歯医者のことを、歯大工と呼んで見下すような表現をされる方を、私は心から軽蔑します。
まず何よりも、我々は皆んな住まいに住んでいて、大工さんのお世話になっていない方はいないはずです。
皆んなお世話になってるとても大切な職業を、見下すような感覚を持つ、そして、それを援用して歯大工と呼んで歯医者まで何か馬鹿にするような表現の仕方をするような人は嫌いです。
更に言えば、職業にはどんな仕事であろうとも貴賤はなく、誰もが誰かのお世話になりお世話をしているのが世の中なのですから、それをどんな仕事であろうとも見下すような言い方をされる人が本当に嫌いです。
失礼ながら、歯医者歯大工の世話にならなければならない方は、その原因は元々どなたなのですか?
殆どの場合が、ご自分自身ですよね。
そのことを歯医者のせいにすること、はおかしいことではありませんか。
更にそれなのに歯大工などと呼ばわるなど、その人の品性を疑います。
そのような人は、野ざらしの林にでも住めば良い。
大工さんの世話にならないで、住まいを自分で作れば良い。
歯が痛む、悪いのも正露丸でも詰めてボロボロになられても仕方ない、と思います。
自分のことを自分だけで何とかできないのだから色々な仕事、職業があり、誰もが誰かの世話になり、世話をしているんです。
お互い様、持ちつ持たれつ、が世の中のルールです。
だいたい歯医者自身自分の歯は自分で治せません。
誰かに治して貰わないといけないのです。
私の口の中に3本インプラントが入っています。
歴代の勤務医嬢達の練習台に自らなりました。
技術者は、そうやって人を育てていかなければ何処かで途絶えてしまうからです。
どんな名人も永遠の生命はありませんから。
全ては持ちつ持たれつ。
元々歯医者は1000年以上前に仏師が柘植の木を削り出し、そこに象牙の歯を貼り付けて作り出す入れ歯にもその起源があります。
人工臓器として活用できる、そのような入れ歯は日本が世界最古のだった筈です。
仏師は仏像を掘り、瞳を最後に描き入れて魂を込める、とお師匠様から教わりました。
我々の仕事、モノ作りの仕事も一つ一つ魂を込め、その患者さんの大切な身体の一部となり、生涯を共にと念じてしている仕事です。
仏像のように1000年の生命は与えられませんが、その心意気は決して、仏師、大工の中でも尊称される宮大工にも劣らないものです。
一般の皆さんは、歯医者なんて小さなモノを扱うチョイチョイとした仕事、ほじくり返して詰める被せるのイメージしかないのでしょうが、中には上に書いたような心意気、使命を持って仕事をしている方もいるのです。
それを少しでも分かっていただければ幸いです。