総義歯臨床、教育に邁進しなければいけない、時代が私の予想よりも早く、私の帰還を望んでいるようです。
河原先生のご講演は、とても素晴らしいものでした。
リンガライズドオクルージョン全盛と言っても差し支えない現在の総義歯臨床の中、敢えて従来型のフルバランスオクルージョンを復活させるべきだ、と明確に主張されました。
私も全く同意見です。
河原先生のお話の中で村岡息子さん先生が講演内で、リンガライズドがフルバランスに時間経過の中で成っていた、とさり気なく触れていた、と紹介されていました。
この事は、つまり最終的に総義歯の到る、安定する咬合様式はフルバランスである、と示唆しているんだよ、と言う事だと思います。
りんごの丸かじりが出来る、と言う映像を何度も何度も見せて下さり、しかも、抱えられるようにして治療に来ていた患者さんが、総義歯治療を経て自力でしっかりと歩ける状態にまで回復してくれる映像も繰り返し繰り返し見せて下さいました。
これは、私自身がかつて経験した、総義歯に嵌るきっかけになった患者さんの実例と全く同じです。
私の経験は、まだ20代の師匠の下で勤務医に勤しんでいた頃、娘さんとお嫁さんに両脇を支えられ、ようやくユニットに座れる、と言う状態の老婦人のお話です。
その方は、ご紹介で師匠に総義歯治療をして貰いたくて来院されたのでした。
初診では、私は大変な患者さんが来たなーと師匠がどう治すのだろうか、と興味津々で伺っていました。
それを何を思ったのか、師匠は色々と患者さん、娘さん、お嫁さんとお話しをした後、松元先生、と私を呼ばれたのでした。
何だろうと思って行くと、師匠がいきなり、松元先生はとても優秀な先生で、若くて情熱があって一所懸命に治して下さいますから、と任せるからと言って院長室に入ってしまわれたのです。
えーーーっと、ビックリ仰天してしまいました。
聞いてないよーーー、です。
見るからにとてつもなく難しそうな患者さんです。
なのに、何を勘違いしたのか、その老婦人、娘さん、お嫁さん、皆宜しくお願い致します、と頭を下げられるのです。
断れません、これじゃ。
仕方がなく、私は口腔内を拝見させていただきましたが、これ又難しい。
何処の歯医者に行っても解決して貰えなかった、と言うのが納得の顎提状態でした。
特に酷かったのが下顎。
ぺったんこ、で何もないんです。
パノラマレントゲン写真見てもない。
どうしろってんだ、私は横目で院長室を見ましたが、院長の姿は見えません。
持っていらした入歯を見ても、形が悪くてこれじゃ噛めないでしょうね、と言うものでした。
止むを得ず、その中でもこれはマシかな、と言う形のものを選び、いつものように義歯を改良することを始めました。
その頃はそうするのが常套手段だったからです。
とにかく痛がらせないように、形を削り、盛り上げ、整え歯並びを整えました。
その上で、上顎の歯並びも整え、下顎の総入歯をそっと支えながら噛ませて行って、咬合の安定しそうな位置で噛み合わせを造るようにしました。
そうした上で、T-コンデを盛り上げてキュッと噛ませました。
外して見ると、案の定、当りが著しく偏っています。
なので、それを補正するようにして噛ませながら治して、それなりに入れられるようにして返しました。
しかし、これはほんの入り口で、ここからスタートして、仮義歯、本義歯と治療を進めて、最終的には自費の良い総義歯を入れて下さいました。
患者さんは、何とか、付いて来て下さり、娘さん、お嫁さんも健気にお婆ちゃんを支えながら通って下さいました。
4ヶ月位経って最終義歯を装着出来、患者さんは痛くなく噛める、具合がとっても良い、見栄えも良い人口歯、確かツルーバイトと言う外国製のものでしたが、非常に満足いただけたのでした。
そして、その翌日、装着24時間後の調整で患者さんが来られました。
そしたら、患者さんは一人でゆっくりと杖をついてですが歩いて入って来られ、ユニットに腰掛けられたのです。
私はビックリして、お婆ちゃん一人で歩けるんですね!と大きな声で言ってしましました。
するとお婆ちゃんは私の手を取り、先生のお陰で痛くなく噛め、足腰もしっかりして歩けるように治りました、と涙を流されて感謝の言葉を言って下さったのです。
患者さんの熱い涙が私の手に落ち、頭を下げている姿に私はジーンと感動してしまいました。
周囲を見回すと、娘さん、お嫁さんもハンカチを出して涙を拭っています。
振り返ると、受付のスタッフもこちらを見ていて、泣いていて涙をしきりに拭き、それでも私と目が合うと、やったねとにっこり微笑んでくれていました。
その情景に、私は照れてしまって、何も言葉を発せずに、動けずにいました。
しばしの感動の時間が過ぎた頃、おもむろに師匠が院長室から出て来て一言、言いました。
松元先生、女を泣かすとは憎いですね。
この言葉で、皆泣きながら笑ってしまって、師匠のニヤッとした顔が空気を和らげ、まあ院長先生ったら、と言う感じで患者さんが言われ、それでは一応調整しましょうね、となりました。
師匠は流石だ、と思い知らされました。
この件で、私は総義歯を生涯の仕事にしよう、この道に賭けよう、と深く深く心に誓いました。
その頃の私は、師匠の真似を必死でやるだけで、何の自信など一つもなく、師匠の言葉通り一所懸命に取り組むだけでした。
それでも、師匠の形、噛み合わせ、手付き、細かい所を一つ一つ徹底的に真似、全力で習得し、技工士の凄腕にも助けられ、こう言う素晴らしい成果を経験することが出来たのです。
こう言う経験を、これからの若い先生方にも積んで欲しい。
それが必ず皆さんの掛買いのない財産と成る事を、私は確約出来ます。
その為には、河原先生の言われるように、全てを持って打ち込んで20人の患者さんを見事に治療する他ない、と思います。
休みの日1日がかりで1人治して行けば、半年で取得出来ます。
後は如何に本気になって取り組めるのか、です。
本気になる事、熱くなる事、一時必死になる事、それ以外に道は開けないのです。
ついでとか、寄り道しながらでは絶対に無理です。
一心不乱に取り組む時には取り組む。
それを出来るか否か。
後は、自分の決心次第です。
もし、私の助力が必要なら、何時でも力になります。
総義歯こそ、今緊急に解決すべき課題。
歯科医よ、今こそ立ち上がろう!