今日はやや難しいお話を書かせていただきます。
似たような話題で何度か触れていますが、生老病死、人の生涯抱える4大苦、特に老に付いての私の考えていること、気持ちを素直に述べます。
私は、いつも思ってしまうのですが、ブッダがこの世にいて下さって、直接悩みを聞いていただけてお教えをいただけたなら、心の悩みも消えて人生が楽になるんじゃないのか、と無理な想像をしたりしています。
病いを得ることは辛いですし、死を迎えることも嫌なことでしょう。
老いて行く我が身を日々感じて将来に希望が見い出せないで命が何処まで続くのか不透明なのにも不安を覚えますし、昨年後半のような大不況では、この世の生業の難しさ、生きることの辛さ、正直に白状してしまうと、腕とその医院の繁栄とは無常なくらい比例しないんだと言う現実で生きることの虚しさ、辛さを感じ、ハー早く楽になりたいなー、何てことまで夢想してしまう精神状況でした。
それと言うのも、実は今日、ある強いサイトの営業マンの方との打ち合わせの話があって、色々な医院とかのお話、成績を上げられている所とかのお話をお聞きして、自分にはそこまでやる気力がないなー、と嘆く面が少なからずあったからです。
私は、宿命、その人間が持って生まれた定め、と言うものがあって、それは変えられないと考えている所があります。
しかし、運命と言うものもあって、人は持って生まれた意志の力、考えで生き方、進む先も決められる、と信じている所もあります。
では、宿命と運命との関係で言えば、宿命は変えられないものではあるが、それを活かして良い方向へ変えて行けるのも、真逆に宿命に支配されて悪い方向へと行ってしまうのも意志の力であり、それによって運命と言う結果が生まれて来る、成功哲学的な考え方ですが、その人の考え方そのものがその人の人生を創る、と信じています。
ですから、これはちょっと調子が良過ぎるんじゃないの?と言うくらいのポジティブな自分への未来予想を常に考えて、それを元に行動する方が人生が明るくて楽しめるんだろう、と考えています。
しかし、現実的に今70歳前後の患者さんとお話をすると、必ず口を揃えて皆さん長生きしたくない、と言われるんです。
この言葉を聞く度に、私は実は凄く心の中で悲しい気持ちを抱かされてしまいます。
何故、現代の社会は、これ程までに老を忌み嫌う、特にそれに直面しだしている方々が殆どそう言われるのでしょう?
私は凄くそれが悲しい哀しいです。
70歳前後の患者さんのお気持ちは、この先良いことなど期待出来ないし、醜く老いさばらえて死ぬだけだ、と言う気持ちなのではないでしょうか?
でも、確かに人生とはそう言うもの、としか言いようがない所も多々あると思います。
私のような知恵の浅い小人物には、納得させてあげられる答えをお話して差し上げられる力はないなー、と嘆くばかりで、冒頭にも書きましたが、そう言う方々にブッダなら灯りを灯して差し上げられるんじゃないだろうか、いやきっとそうに違いない、と思ってしまうのです。
しかし、現代にブッダはご存命ではない。(まあ、世の中には転生体と称して宗教をなされている方もいますので、その方を信奉なされている方々を、私は否定はしません。)
現実に、私の目の前に、老に対する心の闇、自分の人生の先に希望を見い出せない70歳前後の患者さんが毎日お越しになり、面談室でお話を聞かされる日々です。
やむを得ないので、私の個人的経験で健康長寿でこの方は素晴らしい、と言う経験をさせていただいた、今実際に経験させていただけている患者さんの実例でご紹介をして、何とか心を明るくして差し上げられないだろうか?と考えてお話しています。
そのこと、実例をご紹介致します。
結論から申し上げると、人は幾つになっても、世の中に必要とされている、役に立っている、と言う感覚を持てていると、人生を悲観的に見られてはいない、と言うこと、生涯現役であられる方々は生き生きとされていて若々しいし、楽しみを見い出せて生きておられる、と言うことです。
ある方、Aさんとしますが、Aさんは自ら介護業に就かれて、老老介護よと笑いながら、ご自分よりも少し年上の方々をお世話することを実に楽しそうになされています。
Aさんは、自分は先生に出会えてお陰で噛める状態が維持出来ていて元気だ(この方はインプラント歴15年以上です)、仕事場で見ていると間違いなく歯がある自分はお世話している方々と同じ年齢になっても元気でいられる自信がある、それは自分は昔からこの仕事に関わって来てて、先生に出会った年代でお世話している方々がどうなのかもして来て、自分が幸運だった、と言うことを実感している、だからあれからこれだけ時間が経ってもお世話し続けられている、この幸運に感謝してお世話出来る幸せをひしひしと感じている、と輝く笑顔で話されるのです。
Aさんは今80歳を超えられています。
私とのご縁は開業直ぐでしたから15年以上に成ります。
65歳の時に、既に介護の場で仕事始められていた、そして、ご自分も現場での歯が悪くなって辛い思いをされる方、入れ歯で苦労される方を沢山拝見して来られて、それでご自分は辛い思いをしたくない、と言うことでインプラントになされたのです。
そして、今も仕事は続けられておられます。
社会に必要とされ、現場での生きがいを感じ、現役で元気でい続けよう、と願って、ご自身は介護状態にならないよう努力されている、自分が介護したいからで、される方になられたくないそうで、ご自身はピンピンころりを目指されているそうです。
今では、実は近年はご自身よりも若い方のお世話をすることも増えて来ているそうですが、全く意に介することもなく、ほぼボランティア状態だそうですが、出来る限りお続けになられるそうです。
そして、メインテナンス、治療にと常に当院に通われ続け、お元気で過ごされています。
こう言う本当にあったお話の例は少しは聞いていただけないでしょうか?と私は静かに語り掛けるようにしています。
私の老に対するとらえ方、考え方は、Aさんのような人生を過ごせること、ご自分に与えられた宿命?運命?に沿って、何時までも世の中と関わり続けて今を生きておられる、その姿こそがひとつのお答えなのではないか、と感じるのです。
実は、Aさんは仕事しないでも全然困られない生活過ごせる方です。
なのに、わざわざご自身で出向いて求められる所で生きがいを感じて生きておられる。
ご自身の意志の力でご自身の人生を見事にコントロールなされている、と本当に私自身学ばされている方です。
Aさんは、ご自分のご意志で動かれ、それで生かされ、生きがいを感じておられる。
ここなんではないでしょうか。
老は、ご自分でご自身の人生を見限って、生きていても何もない、することもない、だからと言って死ぬこともまだない、と言う未然な心理状態の招く心の病気の一つ、と私は思うのです。
そんなことはないよ、まだまだお役に立てる、貢献出来る所はあるんだよと言う心、気持ちを如何に持っていただけるのか、が一つの解決策になるのではないだろうか、と考えるのです。
ですから、私自身も生涯市井の一歯科医であろう、と考えていますし、いつも書いていますが、体が手術することに耐えられなくなって来たら、その道は若い方々にお願いして、私の宿願である総義歯の道、1日1人の患者さんと言う1人の患者さんを何とか1日掛けて快適に噛める所まで機能と審美を回復させる治療へと方向転換し、生涯現役でい続けよう、と決めています。
多分、80歳前後の頃からの話になるかと思うのですが、鞄一つの流れの歯科医、みたいな感じで日本全国を患者さんを求めて旅続けながら生きて行こう、と決めています。
30年後の未来に備えて、間違いなく増えているであろうインプラント周囲炎、いわゆるインプラント関連の歯周病の解決を60歳前に完成させ、それを伝えて10年で70歳、広めて10年で80歳。
私が生きて頑張ったことでインプラントの全ての問題が解決の道筋が出来た、とご評価いただける人生を過ごせるなら、恩師故今間先生の願いを全て現実化して差し上げられただろう、と自分で自分を褒められると思っています。
恩師故今間先生を亡くして35歳から今まで52歳迎える17年以上の人生では、自分でも信じられないインプラント治療の可能性、即時荷重、抜歯即時植立即時荷重、審美的安定目指す再生治療の道を進み、業績を残せて来ました。
そして、今時代はインプラント不信感の時代で、怖いもの駄目なもの、と言うイメージに取り付かれています。
しかし、インプラントしたらそれがちゃんと生涯患者さんの人生を支えて差し上げられる、お役に立てるものであると社会的に、公的に認められる実績をお示しすることが出来るなら、失地回復が出来る、と信じているからです。
インプラントを必要としている患者さんは、高齢者がやはり多いです。
その方々はやっても無駄だとか価値がないとかお考えになられていたり、怖いもの大変な思いをされるもの、と感じておられるから受けたくないしたくない、義歯で良いになると思うのです。
でも、それではAさんのご経験のように、やはり義歯ではダメですね、年齢と伴に歯茎とか体が衰え、合わなくなってそれによって急激にダメになられる、と言うお話になってしまわれる、と思うのです。
そして、その現実を生で知っているAさんはご自分はインプラントで、15年経っても然程変わられないご自分を確信されているこの現実、がある訳です。
このような現実を知り、、又他の患者さんの入院経験のお話で、自分は食事に困らなかったけど、他の義歯の患者さん達は気の毒だったよ、と言うご感想聞く度に、やはりインプラントは良いものだ、と感じるのです。
その為には、トラブルの解決策、問題が解決出来る、と言う実際を具体的に完成し広く知らしめるのが恩師故今間先生のご遺志に違いない、と思わされますし、その道が私の道だ、と思うのです。
私の例が長くなってしまって、申し訳ありません。
それでも、Aさんの例、私の自分の人生展望を知っていただくことで、老への取り組み、心構えが少しでも明るい方向へとシフトしていただけないか、と心から願い長くなりましたが綴らせていただきました。
命ある限り命あるものは生きていかなければならない。
当たり前ですが、これは真実です。
しかし、世の中には不慮の事故で急逝を余儀なくなされてしまわれる方もいます。
実は、細君の高校の同級生が数日前交通事故で亡くなられたそうです。
マスコミにも報道されたそうですが、トライアスロンの選手をされていた方で、自転車での練習中にダンプに接触されて5時間後に亡くなられたそうです。
細君は、かなり衝撃を受けていました。
私は良く存じ上げない方なのですが、大会で優勝されたりしている凄い選手だそうで、本当に何と勿体無い、人の命の儚さを如実に思い知らされる現実の出来事があったのです。
それが今日のブログの契機になっています。
命は何時終わるのか誰にも分からない。
それは、生老病どの瞬間でも、多分死のその時、瞬間にしか分からないのでしょう。
そして、ブッダは常にお弟子に向かって語られていたそうです。
分からないことに思い悩むことなかれ、今の生きている自分を大切に、その命を輝かせる、生きてて良かった、と実感出来る生き方をせよ、と。
間違っていたら、心から謝罪致しますが、ここにこそ究極の解答が示されている、と私は心から信じております。
私の話に流れ、長くなってしまったことを申し訳なく、ご容赦下さい、としか申し上げられません。
しかし、ほんの少しでもお役に立てるなら、心の底から嬉しく思います。
皆様のこれからの人生が輝き、素晴らしい人生を送られることを心より願い、長く綴りました。
失礼致しました。
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