あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の梅雨明け~6月27日梅雨明け宣言~

2009年06月28日 16時00分14秒 | Weblog
那覇軍港。
この写真の向うに那覇空港がある。
アジアで何かが始まると米軍用車輌で岸壁はいっぱいになる。
最近は、そんな風景も見なくなった。



 今年は旧暦の閏年。5月が2回あることに気付かなかったと先日のブログに記した。
「糸滿ハーリーが来れば梅雨が明ける」との言い伝えがあることは前にも触れた。
糸滿ハーリーは旧暦5月4日に行われる。
今年は一回目の旧暦5月4日の先月5月27日に行われた。
6月27日も旧暦2回目の5月4日。丁度、昨日、沖縄は梅雨明け宣言をした。
糸滿ハーリーは早くやりすぎたのではないのか?-独り言ー

 例年、せみの鳴き声で目を覚ますのだが今年はせみの声を聞かない。
モンシロチョウを全く見なくなった。
スズメの姿も少なくなった。
ツバメは沖縄にはいないのかな?見たことない。
どうしたのかな。
夏を感じるのは目もくらむような白い雲と青い空だけだ。

 先日、潮の引いた海岸を散策した。
最初に米軍が上陸したという読谷のとある海岸である。
岩が未だ水に濡れていて、しばらく散策を楽しんだ。
潮たまりには、波に乗り遅れたのか、目の覚めるようなマリンブルーの熱帯魚がたくさん泳いでいた。
熱帯魚屋で売っている青色のめだかのような奴だ。
よく見るとまだ数種の魚がいた。

 きょうの天気は沖縄の夏だ。
日に当たると暑いが、日陰に入ると涼しい。
風が吹くからだ。
31℃ということだが冷房は付けていない。
窓という窓を開け放しているので、快い風が通り抜けていく。

 県外から見える皆さんにアドバイス。
日傘やつば広の帽子は外出のときは必ず用意しよう。
クリームなど塗って、炎天下の砂浜で背干などしないこと。シミが取れなくなる。
ゴルフをする人には長袖をおすすめ。お年を召した方、疲れが違いますぞ!

 いまからがほんものの「おきなわ」。
青い海が、蒼い空がとても素敵な「おきなわ」だ。


沖縄のバス風景~沖縄だけの風景ではない~みんなが他人事

2009年06月27日 13時29分41秒 | Weblog
写真は今帰仁村役場から車で5分程度のところにあるホテルベルモア東洋。以前ブログに記事を書いたことのあるホテル。社長はナイチヤー所謂県外人であるが、沖縄に住み着いて20数年、終に自力で成功し、ホテルを経営するまでになった傑物。頭の切れる男だが腰が低い。そうしたところが現地の人に認められたのだろう。安いが清潔なホテル。贅肉を切り取ったところが良い。おせっかいなサービスは全くなし。検索したら格好なページがあったので詳しくはこちらで。http://hotel.okitour.net/hotel-syousai2/?NUM=2998 


 20数年前、着任したばかりの頃の沖縄の印象は強烈だった。
一番驚いたのは男性優位の社会である事。
女性が健気にそんな横暴?な男性によく尽くすことだ。生活もたくましい。よく働く。
最後の大和撫子が残る地、とよく言ったものだ。
高校生も中学生も学生らしい清楚な身なりに好感がもてた。
沖縄の女性と子供たちは凄いと自分のことのように誇らしげに語ったものだ。

 そう、きのうブログに記した車内風景は20数年前、沖縄に来た頃の本土のある街の風景でもあった。
ある街と云ったのは、ひとつふたつの地方を見て、それがまるで全国的であるという言い方は嫌いだからである。

 何故、沖縄までそうなったのか。
いい事も悪い事もテレビなどの発達で普遍化してしまっているのだ。
大人たちが悪い。見て見ぬ振りをする。
誰だって嫌な事には拘わりあいたくない。
 しかし、このバスには関係者も乗っているだろう。
他人ではない、自分の学園の関係者もいるだろう。
そうした大人たちが悪い。
自分は立つことはない。
「席を譲ってあげろ」
とまでは云わないが、
「席の荷物をとって」
そういって、どんなに近距離でも座る。

この日も
「ぼくたち、バスはみんなのものだ。席を少し空けたら」
何度も立って行って云おうかと思ったがやめた。
立ってつり革にぶら下がっている学生たちや大人たちに対して腹が立ってきたからだ。
馬鹿らしくなってやめた。

 バスを降りて、この子達のためにも言うべきだったと反省しきり。
この子達は今から育って行くんだから。

しつけ、躾という美しい文字は日本の言葉から消えてしまっている。
 

沖縄でのバス風景~これでいいのか子供のしつけ~席を譲らぬ子供・注意もしない大人

2009年06月26日 17時23分28秒 | Weblog
現在はピザハウスというレストランになっているが数十年前はアメリカ領事館であった。
 建物をそのまま使っているため、アメリカの匂いと雰囲気がある。
那覇から車で15分~20分くらい。浦添市内に入り、58号線を米軍基地の金網に沿って走り、金網が終わったところである。バスでも良い。「城間(グスクマ)」で降りる。「城間交差点」、左手にあるからすぐ判る。値段は手ごろ。

 沖縄に20年以上もいると沖縄だけの現象なのか、時代の流れなのか分からないことが多い。
 県内にある有名大学病院の帰り、夕方のバスに乗ったときのことである。
乗り込むと運よくひとり掛けの席が空いていた。これから那覇まで小一時間かかる。
 しばらくして、落ち着いて車内を振り返り見渡すと小学生がたくさん乗っていて賑やかだった。身なりもきちっとしているところを見ると名のある学校だなと思った。
奇妙な光景に気付いた。
皆、二人席を一人で占有しているのである。
反対側の席にいる男の子はランドセルや手に持っているスケッチブックの類であろうか、それらを窓側に置いて、だれもこの席は座らせないぞとばかり、ひとり悠然と座っているのである。その後ろの女の子も同じような態度だ。
 2,3のバス停を過ぎた頃、短大の女学生がたくさん乗り込んできた。
ひとりで二人席を占領していた小学生たちは微動だにしない。席を空けようとの素振りもみせない。時折、上目遣いにつり革にぶら下がっている女子学生を見上げる。無表情で、無関心な陰気な視線である。
 車内は多少混んで来て、10人余りがつり革に身を任せている。
教員らしい50代の男性も、2人席を一人で占有してがんばっている。
出来るだけ目線を立っている人と合わせない様に。

  そうだ、このバスは大学のキャンパスを出て、付属病院に寄ったということに気がついた。そうすると、学童たちは大学の付属小学校だろう。
ひとりで居座った子供らは動かない。
女子学生もそれが当たり前のように不満そうでもない。
その内、数人の男子学生が乗り込んできた。
彼らに期待した。
「バスの席はそのように使うのではないよ」
あるいは、
「子供がなんてざまだ!」
くらいの迫力を期待した。
しかし、彼らにはそんな風景は関係ないと素知らぬ顔である。
 途中、歯が抜けるように、三々五々、小学生は降りていった。
このバスは、首里の街を通って那覇市内に入る。

 首里の人たちには王家と共に住んでいたと言う誇りを持っているという。
「どちらの方ですか」
とたずねると
「首里です」
と応える。那覇とはいわない。着任当時は、首里という別の街があるのかと錯覚したくらいである。
 そういう恵まれた家庭の子弟が通っているのだろう。
一緒に降り立った中学生の女の子に
「大学の付属小学校の子?」
とたずねると
「そうだ」
という。

 6月23日「慰霊の日」を挟んで、テレビは頻りに沖縄戦を題材にした記録映画やイベントを流し、
「戦争を語ることで、平和の大事さ、命の大切さを後世に伝えねばならない」
と訴える。
 きょう昼間見た子等が伝えゆくのだろうか。
誰一人、子供らに注意もしない大人たちがどう伝えようというのか。
ひとの痛みがわからない人間が、見てみぬ振りが出来る人間が、思いやりややさしさがわかるのだろうか。

 沖縄で見た現実ではあるが、ひとり沖縄だけの問題とは思えない。
日本中、同じではないのか。


沖縄の終戦~6月23日は休日~糸滿ハーリーは終わってました。すみません!

2009年06月17日 19時24分15秒 | Weblog
写真は那覇市にある海軍壕跡に近年造られた公園である。
那覇市の一部が眼下に見下ろせる高台にある。
壕と言えば、小さな祠を想い出すだろうが、、この壕は大きく、壕内には司令室等目的別のたくさんの部屋がある。必見に値する。


 6月23日、この日を以って沖縄戦は終わった。
沖縄のほんとうの終戦の日である。沖縄県では慰霊の日として休日だ。

 大失敗した。糸滿ハーリーは終わっていた。
ブログをみて「糸滿ハーリー」を楽しみにしている人には申し訳ない。糸滿ハーリーは先月27日に終わっていた。
 恥ずかしながら、事の顛末を記してお詫びしたい。
6月23日の慰霊の日のことに触れようとカレンダーをみた。
沖縄県内用のカレンダなのに、6月のどこにも糸滿ハーリーの記載がない。
糸滿ハーリーは旧暦5月4日行われる事になっているから、旧暦5月4日は6月27日になる。あれ?6月24日とインターネットでみたけどなあ。
早速、インターネットで検索してみるが、どれも開催日が違う。
よくみると、2002年や2005年や年が違うのだ。
沖縄観光コンベンションビューローに電話するが18時を過ぎていたので留守番電話。
コンベンションビューローのホームページを見るが6月の行事にない。
まさか、5月だったと未だ気付かない。
「今年はやらないのか」
くらいにしか思ってない。
もしや、駄目もとで糸満市役所(海人課=ウミンチューカ)にダイヤルする。
「糸満市役所ウミンチューカです」
まだいた。
がんばっているんだ、面倒臭がって電話は時間外には取らないものだが、直ぐに男性が出た。
「糸滿ハーリーは何時ですか?」
「もう終わりましたよ。5月27日です」
「えっ?糸滿ハーリーは旧暦5月4日でしょう」
「今年は閏年で5月が2回あります。先月の5月27日は旧暦5月4日に当たります」

 参った。閏年まで考えなかった。
新暦は旧暦とほぼ一ヶ月の差がある。それで6月24日の記事を見て確認もしなかった。
大体、糸滿ハーリーは6月10日前後だった気がするがなあと感じたがインターネットの記事を信じてしまった。
今年が閏年なら、きっと昨年の記事を見たのだろう。

 このブログを書いている最中に件の「那覇マラソン」初回から完走しているO氏から電話が入った。
「糸滿ハーリー終わってるよ!?」
「いや、一時間位前に気付いたんだ。恥ずかしいよ」
「恥ずかしいねえ」
でも、何で同じ日に、同じ頃に気付くのか。
「もっと早く読んでくれてたら修正も出来たのに」
と、責任転嫁?した。

 文章に残すのに手間がかかる。
特に、事実と間違っていないかと気に掛かる。
まあ、ある程度まで許されるか、と先日、周囲の人たちが「ひるがお」というからそのまま「ひるがお」と書いた。これも気に掛かっていた。
今までは出来るだけ調べて書いた。
「ブログは日記だよ。そんなに気を使わなくてもいいんじゃない」
と言う人がいて、合点した。調べ始めたらずいぶんと時間を食ってしまう。
まあ、いいか。地元の人がそう呼んでいるんだからと「ひるがお」と書いた矢先の出来事。
いろいろ間違いはあるが、行事の日取りを間違えるのは甚だ良くない。

歳の所為にしたくなる今日この頃です。

梅雨明けもそろそろ終わり~糸滿ハーリーまであと10日~ハブの話

2009年06月15日 09時44分39秒 | Weblog
川は58号円から100mほど離れたところに流れている。
沖縄に川はあまり馴染まない。きっとハブのイメージが強いからであろう。
ハブは夏は涼しいところを好むと言う。水辺や草むら、時には木の上にもいるらしい。
また、冬は暖かな場所を好む。石垣の隙間にもぐりこんでくるまっている姿を何度も見かけた。
在住29年を越すが、石垣にくるまっているハブ以外、一度もみたことはない。
ゴルフにもよく行ったが一度もない。

 一週間あまり、梅雨の中休みで好天気が続いた。
雨模様になって4,5日になる。大雨注意報も出るし、がけ崩れの注意報も出た。
いよいよ梅雨の末期症状だ、この分だと遅くとも7月1週までには確実に梅雨明けと思う。糸滿ハーリーと同じ日に梅雨明けにあなるかもしれない。
今年も、ヤンバルでは「いじゅう」の樹が真っ白な花を枝一杯につけていることだろう。

 ハブは自ら攻撃しないと言う。
木上から攻撃されても、地上から攻撃されても、先頭の人がやられることは少ないらしい。危ないのは2番目、3番目に歩いている人。
静かに眠っている木陰や草むらで人間が、突然、驚かせるのが一番いけないこという。
沖縄の人はハブのいるところ、いそうなところを実によく見分ける。
同じような環境だと思うのだが、
「そこは大丈夫」
だとか、
「そこに入ったらはあぶないよ」
と迷うなことなく、きっぱりという。
羽地内海そばで、カヤックやトリッキングをやっている「イキワクウエルネス社」の井黒さんもナイチヤーだが同じだ。

最近はハブを忘れて生活している。

沖縄の季節~梅雨の中休みも終わりか~もうすぐ糸滿ハーリー

2009年06月10日 17時33分54秒 | Weblog
 沖縄の地に赴任を命ぜられ、降り立った1986年10月の初めだった。
空港近くの基地の金網や路傍にたくさん咲いていた。秋も半ばなのに、まだ朝顔が咲いているという驚きと花の素朴な感じが印象的だった。
この花の名は知らないが土地の人は「ひるがお」という。
年中咲いているので珍しくもないが、よく観ると清楚でかわいい。
この季節が特に美しく見えるのは気の所為かな?

 梅雨の中休みが1週間ほどあった。今日までだと言う晴れ模様。
明日からは雲と傘マークが途切れることなく予報に出ていた。
 先日のテレビ報道では、沖縄のダムの水位が下がっていると心配していた。
県民の命の水、ダムはすべて北部にある。いわゆるヤンバル(山原)地方にある。
テレビを観ながら友人が、
「南部に降らなくて北部に降ればいいのにねえ」
と誰かが云ったそうな。
「何よ、水を使っているのは南部でしょう。そんなところの人のために、私たちだけが難儀しなければいけないのよ!」
と怒りあらわにして抗議をしたそうだ。
なるほどねと納得する。
県民の大半は恩納村以南のうるま市、沖縄市、宜野湾市、浦添市、那覇市、豊見城市、糸満市の本島中南部に住んでいるのだ。

 沖縄に着任した頃、
「台風が沖縄に近づいているのに、NHKもどのテレビも放送さへもしない」
と憤慨するウチナンチューをよく目にした。
そういえばそうだと、言われて初めて気付いたものだ。
「台風が沖縄に上陸してもちょっと触れるだけ。ところが、台風が本土に向かうかもしれないと予報が出ると、大きなニュースとして取り上げ、大騒ぎする」
これは差別だと言うのである。特に、NHKでもローカルニュースで取り上げるだけ。そのNHKが本土に近づくとなると大騒ぎする。ニュースの時間毎に何日も前か大きく取り上げる。
「これじゃ怒るわ」と一緒になってNHKの理不尽さを批判したものだ。

 それから2,3年後、東北の福島県に仕事で1年ほど通っていたときの話である。
仕事を終え、仲間たちと一杯やっているとき、話題が「台風報道」の話になった。
沖縄県民の憤慨をを代弁した。
「いやあ、NHKはとぼけてるよ」
と普段おとなしい仙台生まれのS君が気色ばんで叫んだ。
「だよなあ」
S君曰く、
「先日、台風が東京で吹き荒れていて、その後、仙台に向かった。
そうしたら、NHKは”台風は無事通過しました”って云っているんだ。仙台は暴風圏内で吹き荒れているんだよ。みんな怒ったよ」

 沖縄の人たちにこのことを例に挙げてよく話をする。
沖縄への差別ではなく、中央にいる連中の地方蔑視だと。
 ナイチヤーが云っている事がすべて日本の常識ではないことも話題にする。
地方により、風習も違えば言葉も違う。
「沖縄ではこんなにするのか。それはおかしいよ」
というヤマトンチュー(本土の人間)が多い。己の知識や経験が日本の常識だと思っている。その場に自分が居合わせれば、
「あなたはどこの方?どこからみえたの?}
と訊くことから始める。
「それはあなの地方のことでしょう。わたしの地方ではこうですよ」
と。
 自分もよく失敗するが、訪ねた先への配慮をするのがマナーだ。
「沖縄ではそういう風にやるのか。私の地方ではーーーー」
とひと言付け加えれば、いたずらにウチナンチューの誤解を招く事はない。聞いていても心地良いものだ。

というわたしも、よくミスってしまう。

沖縄での出来事~またまた不愉快な思いをさせた~人生後悔ばかり

2009年06月04日 20時25分35秒 | Weblog
羽地内海の小さな島の風景。本島と屋我地島を結ぶ屋我地大橋から撮影した。
陸続きのようであるがレッキとした島である。
屋我地大橋を渡り、車で7,8分のところに、屋我地島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋がある。
屋我地大橋も古宇利大橋も徒歩で渡ることを奨める。往復歩くとなお良い。
日頃、歩き慣れてない人には億劫かもしれないが、歩いて、決して損はしない。「旅」の醍醐味は歩きにあり。(写真はクリックすると大きくなる)


 いつもブログに書いている浦添の居酒屋でのこと。
その夜は、宵から飲み始め、陽が落ちる頃には少々酒も入っていた。
友人の小佐野(本名ではないが風貌から私が名付けたニックネーム。但し、私以外は知らない)が、入り口で会ったとか、いつも二人連れでくる女性と一緒に入って来た。彼も少々酒が入っているらしかった。
彼女は連れの男性が来るのを待っているのか、左側に2つ3つ席を空けてカウンターに座った。右隣には件の小佐野氏。
 店の客は皆顔馴染み。早速、小佐野氏はそれぞれの先客に杯を挙げ、話し始めた。
その夜は気分があまり良くなかった。早々に、カラオケで憂さ晴らしと下手な唄に興じていた。
そのときである。
小佐野が右隣から、2つ3つ左のカウンターにいる彼女に向かって大声で話しかけ、何事か話し始めた。
カラオケの音量を超えて、離れた人に話しかけるのだから、怒鳴るようなものだ。
カラオケは聞こえない。唄どころではない。
「いつもこうなんだあんたは!」
感情が昂ぶるままに怒鳴ってしまった。
「あんたが話しかけるから悪いんだ」
バツが悪くなったとみえ、小佐野は頻りに彼女の所為にする。
何度も何度も。
「彼女は関係ない!」
むしゃくしゃしてきた。勘定を済ませて席を立った。
「もう帰るの?」
と何事もなかったような顔でいう。
小佐野の悪いくせで、よく注意したものだが一向に改めない。
「おもしろくないから帰る!」
少々大人気ないな、と気に掛かりつつも店を後にした。

 数日後、
「優子ちゃんは今日は来ないの?」
といつものように、いつもの変わらない問いをママにした。
「あの日から見えない。怒っていたからー」
「えっ?俺何かやったかな?」
「私が話しかけた所為にされた、とひどく怒っていたから」

数日後、
「やはり来ない?」
「来ない」
これには参った。
そこまで深慮できなかった。
彼女が話しかけた訳でもなく、彼女は一声も発してない。
しかし、小佐野が彼女の所為にしているとき、
「あなたは関係ないよ」
と一声かけることくらいしておくべきだった。
「あなたではない。憤慨しているのは自分の所為にされたこと。それも何度も何度もー」

 そんな常連のいる店には誰だって行きたくない。
直ぐ、怒って帰る客。
いとも簡単に人の所為に出来る客。

 彼女のささやかな楽しみを奪ってしまった。
配慮だとか、マナーだとか、品位だとか、したり顔で話す己が恥ずかしい。

 小さな出来事かもしれないが、一生忘れられない恥部となってしまった。
願わくは、あのさわやかなカップルがいつものようにカウンターで談笑する姿をみることが出来ればと願うばかりである。
相手だけでなく、周囲の影響も考えねばならない。人の集まるところでは当然のことであるが、今の社会はそうした配慮が全くないと痛烈に批判してきた己が恥ずかしい。

 そういえば、彼女も彼女の連れもそうした気配り抜群のカップルである。