなものだった。
検査結果は一年前と同じだった。
「高音が聞きづらくなっていますね」 グラフをみると、健常者の80%とあった。
「取り敢えず、補聴器をつけてみましょうか」
返事をするまでもなく、そういうと奥に入って行ってしまった。
彼女が奥から出てきた時、会釈しながら「もう少しお待ち下さいね」と。
その瞬間を捉えて、
「あのう、ちょっとよろしいですか。きょうはお金も準備していませんし・・・」
「テストにはお金はかかりません。」にこやかに応える。
「きょうはそこまで用事があったので、この店を思い出してたずねてみようかと寄った次第です。
補聴器はつけないと行けない状態なのか、付けるとすればいくら位かかるのだろうかと・・・」
「ああ、そうですね」と言って、カタログを取り出した。
最高クラスは100万を超えるという。
私の場合は両耳用で36万円のクラスで十分だろうと言われた。
「ありがとうございました。補聴器の世話になると決めたら貴女にお願いに来ますよ。その時には、よろしくお願いします。
住所などを聞かれ、彼女の名刺と例のカタログをいただき店を出た。
時計をみると17時半を回っていた。
一ヶ月ほどして、彼女から流麗な文字で挨拶状が来た。
一年半前の耳鼻科でも、この店でも「不自由ですか?」と怪訝な顔で念を押された。
日常生活には意識することはないのだが、テレビを見る時、居酒屋でf談笑している時、聞き取れないことが多いのである。
「未だ、大丈夫か」と思案することはやめた。
ここまで来たんだ、栄町市場に寄ってみるか、と帰りのバスの方向とは逆の方向へ踵を返した。
ここから栄町までゆったり歩いて10分少々である。
10数年前まで、この辺りもよく来たものだと懐かしくあちこち眺めながら歩いた。
安里交差点の国道330号線のガードをくぐると栄町市場の入り口である。
通ったというほどのことはない。
10年ほど前に東京から来て那覇に住んでいる、所謂、「ヤマトンチュー」から連れられて行った飲食街である。
昔懐かしい雰囲気の地元の飾りっ気のない風を受けながら、寛いだひと時を過ごしたものだ。
目的は「AKATUKI]である。、看板などない。
暖簾や明かりのついたスタンドが雑多に並ぶ路地を左に、右に回りながらやっとお辿り着いた。
入り口が幾らもある。
入り組んだ路地は覺えるのが難儀だ。いつまで経っても道筋を覚えられない。
6時を少しまわっていた。
鍵型のカウンターに背もたれのない厚い木製のベンチが並んでいる。
「こんばんは!」
2,3人の初老の男客がグラスを前にしていた。
「やあ!久し振り!」愛想のいいマスターがニコッと笑う。
「ひとり?」
いつもは本土の大手家具メーカーの所長N氏と一緒だから、怪訝そうに辺りを見ながらそう云った。
「最近は家具の売れ行きが良さそうで、毎日遅くなって大変そうですよ」
先ず、テーブルチャージ200円をカウンターに置く。
N氏は、先ず、生ビールを飲むが、私はビールは飲まない。
「泡盛。海人(ウミンチュー)をください」そういって1000円札をカウンターに置く。
ジョッキーに氷を入れ、青い海人のボトルから泡盛を注ぐ。そして、水を少々加える。
「何かつまみを・・・」
4,5枚の透明なナイロン製のメニューが渡される。
「手羽先、美味しい?」
「美味いよ」とマスター。
「手羽先2皿と豚バラの串焼きひと皿」
店は食べ物は出さない。
以前は持ち込み自由だったが、客が買いに行かなくていいようになった。
20分ほどで出前の兄ちゃんが持ってきた。
代金は兄々(にいにい)に直接渡した。
手羽先が5本も入っている。
他の客の相手をしていたマスターが手が空いたのをみて、
「マスター、一皿食べて。こんなには食えないよ」
遠慮勝ちにマスターは一皿を受け取ってくれた。
マスターはビールが好きだ。
「乾杯しようか」と水を向ける。いつものわたしの口上だ。
「ありがとうございます」とグラスを合わせる。
泡盛2杯で限度かなと思ったけど、バーボンが飲みたくなった。
ジャックダニエルを注文する。
味がわかるわけではないけれど、バーボンを飲む時はジャックダニエルと決めている。
先程から、隣りに座った30半ばで色白の賢明そうな顔立ちの好青年が、もぞもぞしている様子が気にかかっていた。
思い切って、青年に顔向ける。
「覚えています?noraさんでしょ?!」
「あっ!沖縄タイムスのスポーツ記者の方でしたよね」
「XYです」
「お顔はよく覚えていますよ。ごめんなさい、若い頃から名前を覺えるのが苦手で・・・」
「あのときは勇気をいただきました」
聡明な顔立ちに、力ある眼差しが眩しかった。
「何を話したのでしょう。うるさかったでしょう」
若い連中と話すときは教訓めいたことは言わないようにしている。
失敗談や後悔したこと等を話すが、相手がこちらに興味を持たない限りは面倒な話はしないことにしている。
偶に、聞き上手に出くわして、別れた後に後悔しきりのことがある。
酔いも少し回ってきていたので、再会を約して店を後にした。
8時半だった。
バス停まで150mくらい。バスが何時に来るかどうかもわからない。
4,5年前、感ずることあって、運転免許証を自主返納した。
その時、バスとモノレール半額の特権をいただいたので、前払いカードOKICAを持っている。
疲れと酔いと、きょうの愉快な一日に背中を押され、
「ええい、ままよ」とバスはあきらめ、タクシーに乗り込んだ。
バス代200円で済むところ、きょうの飲み代と同じくらいの料金を払った。
この日3月26日は、新型コロナウイルスで日本中が騒ぎ始めた頃である。
この日以来、飲み屋や食事には一切出掛けてない。
蓑虫のように、変哲もない部屋で過ごして2ヶ月が過ぎた。
未だ、当分はコロナウイルスは落ち着かないだろう。
沖縄県では3週間以上、感染者が出ていない。
県知事も平身低頭、
「医療が脆弱な県です・今しばらく、県外からのお越しはご遠慮ください」
と、事ある毎にお願いしている。
観光立県の沖縄としては身勝手ともとれるお願いであるが、県知事の胸中如何ばかりか、とご推察いただきたい。
コロナウイルス騒動が一段落したら、沖縄においでの際は、観光では味わえない沖縄を体験してほしい。。
7年前、ブログを書いた。こちら。
参考にされたい。
モノレールは安里(あさと)駅で下車。
モノレールを下りて、道路を反対側に渡れば、その辺一帯が栄町市場である。
人伝に探すのは難しいのでマスターに電話するといい。
マスターの携帯電話は 090-9786-9995。
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思い当たることがあった。
一週間経った送信や受信は殆ど消去してしまう。
電話のあった4,5日前のこと、消去する際に何か文字が出てきたけれど、確認もせずにOKボタンを押してしまった。
「通話略歴から削除する」ボタンと隣り合わせに「着信拒否番号として登録する」というボタンがある。
あの時、チラッとみえた文字がそうでなかったかと気にはなっていた。
早速、DOCOMO SHOPに問い合わせた。
店に行かないと、着信拒否番号を通常に戻すことはできないという。
頻繁に連絡取り合う仲である。
猶予は出来ないので店に向かった。
別に不自由もなかったガラケイからスマートフォンに替えたことを後悔した。
店は空いていて、10分ほどで終わった。
国道58号線を横切って、反対側のバス停に立った。
5分と待つことなく那覇行きのバスが来た。
58号線は沖縄本島の主要道路である。
那覇から宜野湾市までは多くの系統のバスが58号線を通る。
那覇に赴任した当時、「58号線沿いに部屋を借りなさい」と言われたことがある。
バスに乗ってから、天気も良いし、補聴器のことを調べようと思い立ち、このまま那覇の補聴器の店に行くことににした。
30分ほどで目的地の崇元寺に着いた。
補聴器の店は崇元寺バス停前である。
見慣れた崇元寺石門の前に立った。
約束があるわけでもなし、天気も良いので崇元寺を見てみようとい気になった。
崇元寺石門。門を入ったところ内側から門外に向かって写してみた。
バス通りから路地を入ったところに通路がある。
周囲を見ながら、崇元寺の看板をみつけた。
中はガランとしていて広い空き地があるだけだ。
沖縄戦で消失した後、一時、図書館が建てられていたらしいが今はない。
公園の隅には巨大なガジュマルが際立っていた。
正門・石門のところにも大きなガジュマルがあった。
枝から下りてきた気根が歴史を語っているようだった。気根が凄い。
崇元寺は正式には霊徳寺崇元寺という臨済宗の寺院だったらしい。
創建は諸説あるが、1527年創建が有力視されていて、那覇市文化財課に問い合わせると1527年と、一応決めているという。参考までに。
通常は「そうげんじ」と読むが、地元では「すーぎーじ」と発音する。
沖縄方言は母音が3つだと数年前のブログで書いた。
ローマ字表記にすると、「E」は「I」になり、「O」は「U」になる。
「SOーGENJI」ー「SU-GINJI」ー「SU-GIーJI」。これだけ覚えておくと沖縄方言は80%理解できる。
因みに、米軍は「たかもとじ」と呼んだらしい。「そうげんじ」では発音し辛かったのだろう。
崇元寺については那覇市での私の生活圏内にあったが、訪れたこともなく、全く知識がなかった。
足を踏み入れたのも今回が初めてという体たらくである。
崇元寺は那覇市泊(とまり)にある。
モノレールなら美栄橋駅又はか牧志駅から徒歩10分程度。
国際通りからならバスが便利だ。
バスは本島中・北部行きが頻繁に通るので、事前に調べて行くといい。
施設は開放され、崇元寺公園となっているから自由に出入りできる。
観るべきものは何もないので、事前に学習して行かないとがっかりするかもしれない。
詳しい記事を見つけたので、興味ある方は参考にされたい。<ここをクリック>
崇元寺前の補聴器屋に寄った。
応対に出たのが20代半ばの如何にも頭の良さそうな、キリッとした品のいい娘だった。
「最近、聞き取り辛くなってね。調べていただけますか?」と切り出した。
「一年半ほど前に耳鼻科で診てもらったら、『大して悪くはないですが、補聴器試してみますか。
テストで一週間ほど着けて、何度か繰り返して調整します。それから決めればいいでしょう』と言われ、テストしてみることにしました。
補聴器を預かり、装着してみると周囲の雑音がうるさいのに驚きました。調整してみるけれど不快です。
一週間を待たずに、テストを辞めたいと申し出ました」
説明をするのは面倒だったが、簡単に話した。
「そうですね、調整が大切です。数ヶ月はかかりますよ。取り敢えず、どれくらい聞こえるかどうかだけでも調べてみましょう」
準備で20分ほど待たされて始まった検査は、一年前受けたのと同じようなものだった。
検査結果は一年前と同じだった。
「高音が聞きづらくなっていますね」 グラフをみると、健常者の80%とあった。
「取り敢えず、補聴器をつけてみましょうか」
返事をするまでもなく、そういうと奥に入って行ってしまった。
彼女が奥から出てきた時、会釈しながら「もう少しお待ち下さいね」と。
その瞬間を捉えて、
「あのう、ちょっとよろしいですか。きょうはお金も準備していませんし・・・」
「テストにはお金はかかりません。」にこやかに応える。
「きょうはそこまで用事があったので、この店を思い出してたずねてみようかと寄った次第です。
補聴器はつけないと行けない状態なのか、付けるとすればいくら位かかるのだろうかと・・・」
「ああ、そうですね」と言って、カタログを取り出した。
最高クラスは100万を超えるという。
私の場合は両耳用で36万円のクラスで十分だろうと言われた。
「ありがとうございました。補聴器の世話になると決めたら貴女にお願いに来ますよ。その時には、よろしくお願いします。
住所などを聞かれ、彼女の名刺と例のカタログをいただき店を出た。
時計をみると17時半を回っていた。
一ヶ月ほどして、彼女から流麗な文字で挨拶状が来た。
一年半前の耳鼻科でも、この店でも「不自由ですか?」と怪訝な顔で念を押された。
日常生活には意識することはないのだが、テレビを見る時、居酒屋でf談笑している時、聞き取れないことが多いのである。
「未だ、大丈夫か」と思案することはやめた。
ここまで来たんだ、栄町市場に寄ってみるか、と帰りのバスの方向とは逆の方向へ踵を返した。
ここから栄町までゆったり歩いて10分少々である。
10数年前まで、この辺りもよく来たものだと懐かしくあちこち眺めながら歩いた。
安里交差点の国道330号線のガードをくぐると栄町市場の入り口である。
通ったというほどのことはない。
10年ほど前に東京から来て那覇に住んでいる、所謂、「ヤマトンチュー」から連れられて行った飲食街である。
昔懐かしい雰囲気の地元の飾りっ気のない風を受けながら、寛いだひと時を過ごしたものだ。
目的は「AKATUKI]である。、看板などない。
暖簾や明かりのついたスタンドが雑多に並ぶ路地を左に、右に回りながらやっとお辿り着いた。
入り口が幾らもある。
入り組んだ路地は覺えるのが難儀だ。いつまで経っても道筋を覚えられない。
6時を少しまわっていた。
鍵型のカウンターに背もたれのない厚い木製のベンチが並んでいる。
「こんばんは!」
2,3人の初老の男客がグラスを前にしていた。
「やあ!久し振り!」愛想のいいマスターがニコッと笑う。
「ひとり?」
いつもは本土の大手家具メーカーの所長N氏と一緒だから、怪訝そうに辺りを見ながらそう云った。
「最近は家具の売れ行きが良さそうで、毎日遅くなって大変そうですよ」
先ず、テーブルチャージ200円をカウンターに置く。
N氏は、先ず、生ビールを飲むが、私はビールは飲まない。
「泡盛。海人(ウミンチュー)をください」そういって1000円札をカウンターに置く。
ジョッキーに氷を入れ、青い海人のボトルから泡盛を注ぐ。そして、水を少々加える。
「何かつまみを・・・」
4,5枚の透明なナイロン製のメニューが渡される。
「手羽先、美味しい?」
「美味いよ」とマスター。
「手羽先2皿と豚バラの串焼きひと皿」
店は食べ物は出さない。
以前は持ち込み自由だったが、客が買いに行かなくていいようになった。
20分ほどで出前の兄ちゃんが持ってきた。
代金は兄々(にいにい)に直接渡した。
手羽先が5本も入っている。
他の客の相手をしていたマスターが手が空いたのをみて、
「マスター、一皿食べて。こんなには食えないよ」
遠慮勝ちにマスターは一皿を受け取ってくれた。
マスターはビールが好きだ。
「乾杯しようか」と水を向ける。いつものわたしの口上だ。
「ありがとうございます」とグラスを合わせる。
泡盛2杯で限度かなと思ったけど、バーボンが飲みたくなった。
ジャックダニエルを注文する。
味がわかるわけではないけれど、バーボンを飲む時はジャックダニエルと決めている。
先程から、隣りに座った30半ばで色白の賢明そうな顔立ちの好青年が、もぞもぞしている様子が気にかかっていた。
思い切って、青年に顔向ける。
「覚えています?noraさんでしょ?!」
「あっ!沖縄タイムスのスポーツ記者の方でしたよね」
「XYです」
「お顔はよく覚えていますよ。ごめんなさい、若い頃から名前を覺えるのが苦手で・・・」
「あのときは勇気をいただきました」
聡明な顔立ちに、力ある眼差しが眩しかった。
「何を話したのでしょう。うるさかったでしょう」
若い連中と話すときは教訓めいたことは言わないようにしている。
失敗談や後悔したこと等を話すが、相手がこちらに興味を持たない限りは面倒な話はしないことにしている。
偶に、聞き上手に出くわして、別れた後に後悔しきりのことがある。
酔いも少し回ってきていたので、再会を約して店を後にした。
8時半だった。
バス停まで150mくらい。バスが何時に来るかどうかもわからない。
4,5年前、感ずることあって、運転免許証を自主返納した。
その時、バスとモノレール半額の特権をいただいたので、前払いカードOKICAを持っている。
疲れと酔いと、きょうの愉快な一日に背中を押され、
「ええい、ままよ」とバスはあきらめ、タクシーに乗り込んだ。
バス代200円で済むところ、きょうの飲み代と同じくらいの料金を払った。
この日3月26日は、新型コロナウイルスで日本中が騒ぎ始めた頃である。
この日以来、飲み屋や食事には一切出掛けてない。
蓑虫のように、変哲もない部屋で過ごして2ヶ月が過ぎた。
未だ、当分はコロナウイルスは落ち着かないだろう。
沖縄県では3週間以上、感染者が出ていない。
県知事も平身低頭、
「医療が脆弱な県です・今しばらく、県外からのお越しはご遠慮ください」
と、事ある毎にお願いしている。
観光立県の沖縄としては身勝手ともとれるお願いであるが、県知事の胸中如何ばかりか、とご推察いただきたい。
コロナウイルス騒動が一段落したら、沖縄においでの際は、観光では味わえない沖縄を体験してほしい。。
7年前、ブログを書いた。こちら。
参考にされたい。
モノレールは安里(あさと)駅で下車。
モノレールを下りて、道路を反対側に渡れば、その辺一帯が栄町市場である。
人伝に探すのは難しいのでマスターに電話するといい。
マスターの携帯電話は 090-9786-9995。
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